2008年03月31日
1970年3月31日 日本航空機よど号ハイジャック事件
田宮らが日本に翌年帰り、武装蜂起することはなかった。
そのかわり、北鮮より「ロレックス」と「ベンツ」が与えられた。
金日成に完全に懐柔されてしまったのだ……。
「国際根拠地」としての北鮮は、最悪の選択であった。
この事件、俺にとっては人事ではないのである。
この日、俺(8歳)とその家族は、ジイチャンとバアチャンと共に、お袋の実家である宮崎への大旅行を敢行していた(宮崎からの帰りには「大阪万国博覧会」に立ち寄っている)。
千歳から羽田空港で乗り換えたのだが、一便遅れていたなら、この日本航空351便「よど号」に乗っていたのである!
タッチの差で、ハイジャック事件を体験できなかった……。
宮崎のバアチャン家に着いたら、このニュースを見ながら、親父が話題にしていたことをいまでも鮮明に覚えている。
宮崎へのお土産として、新巻鮭とジンギスカンを専用鍋とともに持参。
九州の人たちにジンギスカンは、口にあっただろうか?
余談だが、このボーイング727型機ってのは、少年であった俺の心を捉えたヒコーキであり、機体尾部の引き込み式タラップから降りたことは(空港名は失念)、いまでも自慢に思っている。
【蛇足】
03:20頃に連赤ネタあり。
当無礼ログの常連ならおわかりだろうが、重信房子は「よど号事件」も「あさま山荘事件」も関わっていないことをお断りしておく。
この記事へのトラックバック






確か「よど号」のハイジャッカーたちも、飛行機に乗りなれてなかったので最初の計画と違う便をハイジャックしたんですよね。
現在の(逮捕当時)顔が似ているとは思います。
でも、若いときは重信もそれなりの美人だったと思いますよ。