『警察幹部を逮捕せよ』泥沼の裏金作り
大谷昭宏+宮崎 学+高田昌幸+佐藤 一 編著
旬報社 発行
四六判 並製 180頁
定価(1,500円+税)
発行日 2004年6月30日
奇跡の本だ『必ず』買うように。なんせ北海道新聞社(道新)の記者が共著となっているのだから。日本にはご承知のとおり、悪名高い『記者クラブ』制度がある。当然ながら『道警記者クラブ』に所属していないと事件があっても情報を教えてもらえないのが実態。つまりマスゴミは記者クラブ制度がある限り、警察の闇に踏み込んだ記事は書けないのである。しかし道新は違った。道警の裏金事件が発覚してから600を越す関係記事を書きまくっているのだ。会社のサイトで特集コーナーを作っているぐらい徹底している。以前は嫌っていた新聞だが、見直した!スバラシイ!
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/housyouhi/document/
実際道新の取材班は、道警幹部より
『道警ばかり叩いていると、社会面が書けなくなるぞ』
『事件ネタは一切、北海道新聞には教えない』などと恐喝まがいの脅しをかけられている。
道新が熱い思いで追求している理由は、高知新聞社との出会いがきっかけだった。道新の編集局報道本部の高田次長は青森で開催された「マスコミ倫理懇談会」で高知新聞の編集幹部に会った。彼は高田さんにこう熱く語ったという。
「権力のスキャンダルは、権力腐敗の証拠だ。それなのに、新聞はそれを暴く力を失った。権力に寄り添って記事を書き続けるうち、スキャンダル報道は雑誌の専売特許になってきたし、情報公開制度を駆使した市民オンブズマン組織の『取材力』にも遅れを取り始めた」
「権力監視の機能と力を失ったら。、新聞はこの先、何を書くのか。組織腐敗を知りながら、なにも追及しないのであれば、報道機関も腐敗に手を貸したことになる」
「情報公開の流れは速い。われわれが追求しなければ、権力監視の役割はオンブズマンや志ある市民の手に完全に移ってしまい、新聞は単なる情報誌になってしまう」
「新聞記者の看板を背負って情報を入手したならば、その瞬間から情報は市民・読者のものだ。われわれは、市民と権力のどちらを向いて仕事をしているのか。市民の方を向いていると言うのならば、やるべきことは実にはっきりしているのではないか」
まだまだマスゴミにも志を捨てていない『記者』がいることに、少しの安堵を覚えた。彼らを支援する意味において、是非買って欲しい入魂の一冊。
あんまり縁起のいい話ではないが、もし、あなたの家に泥棒が入った。あるいは出かけた先で交通事故にあった。大事な身内が殺人事件の被害者になってしまった。そんなとき、どなたに限らず、まっ先にすることは110番をするなりして警察に連絡することではないか。
その場合、東京都民なら警視庁、大阪府民なら大阪府警がかけつけてくる。私は警視庁を信用していないから別の組織にお願いしよう、大阪府警は不祥事が続いているから別のところに頼みたい。そう思ったとしても、そんなわけにはいかない。東京には警視庁以外の警察組織はないし、大阪だって同じだ。
そこが銀行や、一般の企業と違うところだ。銀行なら不良債権が焦げついて、自己資本比率が下がり、預けているお金が危なくなりそうだと聞いたら、預金者は当然のことながら大事なお金をその銀行から引き出して、別の銀行に移し替える。
雪印や三菱ふそうのように、その会社の製品が信用ならないとなれば、消費者は何も好きこのんで、それらの会社の牛乳や車を買うことはしない。別にいくらでも乳製品や自動車のメーカーはあるんだから、よほどの変わり者でない限り、危険を承知でわざわざその会社を選んでやるお人よしはいない。
結果として、その会社は社会の中で立ち行かなくなるか、あるいは会社そのものが潰れてしまう。当然のことである。
だけど警察はそうは行かない。市民がどんなにその警察を忌み嫌っていても、あるいはここ数年、まともに殺人事件を解決したこともないほど、捜査の力がない警察でも市民はそこに頼るしかない。
その一方で警察にしてみれば、市民をどんなに泣かせようが苦しめようが、あるいは捜査なんかまともにできなくたって潰れる心配はない。何しろ、完全な独占組織、競争相手がいないのだから、ほかの組織に仕事を持って行かれる心配は露ほどもない。左ウチワであぐらをかいていたらいいのである。
こんな唯我独尊のような組織がいま土台から腐っている。この組織にかかわる人があろうことかこぞって犯罪に手を染めているということになったら、どうなるか。この国の「安全と安心」なんてどこかに吹っ飛んでしまう。いや、とっくの昔に吹き飛んでしまっているのかも知れない。
またぞろ、警察の裏金作りの問題が噴出している。捜査用報償費不正支出疑惑というやつである。またぞろと書くのには、理由がある。もう十数年前になる愛知県警の「正義の警察官グループ」と名乗る集団からの匿名の告発をはじめ、警視庁、宮城、香川、熊本、高知といった各警察。並べ出したらきりがないほど不正支出が明るみに出ている。なのにまさに、またぞろなのである。
今回は北海道、面積ではもちろん日本最大の地を管轄する北海道警である。
ところで、警察の不正支出を取り上げるにあたってまず、「裏金」というおかしな金についてきちんとした説明をしておく必要があると思う。裏金というと一般的には、予算を消化しきれず、余ったお金をプールしておくとか、表向きにはなかなか通らない出費のために、その金を別途、用意しておく、そういった金ととられがちである。もちろん本来はそうした金銭を指すものであることに違いない。
