
その2日前、昭和天皇はマッカーサーをはじめて訪問。
マッカーサーは、このときの天皇の発言を『回想記』に書き残し、その邦訳は朝日新聞(!)誌上で1964年に連載された。
その中の有名な一文。
「私は国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」
この伝説は、保守系新聞により、
「一身はどうなっても…責任はすべて私に」(昭和天皇死去時の産経)
などと美化されて昭和天皇を賛美するものとなっている。
それならば、『天皇独白録』のこの記述はどうなるのか?
対英米蘭戦争の開始を決した1941年12月1日の御前会議について天皇は、
「閣僚と統帥部との合同の御前会議が開かれ、戦争に決定した。その時は反対しても無駄だと思ったから、一言も云わなかった」
「一身はどうなっても」と述べたものが、このような言い訳をわざわざ残すだろうか? どう考えても東京裁判での訴追を免れたいという言い訳にしか聞こえない。
ところで、この『マッカーサー回想記』が連載されていたときに雑誌『文芸春秋』は批判特集を組み、
「『回想記』とは自己弁明と自慢、自惚れの渦の中にある、ほんの一握りの真実……である。だから、功なり名とげたお年寄りの単なる自慢話ならば、黙って耳もかたむけよう。……だが、その老人の話の与える影響がかなり大きいとなれば、問題は自ら違ってくる。我々は、事実を知らなければならないからだ」
と指摘していた。
ところが、いつのまにかこの『回想記』が真実となってしまったのである。
posted by 死ぬのはやつらだ at 22:39|
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