http://kunyon.com/shucho/index.html
本間さんに教えられて気づいた。
正月から更新ないし、どうしたのかと……
最新記事では管賀江留郎の『戦前の少年犯罪』(築地書館・2100円)を紹介。
で、この本の帯のコピーが衝撃だ!
昭和2年 9歳の女の子が同級生殺害
昭和14年 14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ
昭和17年 18歳が9人連続殺人
親殺し、祖父母殺しも続発!
現代より遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、
恐るべき子どもたちの犯罪目録
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
発掘された膨大な実証データによって戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論。でたらめな日本論を語っていた!
戦前の親殺しの最大の特徴は、親だけではなく兄弟姉妹もみんなまとめて殺害する一家皆殺し事件が多いことです。
教育勅語には父母に孝行だけでなく兄弟仲良くしなさいとも書いてあるのに、こらまたなんとしたことでありましょうか。しかし、よくよく考えてみますと、こんなことをわざわざありがたいお言葉で教えるというのは、当時は親をないがしろにする者がいかに多くて、兄弟ゲンカがいかに絶えなかったかということなのです。(本文より)
こりゃスゲー! 本屋に急いで(どうせ売れていないだろうから)注文しよう!!






こんばんわ、それをどうとらえるかは私も本気で考えたことがないので言葉がありませんが、すくなくとも凶悪な少年犯罪が今日多発しているので、厳罰化せねばとか、「ぐ犯少年である疑いのある者」に対する調査権限などということはウッソであるとはいえるとおもいます。教育勅語の復活など論外であります。
この本の著者は、ご紹介いただいた「少年犯罪データベース」の主宰であります。
なお、このデータベースは当無礼ログ記事「【化石左翼】日本の若者による凶悪犯罪はブッシュ大統領の所為」でも紹介しておりますので、ご高覧ください。
http://anarchist.seesaa.net/article/78933484.html
もっとも古いデータが1927年(統計なし)。
まともな統計が掲載されているのが概ね1930年代中ごろから。
しかし、教育勅語の発布は1890年だ。つまり、教育勅語の影響を論ずるための統計が一・五世代分ないのだ。
だから、犯罪統計と教育勅語の関係を論ずるのは、元々無理なのが更に無理臭くなる。勿論少年犯罪の件数に驚いて教育勅語を発布した等と云うのは典型的な時空関係の無視である。
そのことを承知で云うと、
●教育勅語は犯罪防止に全く無力だった、
●教育勅語のお蔭であの程度で済んだのだ、
●教育勅語が発布された年の子どもが大人になったその子ども達はモーレツ犯罪的である、つまり、教育勅語は少年犯罪防止には逆効果だった,
等と、好きなことを主張できる。
もちろん、教育勅語の発布の年代のことはわかっております。
週刊誌的な題名つけるのが俺の趣味なんで。
問題は、教育勅語の時代でも凶悪犯罪はいまよりも遥かに多かったということでしょう。
がぜん興味がわきまくり、私も入手しようと思いました。
とにかく神の国ニッポンの誕生は秘話であり、資料はなかなか見つかりません。そんな貴重な資料のひとつですね。ご紹介ありがとうございました。
昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス文化の流行からもわかるように、当時の日本社会は、教育勅語に代表される、官製道徳の無味乾燥なストイシズムとは殆ど無縁であったと言えるのではないか。今以上に酷かったであろう不平等と貧困、大戦争へと向いつつあった社会の荒廃が、未成年者たちを刹那的な凶行に駆り立てていたのだろう。
津山事件または津山三十人殺しは、1938年5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂本両部落で発生した大量殺人事件である。事件によって、30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡、3名が重軽傷を負った。
推理作家横溝正史が書いた長編推理小説、『八つ墓村』は、この事件をモデルとし、題名も近隣に実在した地名、真庭郡八束村(現在の真庭市蒜山)をもじっている。
それに阿部定事件や、「天国で結ばれる恋」は、その後、墓荒らしにあって、女性は死姦され処女は散り去り、天国では結ばれないことになってしまった…なんてのもありました。