つまり表向きにできないから、裏金なのであって、あくまで表があっての裏。表から裏に流れる金であるはずなのだ。
だが、警察の裏金は違う。なんだか判じもののようになってしまうが、裏があってはじめて表がある。金はすべてまず裏にまわり、そのなかの一部が初めて正規の金として表にまわる。「初めに裏ありき」が警察の予算執行なのである。
予算が国会や都道府県議会によって承認されると、その金は警察庁、都道府県警察を通じて警察本部の各部局や各課、各警察署に配分される。そこで本来なら人件費や、捜査費として支出されて行くはずなのだが、警察の場合は違う。すべての金は裏金という悪のルートにまわるのだ。
そのうえで本当にいる金だけが裏金という悪の洗礼を受けたあと、表の顔としてやっと娑婆に出て行くことになる。
したがって警察の裏金は、中央省庁や都道府県庁が余った金をくすねて溜め込んでいた裏金とは根本的に違うのだ。まず、そのことを本書をお読みいただく読者に理解しておいてほしいのである。
たしかに警察の予算はそのような裏ルートを通るとはいえ、必要なお金として、いずれは表の金として支出されて行くのであれば、やり方は悪いが、予算は一応、執行されたことになる。しかしもうお気づきのようにそんなふうにちゃんと表向きの金として予算を消化していたのでは、せっかく最初に裏に流し込んだ金は、いずれはゼロになってしまう。それでは何のためにいったん裏に入れたのか、意味がなくなってしまう。
そもそも最初に裏に流し込むことにしたわけは、いかに表の支出を減らして、裏にガッポリ溜め込むかにあったはずだ。そのためには、表の支出を装って裏に流しこむ理由づけがいる。そこにこそ、この警察不正支出疑惑の根本があるのだ。
実は今回、本書のテーマとなっている捜査用報償費の不正支出は、その理由づけの一つにすぎないのである。
裏の金を減らさないために虚偽の表の支出を作り出さなければならない。そこで窃盗事件や暴力団犯罪の捜査に協力してくれたという人を電話帳などから引っ張り出した人の名前でデッチ上げる。つぎに何十年間にわたって保管されている数百の印鑑からその名のものを押してニセ領収書を作り上げ、捜査用報償費の不正支出、一件出来上がりなのだ。
このたびは、そのデッチ上げの明細が北海道警旭川中央署から流出してしまった。報償費を受け取ったとされる人物がその時点で死んでいたケースさえあるのだから、まさにウムを言わせぬ証拠である。
警察庁にとっても全国都道府県警察にとっても驚天動地、激震が走った。
だが、裏をいかに肥えさせて、表を痩せ細らせるか、捜査用報償費名目だけでは足りるはずもない。そこであらゆる手口が長年にわたって編み出されている。
課員、署員の超過勤務のデッチ上げ、一人が年間、百何回にのぼるカラ出張、都道府県幹部や議員を飲み食いさせたことにした架空接待、ニセの物品購入、食ってもない弁当、夜食の支給、やってもない施設の補修、開かれた形跡のない記者との懇親会……。
よくもまあ、これほどまでにと“先人の知恵”に感じ入るばかりだが、では、最初から日の当たる表を見ることもなく、いきなり裏の預金口座に流しこまれたこれらの金は、一体、誰が最後は懐に入れたのか。いつ、どこで誰のために使われたのか、その行き先については本書をお読みいただきたい。
いずれにしてもまず念頭に置いておかなければならないことは、こうした警察の不正がたまたま良からぬ警察官がいたことから始まったとか、たまたま予算が余ってしまったから起きたという体質のものではないということである。
最初から不正なかたちで予算をプールし、不正な形で支出するという予算詐取集団として、警察組織が存在したということなのだ。言い換えれば警察そのものが犯罪集団だったのである。そんな組織に代替の機関もないまま、市民は犯罪捜査を任せ、社会の安全と安心を委ねているのである。
いまでは警察に不正がなかったと信じて疑わない国民なんて誰一人としていない。北海道から火を噴いた疑惑は、燎原の火どころか、燃え盛る山火事のように宮城、静岡、福岡、高知といった県警で、火の粉を噴き上げている。その一方で、多くの国民は、これほどの不正が何十年という長期にわたって日常的、恒常的に行なわれていながら、なぜ、いままで根源的な追及がなされなかったのか、強い疑問を抱いていることも確かなはずだ。
そういう意味では、本書のなかで詳しくふれたつもりのメディアの罪、とくに全国紙といわれる大手新聞の罪は深い。
だからこそ、今回、北海道の地から事件の口火を切ったばかりではなく、その後もあらゆる妨害のなかで、追及の手をいまだに一切、緩めようとしない北海道新聞の勇気と努力には、尊敬と敬服する以外にない。その意味で、本書は、まず北海道新聞の裏金追及の取り組みを語っていただくことからはじめたい。
だが、案の定、その一方で山火事の火消し、幕引きに必死の警察庁に対して、全国紙はまたぞろ手を貸そうとしている姿が見え隠れする。だからこそ、本書はその警察の募引きの様子から書き出すことにした。
いずれにしろ、こんな二重三重の敵と闘い、加えて取材と執筆の忙殺されるなか、本書の緊急出版に全面協力して下さった北海道新聞のデスク、取材記者のみなさんの勇気と好意に心から感謝する。さらに警察組織をこれまで鋭い論評で震え上がらせてきた畏友、宮崎学氏も戦線に加わってくれた。
日本の警察が一部の諸外国のように犯罪集団に墜ちて行くのか、それとも本書の中に再生の芽はあるのか、そんな思いでページを繰っていただけたらと願っている。
大谷昭宏
(「はじめに」より)
2004年06月29日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック




