29年潜伏の元活動家が出頭 成田闘争で20日に判決
2008年6月6日 02時01分
成田空港建設予定地で1971年、強制執行の反対派と警察官が衝突した事件で、公務執行妨害罪などで起訴され保釈、79年の千葉地裁の求刑公判時に行方不明となった元地方公務員渡辺往勇被告(69)が千葉地検に出頭し収監されたことが5日、分かった。公判は今月20日、29年ぶりに再開され、判決が言い渡される。
関係者によると、渡辺被告は元中核派メンバー。先月下旬、事件当時からの弁護士に突然、電話して都内の事務所を訪問。身元を隠した生活を続け、今後に不安があることなどから出頭の意向を示したという。今月3日に1人で出頭した。建設現場の日雇い労働などで生計を立てていたという。(東京新聞 TOKYO WEB)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008060501000850.html?ref=desktop
さすが中核派。革命への前段階としての地下への潜伏29年。その間に反撃の機会を狙っていたが、あれよあれよでオジイチャンだわい。
ところで、中核派といってますが、正式名称は、
革命的共産主義者同盟全国委員会
なんか、ワケワカランが凄い組織のような気がしてしまいますな。
最近見た『中核派』指名手配ポスター
「殺人、放火の凶悪犯人です」って決め付けていることに注意。あくまで容疑者でしょう。
裁判も受けていないのだから……。
さて、映画『実録・連合赤軍』の上映が好調ということもあり、連赤事件が左翼運動衰退の原因となった、との論調の中、じつはそれ以前に中核派・解放派と革マル派によるお互いの暗殺を目的とした「内ゲバ」の方がもっと重要ではないか……と思ったりするわけです。
警察としては、内ゲバで過激派が自滅してくれるのを待っていたわけですね。
また、中核派の規模に比べれば、革命左派なんぞゴミのようなものだったりしますので、ネギカモだったのかもしれません。
だから、左翼学生運動壊滅を狙った後藤田とすれば、彼らのアジトにスパイを潜り込ませるなんぞ、お茶漬けサラサラ。ベースからは数名が脱出に成功しておりますが、彼らの内の誰かが「総括」を警視庁に報告。その後の銃撃戦は、想定内のデキゴトなのかもしれません。






子どもの父親は活動家で地下潜伏中,とのことでした。
交番に顔が出るほどの有名人ではなかったようですが,
20年以上音沙汰無しで,生きているやら死んでいるやら。
残された息子さんは素直にまっすぐ育ってまして,
順調ならとっくに東大卒業して世間に出ているはずです。
(合格したとこまでは話に聞いたのですが,その後連絡してないんで)
まあ、官僚にはなっていないでしょうが…
三里塚といえば成田空港開港以前は肥沃な農地が広がっており牛蒡をはじめとする数多くの農作物が栽培されていた土地柄であった。
国家権力により強制的に自分の土地を奪われ、生活の手段である農業を続けることが出来なくなった農民たちの心の内は如何ばかりであったろう。
そんな農民たちを助ける為に立ち上がった過激派は残念ながら「違法」な手段で権力に対抗するしかなかったのである。
余談だけども私には「成田空港」の遠さの所為で酷い目に遭った嫌な思い出がある。旅行で帰国したその日、到着が2時間以上も遅れて乗り継ぎが不可能となった。翌日は国家試験が待ち受けており、何としてもその日の内に帰宅せねばならなかったのだが現在と違い成田エクスプレスも京成もなかった当時は車でしか羽田へ向かう手段がなかった。しかし!日曜日の夕方とあって羽田方面へ向かうバスもタクシー乗り場も長蛇の列、とても間に合いそうもないと絶望しかけた私に突然救いの神が。
その個人営業のタ◯シー運転手は指3本で羽田行きを了承、法定速度の約◯倍で走ってくれたのでやっとこさ間に合ったが、詰まるところ犯罪を幇助しちまったじゃねーか、バカヤロー!
え、試験の結果はどうなったって?楽勝、楽勝。(という程でもなかったが)(長々と駄文スマソ)
それに対して、「連赤」の場合は、「世界革命を目指す赤軍派」と「反米愛国の毛沢東主義者」という水と油の考えを持つ者を無理にひとつに同化させようとした「粛清」であってある意味精神的な「残虐さ」は革マル対中核、解放派の内ゲバより何倍も大きかったと思います。
「連赤」の場合、スパイとして処刑された数人はともかく、あとの多数は「同志として総括を援助する」という「同志愛」の名のもとに殺されたわけですから。こんな理不尽なことは無いわけです。
そうですね、「敵」を殺すのと、「仲間」を殺すのでは、凄惨さと精神的なダメージがまったく違いますね。
それまでは、お友達組織であった革命左派の仲間の「殺人教唆」をした永田の罪は谷よりも深いなぁ。
ブント戦旗派から一水会に入り、リンチ殺人事件で千葉刑務所に収監された作家「見沢 知廉」はそこで連赤の吉野にあい、吉野から公安のスパイの実在を示唆されておりました。
ちなみに彼は、両親バット殺人事件の人にもあい、刑務所での野球大会が怖かった、と懐述してましたね。
たしか吉野は、刑務所内で「あさまさん」と言われてたんだよね?
>そんな農民たちを助ける為に立ち上がった過激派は残念ながら「違法」な手段で権力に対抗するしかなかったのである。
燃料輸送路線の工事に携わっていた飯場の作業員宿舎に放火して殺しちゃってませんか。
連帯すべきプロレタリアートを。