夜中に家に帰ったが、いまだに映画から受けた衝撃は酷く、後遺症になりそうだ。
一言で言えば、連合赤軍幹部の残虐な行為に「ハラワタが煮えくり返る」内容だった。
何度、「このバカヤロー!」とスクリーンに向かって絶叫したかったことか……。
俺は正直、連合赤軍が犯した凄惨なリンチが、この映画を観るまで、どれだけのものだったのか想像できなかった。
頭ではわかったような気持ちでいたのだ。
俺が連赤の関係本で読んだのは、粛清実行犯として懲役20年の刑を終えた植垣さんのものだけだったからかもしれない。
だいぶ前に読んだので、映画を観る直前は資金調達は面白かっただろうなぐらいのことしか浮かばなかった。
あとで知ったのだが、彼は裁判の過程で永田を支援している…
テアトル新宿では、上映開始前に日大闘争の記録フィルムが流された。一緒に観に行った職場の若いやつと気持ちが高まり、「やっぱあの頃はよかったな、羨ましいよ」などと盛り上がっていた。
しかし、その浅はかなボンヤリとした高揚は、映画が始まると木っ端微塵に打ち砕かれた。
凄まじい粛清の描写を見た人にしかわからないだろう。
銃で撃ち殺した方が、どんなにその死が楽だっただろうか?
ナチスのガス室が安楽死だと思えるほど、壮絶な集団リンチ殺人である。
若松監督は、そのリンチを克明に長々と描いていた。
俺は、そのシーンが早く終わって欲しいと思った。さっさと「あさま山荘」の場面に移ってほしいと…。
しかし、若松監督は、スクリーンから目を背けさせることを許さなかった。
これでもか、これでもかと凄惨な場面は続く。
永遠に終わらないのかと、絶望感がふとよぎる。
いつしか俺は、事件の現場に居合わせ、自己批判・総括させられているような気分になっていた。
同士のむごい死は、本当は、哀しくて哀しくて泣けるはずかもしれないが、上映中は泣けなかった。
リンチを指示した幹部、森恒夫と永田洋子の2人への「ハラワタが煮えくり返る」想いがそれを凌駕したのだ。
いま、自宅に帰って、この文章を打っているが、映画館では流せなかった涙がとめどもなく溢れてくる。
無数の仲間の死…。
その中でも明大学費値上げ反対闘争で仲良くスクラムを組んでいた遠山美枝子と重信房子の別れのシーンが、全体を観終わったいま重く圧し掛かる。
国際根拠地化委員会の責任者であった重信はレバノンに旅立ち、いま日本で収監されている。一方の遠山は山岳アジトでの軍事訓練に参加する。壮絶な「総括」が待っていることを知らずに…。
遠山は軍事訓練にも関わらず、化粧をしていたという理由で、森に「総括」を要求される。
1972年1月3日、午前1時ごろ、遠山は森に、自分で自分の顔を殴ることを要求する。
映画ではその時間はわからなかったが、30分もの長い間、自分で自分の顔を殴り続けた…。
遠山の顔は2倍以上に膨れ上がり、切れた口や唇から血が滴っていた。その顔を永田が無理矢理鏡で覗かせた。このあと、映画では描いていないが、丸坊主にされ柱に縛り付けられた。糞尿は垂れ流し、その後も執拗な暴行は続き、逆海老に縛られ放置された。1月7日に死亡。享年25歳。
遠山は結婚していたが、彼女の夫は赤軍派の幹部であり、彼女が息絶えたときには逮捕監禁されていた……
遠山役を演じた坂井真紀の演技が本人のように思われた。
カワイイ顔が凄まじい形相に腫れあがった顔を鏡で見たときの、果てしない、か細い絶叫が耳にこびり付く……。
そして、そして、遠山を「総括」させた永田洋子役、並木愛枝の憎憎しさ。
この顔も心も醜い女は脳腫瘍を抱えたまま、いまも言い訳しながら獄中で生きている。
あぁ。許されることなら、この女の醜い顔をメッタ撃ちしてみたい、と本気で感じた。
このアジトでは、岡林信康の「友よ」が同志たちの間で歌われていたが、この曲を岡林が封印した理由がわかった気がしている。
「夜明けは近い 夜明けは近い」
「総括」で殴られ怪物のような顔となった女性を糞尿まみれのままで縛り放置していた、その横で歌っていた異常さ……
若者たちの燃やされた炎は、「連合赤軍」によって、あっけなく消え去った……
「世の中を良くしようと」した左翼活動は、これ以降、負の遺産を引きずりつつ、いまだに「総括」されずに敗北したのだ。
おかげで、俺は憧れの左翼になれずに終わった……。
クソっ……
ところが右翼の鈴木邦男さんは「そんなに簡単に総括するな」、と主張する。
あの事件さえなかったら今も革命運動が燃え盛っていたのか。違うだろう。そんなに簡単に「総括」してはならない。自分たちの無能力、怠惰を棚に上げて、全てを連赤のせいにするな。それを乗り越えて進む力がなかったのだ。敢えて言おう。この程度の「仲間殺し」は歴史上いくらでもあった。輝かしい明治維新の前夜は、長州、土佐、水戸藩などで「仲間殺し」が日常的だった。江戸時代も戦国時代も、源平の時代も「仲間殺し」の時代だ。日本そのものが「仲間殺し」国家だ。しかし僕らは、歴史として見、「そんなこともあるさ」と寛大に容認している。
連赤事件から36年。連赤はまだ客観的な〈歴史〉になっていない。もう50年たったら〈歴史〉になる。明治維新前夜の「天狗党」「天誅組」「新撰組」のように功罪ふくめて語られるようになる。今は「罪」しか言われない。〈歴史〉になるまで待つしかない。(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社)
うーむ。鈴木さんらしい鋭い指摘だ。
でも、「なぜ、この惨劇を止められなかったのか」、という想いは映画を観た俺自身も含めて、皆がもつのではないか。
若松監督はそんな考えを突き放す。
「少なくとも、死ぬ覚悟もないような連中は、彼らを批判することなんか、できっこないんです。彼らよりも楽なところにいた人間が、批判なんかできないはずです」(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社)
この映画は、誰でも過ちを繰り返す「青春」という感傷の季節に、たまたま居合わせた志溢れる若者を描いた、あまりにも哀しくせつない物語なのか?
