きのうの東京新聞。1面にスポーツ記事を掲載するセンスも酷いが、あの一方的な試合を「惜敗」と見出しにするのはどういうことか?
この国のマスゴミは、大本営発表の時代と何も変わらない。日本のサッカーは世界に通用しないレベルだし、それをTVの視聴率欲しさに「勝つかもしれない」と嘘の情報を垂れ流し、騙されやすい大衆を集団的ファシズムの渦に巻き込むのだ。
俺は、ワールドカップを正座して観るが、絶対にニッポンを応援することはない。あんな子供だましのようなプレーが世界に通用するなどと勘違いされては腹が立つからだ。
去年から面白く見ているBS朝日の佐高と西部の対談番組。これを見るたびに、保守思想の深さに引き込まれていく。
今回も西部がバッサリと斬っていたのが爽快だった。
西部 僕はスポーツに偏見がありましてね。
スポーツというのは僕が調べた限りではね。sportsのsというのが「外れた」という意味でね、disのsが残って、portというのは「振る舞い」。「外れた振る舞い」。
というか、普通の人はスポーツなんてしないだろうが、球もって走ったり蹴ったり。(笑) だから、形容詞 sportive でも「ふざけている」(他に、みだらな、好色なという意)という感じなんですよね。たとえば動詞でもよいのだけど、Make sports of you.と言えば「あなたをからかう」という意味でしょう。スポーツの楽しさもわかるのだけれど、何かスポーツというある種の価値を、かなり高い位置に置いてしまうというのは、何となく国民精神がカラッポなのでは。アメリカがそうですけれどもね。(大笑)
佐高 ということは西部さん。サッカーでニッポン、ニッポンってやるじゃないですか。そいうのには違和感がある。
西部 僕は違和感があるし、もともと正すと左翼的言辞になっちゃうけどね、スポーツを国民の祭典にしたのはヒトラーでしょう。1936年ベルリン・オリンピックですけれどね。僕からすればスポーツというつまらぬかもしれない気晴らしにね、異様な数の群衆が熱狂するというね、あれはやっぱり全体主義の特徴だと思うんですけどね。なんか僕、そういうの嫌なんですよ。子どもはいざ知らずよ、大人がねたかだかボールを蹴ったりさぁ、打ったりすることでね、なんかさぁ目を血ばらせるほど興奮するという…。僕もしてみたい気もたまにはあるけどね。なんか子どもの所業だなぁという気持ちがどうしても残るもんだから。
佐高 あんまりワールドカップとか観ない?
西部 うーん、特にサッカーなんてさぁ、もともとあれでしょう。ヨーロッパなんか昔から戦争ばっかりですからねぇ。でも戦争ばっかりと言ったって、年中戦争ばっかりじゃない。年に数回ぶつかるだけでしょう。そうしたら暇な時間に何年も何十年も前に殺した敵の頭蓋骨を蹴っ飛ばしたような、すごい野蛮な遊びですよね。あういうものに今や一国の首相なんかが観覧にやって来るというのが、なんかこう所謂大衆社会 mass society 、大衆的熱狂でもって何か動かしていくというね。
特にサッカーなんか日本は弱いもの。それをさぁ、勝手に勝つかもしれない、という嘘話を毎回仕立てながらさぁ。(笑) それこそ負けること必定なのにね、無理やり偽装の興奮状態にして、ワールドカップだワールドカップだと言っていく。なんかあざといと言うかね。
ラベル:マスゴミ





サッカー不遇の頃から日本サッカーを見てきた俺にはこの形容詞は耳に蛸フレーズになってます。
逆に言えばたかが球蹴りだからこそ素晴らしいと俺は思う。
まあ言っても詮無いけど。
西部の物言いはやっぱり西部らしいw
大衆の熱狂に対する懐疑精神は西部の真骨頂ですから、まあそういうだろうと思ってました。
マスゴミは新聞が売れればいい、テレビの視聴率が上がればいいだからキチガイのように騒ぐだけ。
この手の手法は飽きられてて、民放のけたたましい実況よりNHKに流れて観るのがサッカーファンの正しい姿。
やつらださんの言うように目も当てられない下手糞な日本サッカーを応援するほうがおかしいわけですが、私らにとっては醜くかろうと下手糞だろうと敵地で勝ちをもぎとってくれれば恩の字。とりあえず親不孝息子がいっちょまいになるのが嬉しいバカ親の心境でこればかりは他人にはわからないでしょうしw
ヨハン・クライフは美しくないサッカーに価値はないと断じるけど、まことそれは正論ではあるが現実から組み立ててゲリラ戦組むほかない日本には非現実こそ現実なんです。キレイごという実力以前ですから。
インテリには評判の悪い非インテリの下衆スポーツ、球蹴りですが哲学や人生に勝るとも劣らぬ妙味があるもんなんですよ。
それにインテリさんたちも言及することも多い。
それから大衆の熱狂を疎ましいと思うのは勝手だし、サッカーの予選で隣国同士が戦争になった例があるけれど、ペレ見たさにワールドカップの時期だけ戦争止めたことだってあるんで、まあ割愛してくださいなw
あたしにはサッカーとかオリンピックは第283次世界大戦にしか見えないわん。本当に爆弾が飛び交うよりはず〜っとマシだけど。
とはいっても実力がまだまだという厳しい条件下での奮闘に対してささやかに声援は送っていますが。
たかがサッカーと、いつぞやの首相が言ってましたけど、それ言っちゃうとサッカー以外のスポーツや大衆音楽などの芸能事もたかがと言うことになってしまうんですよね。
けど、それらの事を見る側ではなくプロ・アマ問わず打ち込んでやっている=する側からすれば、決してたかがではないと思うんですけどね。
ボールのひと蹴りとっても、それは長い間の練習と鍛練の積み重ねの上にあるものだろうし、芸能番組の気の利いたアドリブもまた芸の修練の賜物でしょう。
それらは真面目な努力を要するという点で普通の仕事と変わらないと思います。
そして見る側としてもストレス解消と言った精神のバランスを取る意味があると思います。
世の中苦しい事辛い事は多い。それを緩和する為にもスポーツや芸能に限らず趣味なども含めての「遊び」の部分は不可欠なんだと思うんですけどね。
確かにそれらは「外れた振舞い」と言えますが果たして価値に於いて低いものでしょうか。
例えば会話では仕事の話などマジな話題ばかりではなく冗談や面白い話なども不可欠でしょう。どちらかの方が上とは言えない。
あるいは仕事から帰ってボーとテレビ見ながらビール飲む時間、それってつまらない時間なんですかね。
どうもそれらの事=外れた振舞いや遊びが人間にとって価値が低いものとは思えないんですよね。
まあそれに戦争や政治で集団熱狂するよりはスポーツで集団熱狂する方が罪がないと言う気がします。
それっていうのは、「人殺し」に熱狂しているのではなく、「戦争」に熱狂している「危うさ」と似ているのではないかな。
先の大戦の日本人の大半のように。
私もW杯を「見るバカ」の一人だが、
「サッカーファン」でない事を「自覚」して「熱狂」しないように「自粛」しています。
当初ボロクソいわれてたからじゃないでしょうか。
絶対勝つはず、みたいな過剰なプレッシャーがなかった分、
気楽にプレイできたとか?
どこか体調が悪いのかと考えてしまいましたが・・
またパンチの効いたブログを期待してます。
焦らず気長に待ってます。