
あさま山荘銃撃事件で「人質」として脚光を浴びた管理人婦人。
彼女が沈黙を続けている理由があるらしい……
長野県北佐久郡軽井沢町大字発地
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昭和四三(一九六八)年。馬取の別荘地の一角、山の頂上付近の急斜面で、また新しい保養所の建設が始まった。真っ正面に、雄大な浅間山が望めるこの建物。付けられた名前は『あさま山荘』。のちに、日本中を震え上がらせた大事件の舞台となる、あの保養所である。
ある日、現場で働く作業員に声をかけてきた一組の夫婦がいた。
「私たちを、この保養所の管理人に雇ってくれませんか?」
牟田郁男と泰子だった。郁男は、三一歳。その年の夏まで、九州・福岡の運輸会社でサラリーマンをしていた。年老いた妻の両親の面倒を見たいと、一念発起、長野に移ってきたばかりだった。その傍らには、こぼれるような笑顔の妻・泰子がいた。二七歳になる泰子も、保養所の管理人になろうと、調理師の免許を取ったばかりだった。
「管理人に雇ってください」
頭を下げる二人の姿は、真剣そのものだった。牟田郁男は、このときのいきさつを懐かしそうに振り返る。
「私たちが軽井沢に来ようと決めたとき、じつは別の保養所の管理人に雇ってくれるという話があったんです。でも、その話がうまくいかず途方に暮れていたとき、たまたま、あの現場を見つけたんです」
二人は、すぐに工事の現場監督の目に留まり、保養所の持ち主に紹介された。そして、すぐさまあさま山荘の管理人に採用された。(プロジェクトX あさま山荘/衝撃の鉄球作戦 より)
一般に報道されている牟田泰子さんのイメージはこのようなものだろう。
凶悪な過激派学生に囚われた悲劇のヒロインである。
ところが、連合赤軍は彼女を人質扱いはしなかった。
映画『実録・連合赤軍』には、その様子が描かれている。
あさま山荘の管理人・牟田泰子さんは人質になった。でも救出された時、「犯人は紳士的だった」と言った。そりゃそうだろう。思想犯だ。強姦魔でも痴漢でもない。思想犯なんだから、婦女子は紳士的に取り扱う。乱暴などしないし。ところがこの発言を聞いて警察は激怒した。「バカヤロー!あいつらに警官が二人殺されてるんだ。民間人だって一人殺されてる。凶悪な犯人を『紳士的だった』とは何事か!」と。
これで牟田さんは黙った。もう二度と口を開くことはなかった。テレビでは「戦後の10大ニュース」とかがあると必ず1位か2位に連赤事件が出る。しかし、牟田さんの「生の声」が聞かれることはない。「警察の方々、国民の多くの人々の協力で助けてもらった。だから、それに応えなくてはいけない」と思い、頑なに口を閉じているのだ。(鈴木邦男 今週の主張・2003年1月13日)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2003/shuchou0113.html
事実はほぼ、鈴木さんが書いている通りであるが、牟田さんが沈黙している理由は他にある。
編集部 映画のなかで、あさま山荘のおかみさんがいましたが、あのおかみさんは私の聞いている情報だと、九州のあるところでお金をちょろまかしたかして、あそこに逃げていたという噂を聞いたのですが。
若松 そうだ。僕たちも一生懸命事実を調べた。あれは九州の宮崎から男と2人で逃げてきていた駆け落ち組みだ。公金横領がばれていた。あそこに逃げて来て2人でこっそり住みついていた。あさま山荘の5人が捕まった時、1回だけだが、その女性が「5人はいい人だし、親切だった」と発言したのが報道された。そうすると、警察側は慌てて、「あなたの過去の問題を全部消してあげるからあらゆる報道に一切出てはいけない」と封じ込めたという。だから、その後は1回も出ていない。
だから、映画「実録」のシーンの台詞で、「裁判には呼ばないでください」とわざわざ言わせている。裁判に証人として引きづりだされたら、彼女の旧悪がばれちゃうからね。(月刊誌『状況』6月号)
坂口(死刑判決 再審請求中)は、このときの泰子との約束を守り、裁判で弁護側から出された彼女の喚問を拒否している。
あさま山荘での銃撃戦は、牟田泰子という存在のおかげで無意味なものとなった、という見方もできるであろう。