いや、そうではないはずだ……
自問自答が「総括」のようにリフレインしている。
あさま山荘でのラストシ−ン。兄への虐殺に加担してしまった高校生戦士の絞るような叫びがよみがえる…。
クソっ、またとめどもなく涙が溢れてくる………
あの時も、長い長い地下までの階段(それくらいに思えた!)、館員が何人もで汗掻きながら「ふうふう」言いながら運んでくれた、70キロもある重い電動車椅子を。
「こんなだったら断れば良かったのに」とは、もちろん俺が吐いたセリフだ。昔は階段のない映画館でさえ、「平日の空いた時に来てくれ」と文句をいわれたものだ。
だが、今回はそうはイカの塩辛。東京エリアはここしかやってない『実録 連合赤軍』!
よし、行くぞ。決めた。
地獄の階段を降りてでも!
本間様、そちらのHPのBBSに書き込みました。ご覧いただければ幸いです。
(やつらだ様、たびたびごめんなさい)
そして、その直後に日比谷野音での「全国全共闘連合結成大会」のニュース映像が流れる。
あの日、実際に私は高校生でピンクのヘルメットを被って、最後部でことの成行きを見てました。
確か、社学同主流派(関東派)に対して、まずモヒカンヘルのML派(毛沢東派)がゲバをしかけ、それがおさまったところで、反対側から、ものすごい勢いで主流派(関東派)に襲いかかった赤ヘルの一団があった。それが、社学同赤軍派の華々しい公然たるデビューでした。
その数週間後、プロレタリア軍団シンパの私たちはなぜか赤軍と内ゲバをする羽目になったのですが、今回映画を見てその理由がやっとわかりました。たぶん、弱小党派のプロ軍は社学同主流派にいろんな借りがあったんだと思います。
あんな強いところとヤルのはいやだと斥候が出て行って話をつけてくれたのでゲバらずに済んだのですが、直前までは死ぬ気でしたし、話がついた時には本当にほっとしたのを思い出しました。
あそこらへんから、映画と事実と監督の今までの作品とが一体になって・・・わけがわからなくなりました。
学生運動が機動隊に対してゲバ棒を持って、暴力的にならざるを得なかったなりゆきはわかるけど、でも非暴力を貫かなければならなかったのだと改めて思います。デモじゃなく、静かな行進をして、アジもせず、アピール文の前に静かに座りこんでいたらどうだったのでしょうか? それは若者には無理だったのでしょうか? 特に男性には・・・弾圧がひどいですもの。でも挑発に乗らず、非暴力を貫くべきでした。
若松監督は「少なくとも、死ぬ覚悟もないような連中は、彼らを批判することなんか、できっこないんです。彼らよりも楽なところにいた人間が、批判なんかできないはずです」(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社)
と言ってるけど、私はそうは思いません。暴力は絶対に認められません。「死ぬ覚悟」も何もありません。
やつらださん、「左翼」にならなくてよかったんじゃない? もちろん極少数の人は今でも初心を貫きとおしているけれど、あんなことやってた人たちの大部分は今のこのどうしようもない日本を積極的に作る立場に転向したのですから。「左翼」になれなかったけど、やつらださんは初心を貫こうとしているのですから、彼らよりずっとずっと魅力的です。
> でも非暴力を貫かなければならなかったのだと改めて思います。
イラクでそれがいえますか?
パレスチナで、それを貫き通せますか?
沖縄で、こないだの少女暴行事件が日常茶飯となった時に、黙ってアピール文だけでいられますか?
俺も、連合赤軍やその他新左翼には否定的だったが、おなじ場所にいて非暴力を貫けなかったかどうかとなると自信がない。
俺は島田療育園闘争で、「死んでもいい」と思った。その覚悟を持ってして生きる者の前に、死以上の屈辱、隷属、愛する者の辱めを見せつけられたとしたらどうだろう。
こないだのガザの悲劇――強国アメリカの後ろ盾を得たイスラエルに、何十年辱められ、蹂躙尽くされてなお世界から見捨てられたパレスチナの現状を見て同じことがいえるのか。
若松監督の「死ぬ覚悟もないような連中は、彼らを批判することなんか、できっこない」という言葉の心髄は正にそこにある。
7年前、『光の雨』という映画があった。高橋伴明が作った連合赤軍映画を、俺はずっと見てないと勘違いした。見てないどころか、論評まで旧ホンタに書いていた。それを忘れたのは、その程度の映画ということなのだ。
若松監督が向けた矢の一本は、まぎれもなくその『光の雨』を射ていることだろう。
若松孝二――昔はサドマゾ映画監督とまでいわれた映画界の異端児だ。SM好きの俺は、その若松映画の過去作品を何本か見たが、一つも萌えなかった。エロとしては興奮しないのだ。
なぜか。それを一番知らなければならないのは、実は俺自身だったというのに。
やつらださんの記事を読んで、若松監督の本領が、ここに至って鬼火と燃えたことを確信した。なぜ若松孝二が、かつてエロを通じてサディズムを娯楽としたか、その答えを『実録 連合赤軍』を通して確認したいと思っている。
貴重な体験談、ありがとうございます。
組織というものは、自然に拡大を目指します。そのためには、内ゲバも辞さないというのが対外的にもアピールすることになるってことですね。
いかにデカイことをするのかって点で、永田と森は私的にも公的にも焦りがあった、ということでしょうか?
>渡辺さん
左翼にならなくてヨカッタのか?
わかりません。
ただ、『世界革命戦争宣言』ってのは、陳腐な表現だけど、夢を感じさせる文句ですね。塩見は情けないオヤジになっちゃったけど。
>ホンマさん
女が女にするSMってのは凄まじいものだと、団鬼六が言っていたそうですよ。
あれがSM作家といえるのかね(www)。
『光の雨』が連合赤軍映画だと断じるくらいのペテンだろう。金儲けが上手いだけの売文作家ですよ、団鬼六なんぞは。
ちょっと違うな。対外的アピールというより、「一番分かるはずの奴がなぜ分からないのか」という焦りによる勘違いと同族憎悪だろうな。
ワタシ的には、団鬼六氏の作品は、「花と蝶」他SMより「真剣師小池重明」たこ八郎氏とのお付き合いなど書いたアウトロー随筆シリーズのほうが面白かったですね。
随筆を読む限り、氏は本格的SMとは距離を置いている方のようです。
SM・・Mの女性に興味あるな
本間さんは極端すぎです。たまにそういうことがあるので、注意してください。
私は政治に暴力を利用するかどうかについて言ったにすぎず、イラクやパレスチナのことなど言っていません。
ちょっと、気になったので、少しだけ。
他人が自分と同様の精神的能力を有していると考えれば、暴力の行使を行った者は、非暴力の原則をさえ踏み越えなければならないほどの憤りを持ったのだとの予測が容易に成り立つ。その上で、彼らが何に憤ったのかを考えることが、暴力という選択を理解するきっかけになる。
もちろん、その考察の上で、憤慨をもたらしたものが行動の理由として妥当ではないという評価は、成立する。
彼らには、暴力的な政治闘争を行うに足りるだけの『理由』があったのだろう。
私にはここまでしかわからない。その『理由』が何であったのか。当時の状況で、暴力的政治闘争以外の選択肢はなかったのか。何もわからない。情報が足りない。
だから私は、とりあえず沈黙する。
俺は、いま、連赤関係の本を読み漁っているのですが、とりあえずは、「殲滅戦」「銃を軸とした建党建軍武装闘争」などという酔い安いスローガンにイイカッコ氏が調子に乗ったのが真相との結論を持ちつつあります。
それと、60年安保で“殺された”樺美智子の詩の一文、「人知れず微笑まん」を結びつけると、連合赤軍を含む“過激派”の若者の心情はよく理解できると思うんだけど。
今、発売中の週刊朝日(3・28増大号)に掲載されている若松監督へのインタビュー(46〜47P)が大変興味深いです。
あの映画の中で「あさま山荘」における銃撃戦の時に内部であったことが、坂東國男経由でかなり監督に正確に伝わっていたらしいこと。つまりあのラスト近くのいくつかのエピソードはほぼ、実際にあったことらしく、それは私には驚きでした。
心情と同情で「総括」を許すことはできません。
森の暴走を止められなかった永田は旧い体質の女性だった。
森が自殺することで、永田に有利な展開もあったと考えます。それを画策した(?)植垣さんにも疑問を持ちつつあります。
>natunohi69殿
あの中でも「●●」を要求したことも事実ですか!
