死刑判決の要旨に「民主主義の根幹を揺るがす犯行」とあるが…???
【6/1】追記あり。
暴力団による銃器犯罪の典型であるとともに行政対象暴力として類例のない極めて悪質な犯行である。暴力によって被選挙人の選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪うとともに、選挙民の選挙権の行使を著しく妨害し、民主主義の根幹を揺るがす犯行というべきである。民主主義社会において到底許し難い。
この判決趣旨に対し、朝日新聞は手放しで賛同している。
暴力で言論や政治活動を封じようというのは、民主主義に対するテロである。裁判官はテロの社会的な影響の深刻さを重く見て、いまある刑罰の中で最も重い死刑を選んだということだろう。厳罰化の流れが背景にあるとはいえ、そうしたテロに対する厳しい姿勢は十分うなずけるものだ。http://www.asahi.com/paper/editorial20080527.html#syasetu1
今月29日付の日刊ゲンダイで田中康夫が長崎市長殺人は免罪される筈もない行為とした上で、判決文には違和感を覚えるとしている。
一体全体、日本の「民主主義」は斯くも崇高で、日本の「選挙制度」は斯くも清潔な代物、と断言し得るのですか、と。更には、日本の「言論機関」は斯くも完璧な代物、と断言し得るのですか、と。(日刊ゲンダイ)
まったく同感である。
長崎は三菱重工が政治的・経済的に支配する土地。企業ぐるみの選挙は当たり前。三菱にNOと言う者は当選できない。そんな長崎の選挙は清潔なのか? 有権者の意識は崇高なものなんだろうかw
この判決に関しては、左派もネット上で支持する者が多いようだ。
城尾とつきあいのあった人物には、「日本会議」の関係者もいるし、城尾の所属していた暴力団とさる極右政治家の非公然後援会とのつながりが指摘されたこともあった。それらを思い起こすにつけても、城尾哲弥は断じて許すことができない。(城尾=被告)
これは、とあるブログの記事だが、
このような言動が言論の自由を謳う者から出るのが驚きである。
どのような政治団体を支持しようが、それが判決に影響されることは決してあってならない。
それが暴力団による犯罪であっても、そのことが量刑に影響されてはならない。それが公平な裁判ではないだろうか?
この判決の翌27日には、渋谷区の自宅で妹をバラバラ殺人した兄の判決があったが、懲役7年だった。
田中康夫が上記のゲンダイで書いている。
如何なる殺人も正当化される筈はなく、と同時に、如何なる殺人にも優劣の差など有り得ません。それは所与の公理なのです。とするならば、図らずも判決も社説も、人間には貴賎上下が存在する、との選民意識に裁判所や新聞社が無自覚にも立脚する深層構造を露呈しています。
殺害相手が「長崎市長」だから殺害時が「選挙期間」だから被告人が「ヤクザ」だから死刑とは、法の下の平等を逸脱している。
朝日の社説はこうも書いている。
今回の事件をきっかけに、暴力団対策法が改正された。行政の許認可への介入や入札への参加を要求する行為にも中止命令などを出せることになった。警察は行政と連携を強め、あらゆる法令を使って、暴力団を排除していってもらいたい。
テロを憎み、暴力団を追いつめる。今回の判決を機に、その思いを新たにしたい。
何を書いているのか。
暴力団と持ちつ持たれつってのが警察だし、政府自民党の歴史はヤクザを都合よく利用した黒い歴史でしょうが。
「清潔」な「選挙制度」の下で、ヤクザに汚れた「票」集めをさせて維持してきたのが自民湯というナマヌルイものだろうに。
ブログ迎春閣之風波に長崎で右翼に狙撃された元市長の本島さんのコメントが載ってるな。
http://ameblo.jp/voodoo32kpci/entry-10101787581.html
佐高:話が通じない相手もいるんじゃないですか。
本島:確かにいます。暴力団と一切会わなかった伊藤(一長長崎市長:2007年4月.暴力団幹部により射殺)さんの対応に何の間違いもありません。ただ伊藤さんを射殺した暴力団幹部は市役所に相手にされず、社会にも粗末に扱われていたという思いを抱いていたそうです。僕なら「あんたも長崎市民だから粗末にできんよねえ」と言って会い、「でも暴力団をしている限り、言うことは聞いてやれん。暴力団を辞めんか」と語り続けたと思います。こういう事件が起きた時、犯人の人権や犯人を生んだ背景も考えて対処しないといけないと思います。
中略)僕は、虐げられた人たちに出会うと、分かり合えるんじゃないかとまず思ってしまう。法を外れても、カネをやってもいいんじゃないかとまで考えてしまうんです。
さすが、死ぬ覚悟を持ち合わせた元長崎市長だ。
政治家や言論人は「死ぬ覚悟」がなきゃ、やっちゃいけないべ。






詳しく言えば日本は軍隊を保有すると珍風の泡沫候補が言ったとするよな?
その時いかれた平和主義者がその泡沫候補を拳銃で売って殺したとする。
問題は次の点にある。
もし、死刑にならなければムカつく候補を選挙中に殺そうというアホが出てきます。
これは選挙におけるタブーを作る事に通じ候補者に対する言論弾圧に繋がります。
ま、今回は私怨で思想的な犯罪じゃないにしろ伊藤一長氏を勝手に殺した城尾が死刑になる事には当然としかいいようが無いですね。
逆恨みって解るか?
ま、いいや、あんまりボケた事言ってると笑われるぞ?
少なくとも私は「(暴力団による)不当要求防止責任者講習会」に於いて講師の警察幹部の方がうっかり口を滑らしたのを知っております。(笑)
とかくこの世はタテマエとホンネを使い分ける煩わしさから逃れる事はできましぇん。
自分たちでドンパチやるぶんには節度を守ればけっこうだから。
政治家もまたやくざのようなものというのは措いておきましょう。
世の中、ヤクザがいて芸能が成り立っているわけでしょう。
プロレス興行だってそう、祭りの夜店だってそうだね。ヤクザ自身が天照大神を祀って、「美しい日本の伝統」を守っているわけですから。
風営法で厳しく取り締まったから、素人女子高生さんの売春が増えてしまっている。
売春はヤクザのシノギですからねぇ。
ヤクザもいる明るい社会
これでいいのだ!
>左派もネット上で支持する者が多いようだ
>城尾とつきあいのあった人物には、「日本会議」の関係者もいるし、城尾の所属していた暴力団とさる極右政治家の非公然後援会とのつながりが指摘された
>それらを思い起こすにつけても、城尾哲弥は断じて許すことができない。
この「左派」ブログは、マジメに書いているのかと驚きました。「日本会議」の関係者とか「極右政治家の非公然後援会とのつながり」があると、なぜ、「許すことができない」ということにまで飛躍するのかさっぱりです。
>どのような政治団体を支持しようが、それが判決に影響されることは決してあってならない
もう、全くその通りだと思います。きっと朝日の社説や判決が「民主主義」と書けば素直に鵜呑みにし、「極右政治家の非公然後援会とのつながり」といった怪しげなものに惑わされるからなのでしょう。判決に対する批判になぜ目を向けないのだろうかと思います。反対意見・批判を尊重することこそ、民主主義であるのに。
>反対意見・批判を尊重することこそ、民主主義であるのに。
まったくその通りです。
「君の意見には反対だが、それを発言する自由を命がけで守る」ってのが言論の自由の原則。
右よりの者だから死刑でよい、と言うのは、左翼だから投獄された戦前戦中の暗黒時代を支えた者たちと考えは同じだということです。