本来であれば、左翼による国家権力との初めての本格的な銃撃戦として、連合赤軍側が全員「壮絶なる戦死」をしていたはずである。これにより、5人の戦士による「共産主義化」は達成されて、後に続く「革命戦士」が何かをやらかしてくれたかもしれない。
しかし、「剃刀」と称された後藤田警察庁長官はそれを許さなかった。
犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾を引く。国が必ず公正な裁判により処罰するから殺すな。
報道関係と良好な関係を保つように努めよ。
かくして、彼の描いたシナリオどおりに事は進み、マスゴミによる「狂気集団」キャンペーンにより左翼学生運動は終焉していくのである。






「牟田泰子」「横領」で検索したら、この件は全くヒットせずに朝日叩きのブログと2chスレばっかりヒットして笑った
後藤田さんは自民党ではまだマシな人だけど、警察に都合の良い勝手なストーリーを作った「あさま山荘」の件と、後の死刑執行復活は納得いきませんな。それにしても思いっきり「顔だし」ジャケの「アサヒグラフ」もがあったんですね...うーん、美人かなあ(笑)。
彼女がチヤホヤされた理由もそこにあり、本当ならテレビに出演することもできたものを、公金横領による駆け落ちがバレルことを恐れ、潜伏(W)したのです。
「アサヒグラフ」は川本三郎氏によれば、当時の朝日が出版している雑誌の中で一番過激だったそうです。
朝日ジャーナルは赤瀬川による「アサヒガ アカイ」騒動でケツの毛まで左翼思想を抜かれた残りカスのような雑誌となっていたらしいですよ。
>うーん、美人かなあ(笑)。
やきとり同士
いまだ共産主義化が足りないようだね。総括を要求する。
ただ、この意見にかんしては若干だが同意することも視野に入れた要求である。苦笑
> (月刊誌『状況』6月号)
という記述ですが、これは
# 月刊『情況』2008年6月号、情況出版・刊
ではないでしょうか。
版元公式サイト(閲覧に際して音量注意)
# Situation Online
# http://situation.main.jp/index.html
に最新情報がありませんので、
他サイトから当該号の情報を引用します。
# 月刊『情況』2008年6月号 2008年5月27日発売
# http://www.mosakusha.com/newitems/2008/05/30/_20086.html
# http://item.rakuten.co.jp/book/5685571/
# http://www.amazon.co.jp/dp/B0019ZD6W4/
現在手元に当該号がありませんので確認できませんが、
死ぬのはやつらださまにおかれましても
いま一度ご確認いただければありがたいです。
当時、うちの親から聞いた話では牟田夫人は救出後の第一声が「いちごが食べたい」だったので、人が殺されてるのに何事かとバッシングされ、マスコミ不信になったということでしたが。
いくらなんでもそのくらいのことで被害者を叩くとは思えませんね。
言われてみれば、31歳と27歳の夫婦が
田舎の山荘の管理人になるというのも、不思議な話ですよね。
奥貫薫はドラマ「白夜行」で伊藤素子っぽい犯罪者を演じてましたが、そのテイストで演じればよかったのにな〜
ご指摘ありがとうございます。
×状況→○情況
なお、6月号は
緊急特集『実録・連合赤軍』をめぐってとなっており、ほぼ全ページが連赤の記事です。大変濃い内容ですので一読をお勧めします。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B0019ZD6W4/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
植垣氏の最新原稿や、聞き逃した若松×西部×足立の対談も載ってるし、いてもたってもいられずアマゾンで注文しちゃいました(笑)。
今回のやきとり同志の行動は支持できますw
記事の中でも、特に京浜安保共闘の京谷明子氏による、山岳ベースへの過程は、彼らがなぜ山に行ったのか、永田とはどういう女性だったのか、という疑問に対し、なるほどと納得できる内用になっている。