高校生の叫びも本当であるなら、救いですね。
ちょっと勘弁してよ、やつらださん。俺が総括を肯定しているというの? そこまで俺は変態だってかよ。
運動の3か4か5くらいから後はダメでも、1と2、または3、4あたりまでの心情や熱血まで否定していいのかということですよ。
今という時代の愚劣、卑劣は、彼らの大部分の今を否定するあまりに、あの時代の最も輝かしい“心”までも摘み取り、否定しようとしている。そのことに頭にきてるんですよ。
60年安保からこっち、“非暴力”を錦の御旗に、日本共産党は彼らを「トロツキスト」「暴力集団」呼ばわりして排斥した。公明党創価学会はベトナム侵略戦争を「どっちもどっち」と決めつけ、北や解放戦線の捨て身のレジスタンスまで否定した。
まさかイラク戦争までどっちもどっちというつもりはあるまいね? 自爆は狂信だってか?
高校生の叫びも本当であるなら、救いですね。
高校生(加藤元久)の叫びについては、坂東から、それを聞いたのが、この映画を作る動機の一つになったようですよ。
ってことは、吉野と坂東のやりとりについてもほぼ事実でしょう。
私が、今回一番ビックリしたのは、あの要求と、あの段階になっても坂東がそれに応じたことでした。
吉野は無期懲役なんですよね。弁護士が優秀だったから。
どんな「理由」があっても、崇高な理想があっても、暴力がすべてをだいなしにしてしまうのです。暴力は一般人には受け入れられないからです。暴力を使えば、一瞬に崇高な理想が地に落ちてしまうのです。つまり、逆効果なのです。
学生運動が暴力化し、内ゲバや連合赤軍事件、企業爆破などがあったため、その後「崇高な理想」も「過激派」とひとくくりされ、レッテルを貼られ、その影響がいまだに続いています。
私たち中高年の女中心の(暴力なんてありっこない)「運動」にまで、当局は大勢の警官、警備員を動員し、新聞はこぞって「過激派」のレッテルを貼り、一般人を遠ざけるのです。
連合赤軍の罪は重いと私は思います。
> 私たち中高年の女中心の(暴力なんてありっこない)「運動」にまで、当局は大勢の警官、警備員を動員し、新聞はこぞって「過激派」のレッテルを貼り、一般人を遠ざけるのです。
あのねー、当局はどんな場合にだって弾圧するのですよ。連赤があろうがなかろうが、単にそれを理由にして弾圧するのは、連赤のイメージをより一層悪化させることと、両派の分断を策すから。あなたのような運動をしている人からまでそういう理屈がでてくる。そりゃ、内ゲバ、粛正で死んだ者は浮かばれないわけだわ。こんな無様なカキコのしあいをすること自体、官憲の思う壺にはまっていることなんだよなあ。
あさま山荘事件で膠着状態にしたのは連赤の極悪イメージを際だたせるため、今では石原の懐刀ともいわれている当時の現場責任者佐々淳行――原田真人監督『突入せよ!あさま山荘事件』ではヒーローだが、市民と警官からの犠牲者なんか過激派潰しの人身御供でしかないんだろうな、この人非人野郎の腹の中では。
それから、これも原田のバカ映画には出て来ようはずもなかったが、2月の厳寒時、人質のいる山荘に大量の放水を浴びせた。そのため、人質の山荘管理人の奥さんが命を脅かされたのはなんと、この警察の放水のためだった。
しかし、犯人側はこの奥さんをかばって水のかからぬ所に移したかしたはずだが。そんな人間的な配慮に感じ入って犯人側に温情的な証言をした管理人の奥さんを、「ストックホルム症候群」とかいって二重の恥辱を浴びせたのは時の権力とマスコミだったのではないか。
キャツラは百も承知であの手この手で仕掛けてくるんだよ。それに乗っかってどうするの。渡辺さん。あなた、非暴力といいつつ安全圏にいてイイカッコシーの“愛される共産党”とおなじことをいってるよ。
まずはお詫びを。字が間違っていました。
>どんな「理由」があっても、崇高な理想があっても、暴力がすべてをだいなしにしてしまうのです。暴力は一般人には受け入れられないからです。暴力を使えば、一瞬に崇高な理想が地に落ちてしまうのです。
もちろんです。
それをわかっていて、『それでも暴力に訴えなければならない現実もある』と、判断する人も存在するということです。その判断の是非はさておき。
その意味で、パレスチナなどの問題を例示したのでしょう。係争当事者の関係があまりに非対称なので、連合赤軍について語るには不適切ではあると思いますが。
もう一つだけ。
『自分達が被害を受けているから、その原因を作ったと目されるかの暴力は駄目だ』
このような主張では、共感は誘えるでしょうが、他者を説得する材料にはなりません。個別的な事象は例示としての意味はもちますが、あくまで論を支える要素であり、論そのものとしては無力です。
……読み返すとやたら偉そうですね。でも書く。
でも実際に暴力を行使するかはまた別の話で。
高校の時に校内でベトナム反戦のビラ配りや、反戦集会を平和的に開こうとしたのを学校当局に禁止されてバリケード闘争という一種の「暴力」に進みました。
