我々は(死刑賛成派も反対派も)、あまりにも日本での死刑について知らないことが多すぎるのではないか?
いま俺は、森達也の「死刑」を読んでいるが、「エッ、そうなのか?」の連続だ。
あの連合赤軍の「総括」で同士を殺した左翼の植垣さんが、右翼の蜷川さんと鼎談しているなかで、死刑確定囚の外部交通権を取り上げている。
植垣 僕は獄中から変えていこうという人間だったので外からの支援とかそういうのはそれほど意味がないと思っている。『獄中通信』をつくったり、死刑囚の支援とかもともと僕ら政治犯がはじめた。だから本気で死刑廃止を訴えていくのであれば中に政治犯が入らないといけないんですよ。あるとき、看守が僕の目の前でたまたま、懲役ぶん殴ったんですよ。「なにやってんだよ、やりすぎだろ!」と怒鳴った。そしたらその看守は僕のところにきて誤りましたよ。そういう意味で刑務所には政治犯の役割ってある。
蜷川 たしかに、刑務所で原稿用紙がつかえるのは植垣さんがガンガンやったからだもんね。今いる死刑確定囚の人はほとんど政治活動に関わったことがないけど、本来ならば死刑囚が3人集まって法務大臣を告訴するとかして、そういう声がどんどん起きれば世論も無視できないだろう。
植垣 そのためにもまず外部交通権を確保すべき。今は死刑が確定した途端に外部交通権が遮断されてしまうけど、免田事件で再審が認められる前まで保障されていた。死刑囚の刑の執行は死刑でしょ。僕らのように懲役は刑務所にいってから外部交通権は遮断される。だから彼らは死刑執行される前まで外部交通権は保障されないといけない。刑事訴訟法にも死刑囚は未決囚の処遇に準じるという規定がある。にもかかわらず死刑が確定した途端に懲役と同じ扱いになる。これは法律違反ですよ。この問題はもっと追及すれば、死刑に対する問題提議はだいぶ変わってくる。(実話ナックルズ5月号)
そもそも、死刑囚が刑務所に収監されないことを、どれだけの国民が理解しているだろうか?
死刑確定囚は死刑執行だけが与えられる罰なので刑務所には収監されない。死刑確定囚は、刑の確定前も確定後も、未決囚と同じ拘置所に拘禁され続ける。
そして、死刑が確定すると、家族と弁護士以外は面会を許されなくなる。外部交通権、外部との手紙のやりとりも原則的に禁じられる。
被害者遺族とのやりとりも一切できなくなるのだ。
本村さんは死刑判決後の記者会見で、
「胸を張って刑を受け入れて欲しい。これまでの供述を翻したのが一番悔しい。もしうその供述をしたのであれば言ってほしい。心から謝罪できる日が来ることを望みます」と述べたが…
死刑が確定してしまえば、直接、謝罪を聞くことは不可能になる。
死刑を要求している本村さんなら、とうぜん知っていることと思うが、それでいいのか?
どうやって、本村さんは、被告人が「心から謝罪」したと確認するのか?
死刑が確定してしまえば、それは無理となり、単なる「絵空事」になってしまうのではないか?
て言うか、実はたいして興味がなかった。
すんませんでした。
なんか違う気もするけど、すんませんでした。
もう一度刑事訴訟法読み直してきます。
だから死刑囚を支援する人は養子縁組とかするわけね
某有名刑事番組で法律が変わってそうなったと言ってたけど、真偽は知らん
いまのところ、わかったのは、日米の死刑制度の情報公開には相当な隔たりがあるということです。
日本はほとんど秘密主義ですが、アメリカは野蛮なようで、死刑執行にあたり、死刑囚は外部に自由に電話もかけられ、執行の日時は死刑囚の家族にも連絡され、最後の面会も許されている。
しかも、死刑執行には被害者家族や死刑囚の親族の立会いも可能だ。
ひっそりと執行される日本とは大違いで、人間性も感じられるような気さえしてしまう。