2006年01月12日

ナベツネが浅卑(朝日)新聞と「共闘」宣言するくらいヤバイ日本

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【首相年頭記者会見】 チャライ小犬首相が終戦記念日に参拝できない理由でも掲載したが、ナベツネが朝日新聞論説主幹若宮啓文氏と意気投合した、月刊「論座」2月号の記事はナカナカのものだと、今日の日刊ゲンダイ。ナベツネは他にも月刊「現代」にて佐高信と対談しており、小犬コイズミを批判している。昨年も、田原総一郎の雑誌(その後次号の音沙汰ないが)で対談し「戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」とも言っていた。

さて「論座」の対談だが、憲法改正では朝日と一致していないが、靖国批判では意気投合。

「靖国神社本殿の脇にある遊就館がおかしい。軍国主義をあおり、礼讃する展示品を並べた博物館を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」
「国家神道の教学のために日本が真っ二つに割れ、アジア外交がめちゃくちゃにされている。そんな権力を靖国神社に与えておくことは間違っている。これを否定するには、やはり首相が行かないことです」
「死者の責任を追及するというのは嫌な仕事ではあるが、それをしなければ、歴史検証というのはできないんですよ」
ナベツネは大東亜戦争が「あれは侵略戦争であった」という認識を国民の大多数が共有する作業が必要と考え、今年の終戦記念日をめどに読売新聞紙上で戦争責任の所在を明らかにするキャンペーンを始める予定だそうだ。
「靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないかと思っている。今はポスト小泉は安倍(晋三)さんが有力だと言われているけれどもその点を心配する」
「言論の自由とか言論の独立を脅かす権力が出てきたら、読売新聞と朝日新聞は、死ぬつもりで結束して闘わなきゃいけない。戦時中にそうしていれば、あそこまでひどくならなかったと思うんだよね」

茨城大名誉教授の大江志乃夫氏はナベツネの発言をこう分析する。
「渡辺恒雄さんの最終目的が改憲にあるのは間違いない。改憲を実現させるためには、過去の清算が不可欠だと考えているのでしょう。実際、このまま憲法9条を改正し、正式の軍隊を持ったなら、アジア諸国から『軍事大国の復活だ』『侵略戦争を反省していない』と強い反発が巻き起こるのは必至です」

今年は読売新聞の紙面に注目だ。さて、天皇の戦争責任まで追及できるのか…。
posted by 死ぬのはやつらだ at 20:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争責任と靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

【首相年頭記者会見】 チャライ小犬首相が終戦記念日に参拝できない理由

今日午前、小犬首相が赤いカーテンの前で年頭記者会見を行なった。

首相、靖国で中韓批判

年頭会見『後継は外交路線継承を』

 小泉純一郎首相は四日午前、年頭に当たって首相官邸で記者会見を行い、自らの靖国神社参拝を契機に悪化している中国、韓国との関係について「外国の政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない。一つの問題で意見が違うから(日本との)首脳会談を開かないことは理解できない」などと述べ、靖国参拝を理由に首脳間交流を拒否している中韓両国を批判した。

 首相は、後継の自民党総裁候補の条件に関し、「日米同盟と国際協調の重要性をよく理解してくれる方が、次の自民党総裁、首相にふさわしい」と日米同盟を最重視している小泉政権の外交路線を継承する候補が望ましいとの考えを表明した。

 さらに、「トップリーダーが国民から支持を得ることは極めて大事。同時に、国会議員の中で協力と信頼を得なければならない。片方だけでいいわけではなく、両方大事な時代になった」として、国民的支持も後継総裁の条件に挙げた。

 一方、民主党との関係については「安全保障、憲法改正、改革促進など、民主党が自民党と協力できる点はある。政党であれ、議員個人であれ、協力してくれる勢力があれば喜んで協力したい」と述べ、民主党と積極的に連携したいとの意向を示した。


たまたま、今日、ナベツネと浅卑新聞の高給取り勝ち組が月刊誌「論座」の記事絡みで対談している。

渡辺・読売主筆、朝日主幹と対談 首相の靖国参拝を批判

2006年01月04日02時26分


 読売新聞の渡辺恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が初めて対談した。首相の靖国神社参拝について渡辺氏は「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」、若宮主幹も「『A級戦犯はぬれぎぬじゃないか』という遊就館につながる思想の人たちを喜ばせ、力をつけさせている」として、ともに厳しく批判した。

 ポスト小泉をめぐっては、アジア外交への姿勢が大きなカギだとする若宮主幹に対し、渡辺氏は「靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないか」と述べた。


