日本海軍の人間ミサイル「櫻花」。
愛国心に燃える大田正一の提案により、1t爆弾を積んだロケットを人間が操縦することとなった。本来であれば「電子計算機」が無人操縦するのが理想だが、当時、小型のコンピューターは開発されてはおらず、苦渋の選択であった。もちろん脱出装置などは無い。改造された一式陸攻の下部に搭載、射程内(高度7千で投下して約60km)で投下、数秒のロケット噴射により敵艦に体当たりする……。日本海軍は「櫻花」を大量生産し、本土決戦兵器として運用しようとホンキで考えていた。
「櫻花」の初陣は1945年3月21日。野中大尉が率いる神雷部隊が出撃する事に決まった。神雷部隊司令岡村大佐、五航艦参謀長横井少将は、陸攻18機に対して掩護戦闘機55機では成功の望み無しとして、五航艦長官宇垣中将に計画延期を進言した。しかし無能の上司、宇垣中将は「今の状況で桜花を使えないなら、使う時が無い」として自分の面子と自己満足のため計画を強行した。
午前11時20分、神雷部隊は鹿屋基地を発進したが、途中22機の掩護戦闘機が故障で引き返した。多数の敵機の迎撃を受け甚大な被害が発生することは間違いなかったが、アホ宇垣中将は「必死必殺を誓っている若い連中を呼び戻すに忍びない」と攻撃続行を厳命した。
その結果がこの映像である。
グラマンF6Fからの射撃により、簡単に火を噴く1式陸攻…。
通常でも鈍足の陸攻は、「櫻花」を搭載することにより米軍の格好の餌食となったのである。
人間ミサイルが敵艦隊に向けて発射されることはなく、全員が壮絶なる最後を迎えた……。
18機の母機が全機撃墜されるのにかかった時間はわずか20分程度であったという……。
posted by 死ぬのはやつらだ at 23:59|
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大日本帝国と戦争
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