もっともそこで人を傷つけることも傷つけられることもありませんでしたが。
街頭でも最初はノンヘルで平和的デモをやっていたのが、それでも機動隊員にボコボコ殴られたり蹴られたりするので徐々にヘルメットを被り、角材を持ち、場合によっては石を投げ、となっていったのが私の場合でした。
先日NHKでやっていた日大のノンポリ一般学生が大学の不正と戦ううちにいっちょ前の「暴力学生」になっていく経過とほぼ同様だったと思います。
内ゲバ、粛清についてはまた。
これはムゴイなあー。
「泣いた」あなたの感想がこれでは若松孝二ですら浮かばれんだろう。所詮は死ぬ気で闘ったことがない者の感想なのかなあー、敢えてキツイ言い方をすれば。
以下。
たとえば、あなたでさえ悲憤慷慨している現在の日本の情況……
これを暴力以外の方法で今すぐ解決できる方法がありますか? 追い詰められ、死ぬしかないと感じ取った一定集団がどこかにいたとして、それがほとんど格差社会の底辺にいる者であった時、その暴発を安易、愚直、低劣とだけ批判できますか? あの時代の危機、狂気は、別の形でいま目の前にあるではないですか。
ほんの一押しですよ。“その時”に知らなかった、遅かったではすまないのだ。だからこそ、安直と思われる歴史の一瞬一瞬を、今に照らして精査する必要がある。
> 酔い安いスローガンにイイカッコ氏が調子に乗ったのが真相
これは、森と永田への感想ですよ。
この2人に同調した者も同罪でしょう。
森と永田の主導権争いは、恋愛(?)につながり、永田は坂口と離婚して森と結婚(!)。
せめて、森が妻をベースに呼び寄せ、この不順な(苦笑)結婚を皆の前で「総括」してくれたらなぁ。
加藤能敬は恋人の小嶋と、小屋の外でキスしていたのを永田に見つかって「総括」されております。
遠山なんぞ、化粧していただけで、永田の反感をかい、「総括」されております。
「安易、愚直、低劣」の非人間行為として、徹底した「総括」を俺は死人の森に要求しますね。
>私が、今回一番ビックリしたのは、あの要求と、あの段階になっても坂東がそれに応じたことでした。
俺もそうです。俺はあのシーンで失笑してしまいました。
週刊朝日買いました。
ラストのセリフは真実だったようですね。
荒んだ状況の中で、救われる思いです。この言葉を教訓にしていかねば。
彼は1970年代半ば「日本赤軍」の一員として、ハーグ、クアラルンプールなどの闘争を戦いながら、78年から3年かけて「日本赤軍」を脱退。その後PFLPの一兵士として戦った経歴の持ち主で彼の「日本赤軍」を含む日本左翼への批判は重いものがあります。
そうだよね。
やつらださんがそれはないと思った。読みが浅すぎて失礼しました。
m(_ _)m
それはともさかりえ、じゃなかったともかく(爆、最近こればっか)しばらくお暇します。タイもヒラメもありません。ちょっと自サイトがおろそかになっているので……
では、股の機会までごきげんよう! と、最近の月光仮面はマントをひるがえし、電動車イスを吹かして去っていくのです。
クソ、間に合うかな、時速6キロで。洩らしちゃう!
模索舎に売っているかなぁ。捜してみますね。
『自分達が被害を受けているから、その原因を作ったと目されるかの暴力は駄目だ』
というよりも、連合赤軍などの一連の事件の後から、一般人は政治に物申すことからどんどん遠ざかっていき、物申す人を「過激派」(とまでは言わずとも「変な人」)と切り捨てるようになったと思います。
それは本間さんのおっしゃるように、権力による民衆の分断作戦が成功したためですが、こういう状況に対して、私たちはいったいどうすればいいのでしょうか? 理想を持つ者が一般人に伝えたいと思っても、一般人は聞く耳がなく、むしろ「過激派」(変な人)として遠ざけます。理想を持つ者は弾圧によって先鋭化し過激になり、ますます一般人と離れていきます。これでは社会を変えることはできません。
今、生きられない人たちが暴動を起こしたとして、彼らの止むに止まれぬ行動(暴力を含むとして)に共感するのはごくごく一部の人であり、一般人はおそらく理解しません。だから暴力では社会は変えられないと思います。
かといって、言論でも変えられない。非暴力直接行動が最も力を持つと思うのですが・・・。などと言っても、一般人にはその様子が誤った形で(過激なものとして)伝えられてしまう可能性が高いので、なんともわかりませんが。
ちなみに雨宮処凛さんがこの映画の感想としてこんなことを言っていました。カギカッコ内が彼女の言葉です。(「THE BIG ISSUE」89号(ホームレスの仕事をつくり自立を応援する雑誌)
雨宮さんは「若者たちが本気で『世界を変えられる』と一瞬でも錯覚できた時代に並々ならぬ羨ましさをずっと募らせてきた」そうで、「連合赤軍事件以降、この国では若者に『革命』が『禁止』され」、「『政治』について考えたいと思うだけで危険人物扱いされることを世の中の空気から常に嗅ぎとっていた」と言います。