小犬首相は、昨年10月17日に参拝したが、「外国の政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない。一つの問題で意見が違うから(日本との)首脳会談を開かないことは理解できない」と考えているなら、なぜ、どうどうと8月15日に参拝しないのか。

小犬首相が、初めて参拝したのは2001年8月13日の事だった。ゲンダイの二木啓孝氏によれば、小犬首相は公約通り、終戦記念日に参拝する予定で、イイジマ秘書官に警備を指示していたそうだ。ところが、古賀議員のアドバイスで「8月13日から盆の入りだから13日にしたら」ということで変更となったらしい。

去年の一般参拝は、経団連トヨタの奥田から、「胡錦濤に会うので、事前に参拝を簡素にしてくれ」と依頼されていたのでそうしただけなのだ。

所詮、靖国の参拝なんぞ、ただの中国に対する「意地」でやっているだけってのが本心なのだ。アメリカ合衆国日本州の知事コイズミとしては、アイデンティティー確認の為やっているにすぎない参拝パフォーマンスなのである。

歴史がない。政府主導の資本主義経済。その中で金狂いとなっている。中共と米帝はこの点で共通しており、日本が蚊帳の外に置かれるのは当たり前。一方、日本はと言えば「官から民へ」のスローガンのもと、民間なんぞ犯罪にあけくれる毎日。おまけに戦後60年も米軍に占領されている植民地。米軍に殺された靖国の英霊は泣いているゾ。米軍の基地がない中共が、外交では米帝と対等に交渉できるのとは大違いだ。安保破棄もできないのが悲しい日本の現実だ。

創価学会は、中共が日本を追いこし、アジアの盟主となる事を前提に、長期戦略で、中共のエリート共産主義青年団を多数、創価大学に留学させている。共産主義青年団の応接室には当然の事ながら池田大作の写真が飾られている。公明党が政権にいる限り、小犬首相は8月15日に参拝できないのだ。創価学会が大嫌いなコイズミとしては、ハラ糞悪いことだろう。

追記を読む…
posted by 死ぬのはやつらだ at 18:16| Comment(0) | TrackBack(2) | 戦争責任と靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月31日

昭和80年の今年も終わるが、結局、天皇の戦争責任は不問

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今年もあと少しとなりましたが、コイズミ自民党に投票した国賊の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

オマエラの所為で、憲法も風前の灯がほぼ決定。来年は、ますます住みずらいスバラシイ日本が待っていそうです。拉致された日本人も、餓死するかも知れません。

いいだもも が、雑誌『en-taxi』にて三島由紀夫宛に書いておりますよ。

かれ三島は、生前自分の口から、「おれは2番、1番はいいだ」「いいだは日銀で、おれは大蔵省」と、2番ヴァイオリンを自認するケンジョウ奇特な学友であったが、もうそろそろマクラを高くして寝たらいいんじゃないかね? 皇室典範改正で「女性・女系天皇容認」ということになり、精神病院を出たり入ったりしている母后の鼻タレ小娘が久しぶりに「女性天皇」になることがきまったのだし、念願の日本国憲法第九条(戦争の放棄・戦力放棄条項)が廃止・改憲される「自民党結党50年記念・新憲法草案」が出たのだから。もういいじゃないか。
念願だった自衛隊の「国軍」への昇格が、第三次小泉内閣下で自衛省国防大臣の管轄下に決まったんだよ。それでもダメかね? 鼻タレ女性天皇や今春サマワ撤退必至の自衛隊では、マスラオぶりにふさわしくないかね?


三島が望んでいた日本が、来年にも実現されようとしているかに見えるが、当の三島が望んだ日本なのかどうか疑問だ。

昭和80年の今年、コイズミの靖国参拝が問題となったが、俺にとっては、首相の参拝なんぞ極論すれば、「文学的な事」であって、本質は昭和天皇の責任問題の決着をどうするのかってのが重要な事だったのだと考える。

中共のおかげで、A級戦犯が問題となった今年が、その議論を深めるチャンスだったはずだ。それも出来ずに終わったことで、「あいまいな日本」という伝統はズルズルと継承されて行くのだ。『男たちの大和』で流される鼻水とともに。

昭和20年、8月15日。昭和天皇の肉声「終戦の証書」は、ラジオを使い全国に放送された。これを聴いた高松宮は、海軍省軍務局次長の高田利種少将に、

「証書の中に、天皇が国民にわびることばはないね」

と語った。たしかに証書では天皇自身の責任について何の言及もなかったのだ。また高松宮は、昭和天皇崩御後に、「あの戦争は陛下がお停めになろうとすれば、お停めになれたはずだ」と評論家加瀬英明に語ったともいう。

