このときの様子を山下清は「ヨーロッパぶらりぶらり」という本にして出版している。
この本は、ホントウに傑作。山下清の穢れないストレートな考えが新鮮でハッとしたりドキッとさせられることうけあいです。
その中で戦争や靖国に関する記述があったので紹介します。
山下清は、パリ凱旋門の「無名戦士の墓」を見て考えたのでした……
がいせん門は思ったよりずっと大きな建物で、とても門とは思えない。兵隊のくらいになおせば、世界の門の大将で、日本の門の大将は日光の陽明門です。陽明門とがいせん門とどっちが上かというと、それは人によりけりで、陽明門はこんもりした緑の森のなかで赤や青や金色がきれいなので、がいせん門はよくすんだ青空をバックにしてがっしりとかまえているところがりっぱなので、強さとやさしさがちがうところです。
がいせん門の前に荷車の輪のようなかっこうをしたものがあって、まん中に穴があいていて、そこからうっすらと煙がでているので、そのそばにバラだのユリだのの花束が山とつまれていた。これは無名戦士の墓というので、フランスにある墓の中で一番大事な墓なので、外国の大統領とか王様がフランスにやってくると、なにをおいてもこの墓におまいりするのが礼ぎです。
どうしてこの墓に広瀬武夫とかたちばな中佐とか、ちゃんとした名前がないかというと、これはぼくの考えですが、戦争でたくさんの人が戦死すると、だれがだれだかわけがわからなくなることがあるので、名前のわからない死人の骨は家へおくりかえすことができなくなるので、そういう骨をそまつにすると、兵隊にとられたとき、名前のわからないような死に方をしたときなんにもしてもらえないと、兵隊のなり手がへってしまう。兵隊のなり手がないと戦争にまけるので、戦争にまけたくないために「無名戦士の墓」を大事にする。
いくら大事にされても兵隊にとられて死ぬのはいやな人もあるので、なりたい人だけ兵隊にすればいいので、なりたい人がすくなすぎれば、戦争をしなければだれも戦死しなくなるので、それなら「無名戦士の墓」もいらなくなって、パリの名所がひとつへることになる。
日本にも靖国神社があって、みんな名前のある戦死者をまつってあるので、靖国神社のおまつりにはお化けの見世物や電気あめやところてんがあって、戦死するのはいやだけれども、お祭りはおもしろいので、戦争はやめてお祭りだけのこせばいいのです。
「無名戦士の墓」にお祭りがあるのかないのかしらないけれども、もしお祭りがあるのなら、ぜひみたいものだ。
どうですか?
素晴らしい感性の文章だと思いませんか?
最初に山下清は凱旋門と陽明門を兵隊の位で大将としています。
この兵隊の位で表す表現方法は、山下清独自の表現方法で、戦中から戦後までずっと、人やモノの評価の基準となっているのです。
知の巨人である鶴見俊輔は、「かわらぬモノサシによって同時代人をはかれる日本人は、われらの間に何人もいない」と山下清を評価している。戦後、日本人のモノサシの基準は「お金」と変貌しました。
その点、山下清は本当に「ブレない」人なのですよ。
それと、凱旋門と陽明門の美しさの分析は、彼が天才画伯である何よりの証拠です。
兵隊になりたい人が少なすぎれば、戦争は起こらないので「無名戦士の墓」も「靖国神社」もいらなくなる。
単純明瞭な答えに、我々が忘れている大事なことを山下清に見透かされているような気がしてしまいます。
ちなみに、文中の「電気あめ」とは綿菓子のことです。
映画「靖国」の上映を潰そうとする稲田、有村の両議員は、兵隊の位で言うと「2等兵」以下だと思う、と書いておきますね。






「兵隊にとられたとき、名前のわからないような死に方をしたときなんにもしてもらえないと、兵隊のなり手がへってしまう。兵隊のなり手がないと戦争にまけるので、戦争にまけたくないために「無名戦士の墓」を大事にする」
ってのは高橋哲哉氏が「靖国問題」で論じた靖国の本質の一つのそのものですな
フジのドラマみたいなお涙頂戴の美談ウソストーリーなんかどうでもいいから、この様なエピソードをもっと世に出して欲しいですわな
ま、今のマスメディアは2等兵以下だから出すわけねーけど
正確には関西テレビの製作ですが、あの「あるある…」のテレビ局ですからね。
兵隊の位で言うと2等兵でしょう。
「ロボット三等兵」
そうか、人間じゃないから、2等兵より格下なんだね。