そんな中で若者は世の中の不正について考えることをあらかじめ禁止され、絶望の中で「消費者」としてだけちやほやされた。だから生きづらいのかもしれないとし、最後に次のように書いています。
「たぶん、連合赤軍が殺したのは、同志だけではなかった。あの事件は、この国に生きるのちの若者の社会的な回路をばっさりと切断することで、今も新たな犠牲者を生みだしているように見えて仕方ないのだ。だけど、私は彼らを憎む気持にもなれない。どうしても」と。
『死へのイデオロギ−
日本赤軍派 』
(パトリシア・スタインホフ著)
<これはハワイ大学の教授が書いた名著です>
『赤い春 私はパレスチナ・コマンドだった 』和光晴生著
(集英社インターナショナル)
『宿命(新潮文庫 ) 「よど号」亡命者たちの秘密工作 』
あたりは紀伊国屋の在庫にもありますよ。逆に模索舎には無いかも。
北に渡った「赤軍派」の中でもたぶん「粛清」が行われていたことを知り、ガッカリしたと同時に、「帰国したい」という希望は、拉致家族全員の帰国が前提というのは言うまでも無いことですね。
>そんな中で若者は世の中の不正について考えることをあらかじめ禁止され、絶望の中で「消費者」としてだけちやほやされた。だから生きづらいのかもしれない。
俺自身が、高3の時に「第4インターナショナル」に失望し、成田行きを諦め、大卒後はバブルを消費する「サラリーマン」となっておりました(自己批判)。
いま、真の労働者階級となったことで、「戦闘準備」はできておるのですが、いかんせん左翼運動は天然記念物の状態。
元黒ヘルによる、貧乏人大反乱に期待しております。
インターナショナルは歌う気はさらさらありませんが…
発端が何であれ、一度拳を振り上げてしまったら、それをいつどこに納めたらだろう?
果たしてどんな形でそれを終わらせたらいいのだろう?
彼ら自身にもやっぱり分からなかったのかもしれないですね。
あの小屋での“総括”にせよ、もっと大きなレベルでの暴力や闘争にせよ。
もし戦わざるを得ない状況に陥ったら、自分は一体どうするのか?
本当の勇気って何だろう?
結局、何か行動を起こすということは、正しいか誤っているかの問題ではないのでしょう。
誰にも答えられないことなのでしょう。
自分が生まれるほんの10年ほど前に、こんなふうに命がけで生きていた人たちがいたという事実に、なんというか打ちのめされてしまいました。
鈍器で殴られ続けたような、ひたすら重い3時間でした。
若いから出来ることってのがあるはずです。
彼らの行動を全面肯定はしないけど、勢いでやってしまった事を全否定することは誰にもできないことでしょう。
右だろうが左だろうが、命をかけた行動ってのは美しいものと思える。
「死の美学」ってのが日本人の特有な行動意識にあるはずです。
翻って、いまの日本での「貧困問題」に対する「自己責任」ってので、拳を上げずにいる俺も含めた派遣労働者たちの不甲斐なさは「総括」されるべき問題です。
「死の美学」ってのが日本人の特有な行動意識にあるはずです。
当時の「新」左翼の中で一番左側で「世界同時革命」を唱えていた「赤軍派」と一番右側で「反米愛国」を唱えていた「革命左派」が合体する中で何を目標にしていいかわからない真空状態が起きた時に、日本人特有の天皇制「の、ようなもの」が起ちあがって総括「死」を生みだした。というのが私の連赤粛清についての解釈です。
で、「死ぬのはやつらだ」さんがおっしゃる通り、これは、日本と同じく米英などの連合国から民主主義を与えられ、自分たちでは勝ち取ったことのないドイツやイタリアの若者にも共通する問題意識のひとつの現れ方であったとも思います。
というか、ポストファシズム以降の権力の抑圧にどう立ち向かうか、というのが四方田犬彦が言うように『壁の中の秘事』以来若松監督の一貫したテーマでもあったわけです。
ごめんなさい、これはおかしいですね。
「ポストファシズム以降」では「馬から落馬した」みたいですね。
「ポストファシズムの権力の抑圧」で済むことですね。
以下、ネタバレありです。
私も基本的に渡辺さんと同じ感想です。暴力という手段に出た段階で、彼らの理想は行き詰まりはじめたのだと感じました。
最後、浅間山荘の「奥さん」に丁寧に理解を求め、人質にせず丁重に扱ったのは、やけにリアリティがあり、このコメント欄で「ああ、やっぱり本当だったんだ」と感じました。「革命軍です」・・・たった5人の生き残り。その末路でのプライド。それが滑稽で、悲しくて。
同性への暴力が過激化するのは、昔から体感していることでもあります。なので遠山の死は想定の範囲内でした。森が「元脱走兵」だったことも、強権的になっていった背景であり、彼の後ろめたさの表れだったように感じます。自分たちが殺した同胞を「我々が殺したのではない、自ら敗北したのだ」と宣言するところも、彼の小心さを見せつけられて、なんとも言えなかったです。今の政治家たちと、なんと似通っていることか!