20年11月1日、伊勢神宮に参拝、「終戦の報告」をした。国民は犠牲となったが、「3種の神器」は守られた事を喜んだ。そのころ、国民は食料確保に必死の状態。列車は鮨詰め状態で、圧死する人もいるというのに…。本人は、お召し列車で優雅に参拝だ。

同、11月19日。新聞では、餓死者が全国的にでていることを報道。仙台では1日平均1人、横浜では3人、東京では多い時は日に6、7人。その時、宮城では、朕はたらふく喰っていたというのに。

同、11月21日。ミカドは敗戦後始めて、靖国神社に参拝した。国民への謝罪なきまま、何を祈ったのか。合祀された兵士は、天皇の命令で戦死したものたちだ。

同、12月18日。巣鴨刑務所に出頭する当日の朝、元首相の近衛公爵が服毒自殺。自分が戦犯で逮捕されて、「陛下に責任が及べば生きておれない」とこぼしていた矢先の服毒自殺。どう考えても、自分の身替わりと天皇は考えなかったのだろうか。

近衛は、10月21日、AP通信東京特派員ラッセル・ブラインズのインタビューに答え、「天皇の御退位手続きに関する規定は、現行の皇室典範には含まれていない。(中略)憲法改正にあたる専門家は近く、改正皇室典範に退位手続きに関する条項を挿入する可能性を検討することになろう」と語っている。
近衛は、天皇が退位されることにより、戦争責任をとることを考えていた。

明けて、21年元旦。昭和天皇は「証書」を公布した。

「然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ体威ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」

いままで絶対的な「現御神」と君臨し、それを批判する国民を「大逆罪」として処刑虐殺または、拷問しておきながら、それをいとも簡単に180度の方向転換。臆面もなく「信頼」だの「敬愛」などという。天皇を祭り上げてきたのは国民であって、朕は知らんぞと言うのか。

「惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ」

開戦の詔勅にハンコ押して、国を破滅に導いた当の本人が自分はそのことには何もかかわりあいはないって宣言に等しい。国民の「焦躁」も「詭激」もそのほとんどは自分の責任から起きている事だと心が痛まないのか。「道義ノ念頗ル衰へ」たと言っているが、戦争責任を放棄した自分の事は棚に上げて、よくも最もらしい事が言えるものだ。道義が衰退した根源はそもそも戦争責任を取らなかった天皇自身にあるのではないか。反面教師としての自分の存在を自覚してくだされ。「深憂ニ堪ヘズ」はこっちのセリフだ。

「一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」

「一年ノ計ハ年頭ニ在リ」と言った男が、戦争責任を放棄しておきながら、国民に対し「自ラ奮ヒ自ラ励マシ」などというのは笑止千万なり。

この証書の原案を書いたのはGHQだった。天皇の利用方針をかためていたGHQとしては、「民主化された天皇」のイメージを、国際世論とくに米本土の世論に強くアピールする必要に迫られたからであった。

同年、1月16日。新聞に「転落の復員軍人を…聖上深く御憂慮、復員省、異例の上奏文」という見出しで「『特攻隊くずれ』の厭わしい名の下に強盗にまで転落する者さえ出た。この暗澹たる状態について、天皇陛下は頗る御憂慮遊ばされ、さきに第一、第二復員者に対し『復員軍人で犯罪者に転落する者もあり又特攻隊くずれなどという言葉さえ見受けられるが、現状はどうか、これを善導することは出来ぬのか』という御下問があった」という記事が出た。

国全体を暗澹たる状態に追い込んだ責任もとらずにいる天皇に復員兵の「善導」を云々する資格はあるのだろうか。

同年、2月21日、天皇は、横須賀の久里浜の引揚援護所に行幸。サイパンからの復員兵とこんな会話をかわしている。

天皇「戦争は激しかったかね」
兵 「はい、激しくありました」
天皇「ほんとうにしっかりやってくれて御苦労だったね。今後もしっかりやってくれよ。人間     
として立派な道にすすむのだね」


決めゼリフ「ああ、そう」がなかっただけ救いだが、あまりにも「気配りのない」空虚な会話だ。俺だったら、「苦労をかけてすまなかった」と、ねぎらいの言葉をかけるがな。もしかしたら、昭和天皇は無自覚だったのかもしれない。かえってその方が救いのナイ話だが。

俺たちが、もし不慮の事故で他人を傷つけたり、あやまって死なせてしまったら、それで一生を棒にふらなければならない。それが、法治国家として当たり前のことだ。ところが、天皇の場合は違う。自分の詔勅で多数の国民を悲惨な運命に追い込んでおきながら、まるでそんな事実はなかったかのように、出迎えの『支配されたがる国民』にたいし「帽子をふって」こたえていた。もちろんこれも側近の演出なのだろうが。

