渋谷の国営放送の向かいにそれはある。
そこは、彼らが銃殺刑にされた旧東京陸軍刑務所敷地跡である。
家計を助けるために女郎屋に売られていった姉・妹の無念を晴らすために決起した気持ちは理解するし共感もあるが、勝手に軍隊を動かそうが、無抵抗の老人を殺そうが「国を愛する心さえあれば許される」と思った彼らは思い上がっていたといまは思う。
撮影したのは去年。渋谷の温泉施設が爆発した前日であった。
ラベル:二・二六事件
这边中文版
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しかし、海自の幹部もあんまりぼけてると、今に現場に復讐されるぞ。
海自の下級隊員の不満は爆発寸前です。
今回の衝突事件の責任問題がどのように処理されるか?
見張り番だけの所為にならないことを…
それにしても、全国紙では一切記事がありませんでしたね。
ガッカリです。
「末松太平事務所」というブログでここ数年の2月26日前後の記事を読むと、当時の実際の関係者たちと、興味本位で来る人々の間でいろいろあるみたいです。
お気持ちは大変分かりますが、昭和天皇が反乱将校たちに激怒したのは紛れもない事実です。
自分たちが慕っていたものに処刑されたのは変えようがありません。
磯部浅一の御遺族であれば、また違ったお考えがあるのかもしれませんね。
それにしても、保坂氏や半藤氏に対する反感が、雅子妃の同級生であることが自慢の工藤美代子への好感となっていることは興味深いことです。
南千住の回向院にある磯部夫妻の墓は2006年ごろ、院内の改装もあって、ずいぶんきちんとした夫妻一緒のものに建て替えられたようですね。20年位前に初めてお参りした時には、老墓守りが、その数年前までは、山口から縁者の方が年に一回上京して、夫妻別々だった少しさびしいお墓に丁寧にお参りしていた、ということでしたが・・・
ところで、あのお寺には、私の祖母の大おじも埋葬されています。1862年に闘死した磯部氏の大先輩の『尊王』テロリストの一人として。
いちど、お墓参りにいってみようと思います。