>おかげで、俺は憧れの左翼になれずに終わった……。
この感覚、なんとなくわかります。私も持っているんですよね・・・。私の通った大学は、かなりちゃっちいものではありましたが、自治会が年に2回学部をバリケード封鎖し、日常的に通学路でアジが行われていました。学生運動の時代に学生だったら、おそらく運動に関わっていたのではないか、という漠然とした感覚は高校生の頃から持っていて、だからこそ、ヘルメット姿のアジ演説の、あまりの「ダササ」に幻滅し、ため息をついた覚えがあります。
「憧れの左翼」なんです。でも、ヘルメットのアジ演説にも、日本共産党のポスターのセンスにも共感できず、個人的にフェミニズムを実践するだけに留まっている。
下手したら、私は遠山で、あるいは、お腹の子と殺された女性、処刑を嫌がって殺された女性になっていたかもしれず、いちフェミニストとして、リベラルの端っこに引っ掛かっているくらいが、安全でいいのかもしれません。
「憧れたりうる左翼」の出現を、今も私は夢見ています。ゆるやかなつながりがもたらす「非暴力革命」の夢を。でも、未だに「サヨクは所詮サヨク」なんだと年明けのことを思い出して失望してもいます。
長くなってすみません。
俺は「憧れの左翼」にもっと成りたいと思いつつある。
どん底になって、忘れていたものを思い出しているのだ。
>「サヨクは所詮サヨク」なんだと年明けのことを思い出して失望してもいます。
あんなのはサヨクであって、左翼じゃない。
希望はまだあるぞ。
でなけりゃ、俺なんか、自殺してるよ。
遠山さんが「総括」を命じられて自らを殴り続け、ボロボロになってしまうところから、泣いてしまいました。
縛られて酷い状態になっている彼女を、誰だったか男性メンバーが「汚ねえ女だ」と言う場面、女子高生監禁殺人事件と重なって…。
最後の加藤少年の叫びは実話なのですか。
フィクションなのか、どっちなんだろうと思いながら見ていましたが。
とにかく、痛々しかったです。森、永田の2人も含めて。
これは実話です。
これがあるから「救い」になっているのです。
加藤兄弟は、事件後は一切、マスコミに出ることはありませんでした。
そろそろ、事件に関して、何か語ってもらいたいとも思うのですが……。
二人より一回りも二回りも年上だと思うけれど、私も長い間若気の至りで「左翼」に憧れていました!! (ほんのちょっとの差で学生運動が衰退していた世代なのです)。
でも、違うんですよ。「憧れの左翼」は内ゲバで分裂に分裂を重ね、特例の個人を除き、みんなみんな転向してしまったから、日本が今のようになってしまったのです。「憧れの左翼」は幻想なのです。
水葉さんのいうところの「憧れたりうる左翼」は私たちが作っていくんですね。でもきっとそれは「左翼」じゃないと思います。右左のない自分の意見を持つ個人のゆるやかな集まりだと思います。
新潮社 「連合赤軍少年A」 加藤倫教
当事者が出している本、結構ありますね。
http://yabusaka.moo.jp/sekigunjiken.htm
↑一番最後にリストあり
植垣康博は出所しており、朝ナマに出演したのを見ました。
>でもきっとそれは「左翼」じゃないと思います
そうでしょうね。鈴木さんは、自分が左右を超えたと言っていました。
ただ、左翼への憧れは持っていたい。
kirikoさん
本のことは忘れておりました。情報ありがとうございます。書店に注文してみますね。植垣さんは新宿ロフトのイベントを観に行っておりますよ。
スミマセン、最初のほうに植垣さんの本を読んだことが書いてありましたね。失礼しました。
yahooムービーに映画評をアップしました。
シャルドネさん。『連赤』評拝読。
俺もあなたの評価に同調します。
やつらださんには悪いが、俺は遠山美枝子になどまったく泣けなかった。あなたはあの映画のどこを見て遠山が泣けたのか分からない。いや、分かる。いろんな物を読んだ結果、あなたの中に遠山像が出来てしまっているのだ。
で、スレ違いで申し訳ないが、「『靖国』を俺やあなたが見る必要がどこにあるか」という件の答に戻る。見なくたって映画以上の思い入れがすでに心の中で出来てしまっているじゃないか。あとは、この映画に賛辞を寄せている連中のように、古き時代のノスタルジーに浸るために見るようなものだ。
いったい彼らはなんのために闘ったのか。空念仏のスローガンではない、生の叫びが聞きたかったのだ。そうしたところ、やっと出てきたのが永田洋子の「あなた、化粧してるでしょ、何故?」だった。
初めて共感できるセリフが出てきた。ホンモノの闘士が出てきた。そうだ。戦争するのにちゃらちゃらするなと思った。やるなら本気でやれと思った。「何のために革命すると思ってるの」と言われ、次のセリフを待った。
「あなたたちに絶望するパレスチナの民の心が分からないの?」
「希望のないまま青春を過ごす子どもたちの未来が見えないの?」
「日本はベトナム戦争でも加害国なのよ」