今年、最後になって、我が日本は「偽造マンション」で大騒ぎだが、そんなことは驚くに値しない。

無責任を貫き通すスバラシイ伝統は、60年前、わが大御心が身をもって我々に示してくれているのだから。

posted by 死ぬのはやつらだ at 21:50| Comment(5) | TrackBack(3) | 戦争責任と靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

戦犯東條の孫『東條由布子』

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ロフトプラスワンで行われた月刊『創』トークライブに行ってきた。今回の内容は、森達也、鈴木邦男、山本直樹、綿井健陽などが出演したが、ほとんど司会の『創』編集長・篠田博之さんの独演会になってしまい、ゲストの発言がほとんど無いという消化不良の内容で、少々ガッカリした。しかし、第1部「靖国問題」のゲスト・東條由布子の大東亜戦争自慢話を聴くだけでも価値はあった。

A級戦犯、東條英機元首相の孫である東條由布子は、今年、靖国問題を特集するマスゴミによく出演していた。

サンプロに出演した際のビデオhttp://www.geocities.jp/kyokutou_kokusai_gunzi_saiban/SP_0703a.html

彼女はちょっと遅れて登場。グッチのアタッシュに祖父東條の思い出の写真とハガキを携えてきた。写真は大正時代、在ドイツ大使館駐在武官だったころのモノもあり貴重なもの。ハガキは東條が自分の子供宛てに書いたもので、子煩悩ぶりがうかがえる内容であった。

彼女の主張は以下のようになる。

中国韓国のコイズミ参拝批判は内政干渉。大東亜戦争は「自存自衛のための戦争だった」。国際法で自衛戦争は認められているのであるので東條は無罪。ただ開戦敗戦の国民に対する罪は認める。東條自身は、「7度生まれ変わっても罪を償う」といっているとのこと。

会場からの質問では、あの木村愛ニ氏が賊軍の者も祀ってくれとヤワラカク質問。彼女はすべての者を靖国に祀ってもらいたいと主張していた。

引っかかったのは「東條は天皇の身代わりとして戦犯になったのでは?」という質問に対し、彼女が毅然として「祖父は誰の身代わりになったのではない」と、キッパリ否定していたこと。俺には、それは遺族としての感傷としか思えない。

東京裁判での天皇の責任を回避するために、東條にすべての責任を負わせた。
東條の孫が祖父が死刑となった理由を美化しようとも、これが事実である。

1946年3月6日、GHQのボナ・フェラーズ准将は重臣の米内光政会見してる。彼は、天皇が連合軍の最善の理解者と認識しており、占領が継続する間は天皇制も引き続き存続すべきだと考えていた。しかし、連合国側に天皇を戦犯者として挙ぐべきだとの主張が強い。

これに対する対策として、天皇が何の罪も無いことを日本側が立証してくれることが最も好都合である。そのためには近々開始される裁判が最善の機会と思う。ことに東條に全責任を負担せしめるようにすることだ。即ち東條に、つぎのことを云わせて貰いたい。
「開戦前の御前会議において、たとい陛下が対米戦争に反対せられても、自分は強引に戦争まで持っていく腹を既に決めていた」と。(新出資料からみた『昭和天皇独白録』)


これに対して米内は、「全く同感です。東條・嶋田に全責任をとらすことが、陛下を無罪にするための最善の方法と思います。しかして、嶋田に関する限り、全責任をとる覚悟でおることは自分は確信しておる」と応じている。

東條に戦争責任を押し付けることによって天皇を救うという発想は、かなり早い段階からGHQの内部で共用されていたようだ。1945年9月25日、『ニューヨーク・タイムズ』のクラックホーン記者は、天皇に拝謁し、現在の皇族への記者会見と同様、あらかじめ提出されていた質問への回答を文書で受け取るというかたちで、天皇との単独インタビューを記事にしている。

次に東條大将は真珠湾に対する攻撃、ルーズヴェルト大統領の言葉をかりるならば「欺し討ち」を行うために宣戦の大詔を使用し、その結果、米国の参戦を見たのであるが、大詔をかくのごとく使用することが陛下の御意図であったでしょうか、という質問に対し、「宣戦の大詔は東條のごとくにこれを使用することはその意図でなかった」という意味の簡単な御返事があった。


実際の天皇の回答部分の文には、「陸海軍の配備、攻撃の時間や場所など戦争の個々の作戦については、天皇はほとんど相談を受けない。それらは最高司令官だけが、ほとんどの場合、決定する。ともかく、陛下は、戦争開始の前に、正式の宣戦布告をなさるおつもりであった」とだけあって、そこには東條の責任を明示する文言はまったく含まれてはいなかった。どのような意図で、掲載の段階で、事実上、東條を非難する内容の文章に変わったのか。

天皇としては、東條への非難を公にしたいところだが、天皇自体は雲の上の人のイメージを大事にしなければ国民の支持は得られない。つまり、東條を公の場で天皇が非難することは、このイメージが崩れてしまう危険がある。そこで考えられたのが有名な『昭和天皇独白録』ではないだろうか。これは、天皇の戦争責任回避のために、東京裁判前に突貫工事で作られた弁明書であり、ボナ・フェラーズ准将の示唆を文章として具体化したものなのだ。天皇への聞き取り役となった『五人の会』のメンバーの一人、宮内省御用掛の寺崎英成の妻はボナ・フェラーズ准将の縁戚であった。

東條は、1947年12月31日の東京裁判法廷で、天皇の戦争責任に関する重要な証言を行っている。

「日本国の臣民が、陛下の意思に反してかれこれするということはあり得ぬことであります。いわんや、日本の高官においてをや」

これでは、大東亜戦争の開戦は天皇の意思だったということになってしまう。

すでに天皇の免責を決めていたキーナン首席検察官は、この東條の証言を撤回させるために行動を起こした。田中隆吉→松平康昌→拘禁中の木戸幸一から東條への説得を依頼した。この結果、翌48年1月6日の法廷で東條は、前回の証言は国民としての私的感情だったとして、撤回した。

東條工作のあとで、田中は松平に招待され、その場で非公式に「今回のことは結構であった」という天皇のお言葉を伝えられるとともに、御下賜品としてジョニ赤のウィスキー1本をもらっている。(『田中隆吉著作集』)

ところで、天皇自身は東條を積極的に評価している。「話せばよく判る」「一生懸命仕事をやるし、平素云っていることも思慮周密で、なかなか良い処があった」などと持ち上げている。しかし、そこは「東京裁判」対策で作成された『昭和天皇独白録』、「私は東條に同情しているが、強いて弁護しようと云うのではない。ただ、真相を明らかにして置きたいから、これだけ云っておく」、と歯切れの悪い内容となっている。

孫の話で知ったことで驚いたのは、東條の次男・東條輝雄のことである。彼は、ゼロ戦や戦後初の国産旅客機YS-11、航空自衛隊のC-1 (輸送機)の設計に携わった有能な技師で、三菱重工業の副社長を経て、三菱自動車工業の社長・会長を1981年から1984年迄務めた。東條家と三菱はつながっていたのである。

他の財閥についてもいえることだが、三菱は戦争のたびに大きくなった。第1次大戦では軍需で多大の利益をあげた。その反動がきた大正9年の大恐慌では、弱小財閥が軒並みつぶれたのに反し、三菱は資本を蓄積して銀行部や営業部などの各部を株式組織に改めてこれに備えたので、微動だにしなかったばかりか、逆に伸びたのだった。また第2次大戦でも大量の軍需をまかない、企業としては大幅な拡張をみたが、終戦と同時に財閥解体の憂き目にあい、ついに崩壊するかにみえた。けれどもその組織と人材とはほろびなかった。そして今日では三菱グループとして各社が互いに資本や技術を提携して産業界の大きな勢力になってきている。おそらくその規模は戦前の何倍かになっているであろう。つまり三菱財閥は国家の興隆とともにあったのだ。64年当時三菱電機社長高杉晋一著『私の履歴書』より


戦争で儲けていった三菱。『男たちの大和/YAMATO』の戦艦大和そして武蔵も三菱製だ。

東條由布子は、いま講演でひっぱりだこらしい。最近では、自衛隊での講演も多いという。

ちなみに、東條の部下にはろくな奴がいない。

東條の腹心の部下としては「三奸四愚」と呼ばれた三奸:鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二、四愚:木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄やインパール作戦を直訴し白骨街道を築いた牟田口廉也、陸軍大臣時代に仏印進駐の責任問題で一度は左遷したが、わずか半年後に人事局長に栄転し陸軍次官も兼任した富永恭次がいる。富永はフィリピンで特攻指令をだし、自らも特攻すると訓示しながらも、「胃潰瘍」の診断書をもって護衛戦闘機付きで台湾に逃亡した。しかし、これらの部下を東條は処分しなかった。
(wikipediaより)

自衛官は、東條を軍人としての反面教師と思っているであろうか?
posted by 死ぬのはやつらだ at 02:40| Comment(10) | TrackBack(3) | 戦争責任と靖国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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