「こうしてる間にも子どもたちの命が奪われるの」
そんなセリフが出てくれば彼らの理想にも共感できる。今はイラク戦争だ。普遍的でもある。やれやれ、あの時代、今の時代、平和ボケの若者なんか映画で、永田のセリフで蹴飛ばしてやれ。そう思ったらそんな説明もなにもなく、酷い総括の始まりだ。なんだ、こいつらやっぱりその程度か。だったら、こんな連中のシンパだった監督、おまえもバカかと思った。
皮肉なことに、俺の求めていたものは1470円のパンフにあった。おそらくは映画館の待合いホールにも飾られていたのではないかと思う写真の1葉、三里塚の農家に泊まり込んで頑張る「援農する若者」とか題した、4人ばかりがスコップを担いで歩く姿の横顔だった。それの方がよほど時代の雰囲気を表していた。そりゃそうだ、生写真だもの。
人に見てもらおうとするのに、素の者に思い入れを期待したいのに、こんな突き放した作りで誰が見ますか。映画作りとしては最低ですよ。金なんか絶対取れません。要するに仲良しごっこの身内映画に過ぎない。
奇しくもこの夜、スカパーで『天使の恍惚』をやっていた。録画して見た。少しはそれで若松映画が分かると思って。これまたさっぱり共感できない。なんだ、若松孝二も鈴木清順同様わけのわからない映画を作る監督だったんだと初めて納得しました。
これ以上は自分とこで書きます。
予想以上の本間さんの批評。
スバラシク カンドウノ アマリニ ナケマシタ ww
俺は永田を評価なんかしてないよ。連合赤軍を一つの組織・軍隊としてみたら、あれは当然の帰結でしょうということ。遠山も小島も細胞の1つに過ぎないのですよ。その非情性を描かなければならないのに、人間を一つも描ききれなくて誰に何のメッセージを託すのか問うているのですよ。
はっきりいえば、今の時代、こんな映画は作るべきではなかった。
こんな描き方では殺された人間は浮かばれるどころか、バカとしか見えない。そういうのを死者の冒涜というのではないか。
生き残った人間はいったい若松に何を助言したのか、出来なかったのか。
ふつうに見れば『突入せよ!』の方がよほどか面白い。それでいいのか。
カッカしないでホンマさん。
ただ、素直に評価できるものじゃない。人が16人も殺されているのだからね。
あの警察バンザイ映画よりも、若松の映画のほうがオモシロイ。
ホンマさんとは永久に意見は合わないということが再確認できましたね。
タイヘン ウレシク ナケテキマスww
ま、いいか。
他の方の意見も聴きたいね。
鈴木清順の『けんかえれじい』『東京流れ者』など大好きな私としては清順と一緒に若松が非難されるというのは喜んでいいのか悲しんでいいのか?
ただ、今回の『実録・連合赤軍』は、見事に過去の身内のことを事細かに描いた映画である、と同時にたぶん、この国が2008年の今ゴロリとまたひとつ悪い方向へ動きだしている、その事をも射程に入れた映画になっている、そのことは素直に評価していいと私は思っています。
老体に鞭打ってもう一回戦わなければいけない、という気にはさせてもらえました。
>清順と一緒に若松が非難されるというのは喜んでいいのか悲しんでいいのか?
俺も清順の日活時代は好きですし、若松監督も「水のないプール」なんか好きですが、別に悲しむことはありません。
映画の趣味がマッタク違う人にナニを言っても時間の無駄です。
乱暴ですね、わたしの言い方は。
わたしも、『けんかえれじい』『東京流れ者』は大好きです。分からないのは分からない映画のことだけです。また、『肉体の門』だって凄いと思います。『河内カルメン』は見てないし、一括りな書き方はわたしの悪癖です。
それと、分かる映画だけが映画という風にも思ってません。
腹が立った。3時間以上も見せて1470円のパンフを付けたり、その中の田原とか(あとは見てない、田原だって名前見ただけ、それでなくても胸くそ悪いから中味は読んでもいない)の賛辞。おまえに語る資格があるかということなど諸々。「映画だって出来た作品それが全て」てな思いもあったし、それら反発の数多が極論になっただけです。
長さは全然感じなかった。
あと、管理人の奥さんが良かった。あの人と永田だけがセリフを喋っていた気がする。あとは空念仏だけ。そして、そのことに、この映画が言いたかったメッセージ(大衆との遊離と、それがための当然の敗北)が込められているんだろうとも解釈した。だったらもっと演説しろよ、それもバカでも分かるようにと言いたかった。俺らなんか無視しろと。
黒澤は『夢』でそれをやった。バカにされても演説したかった、その気持ちをこそ褒めてやるべきだと思った。
老体なんかがいくら動いたってダメですよ、申し訳ないが。
> 映画の趣味がマッタク違う人にナニを言っても時間の無駄です。
趣味の違いを語っていると思いましたか、今まで長々と、『靖国』を含めて。それは悪かった。俺の表現力の稚拙の所為でした。
寝言は寝て言え‥ そんな空間だったのがわかる。森も永田も持病があり、結局その反骨だったのね