
去年に引き続き東京大井町で行われた「9条フェスタ」に行ってきた。http://www.9joren.net/9jofesta/main.html
今年は、鈴木邦男さんと重信メイさんの講演が目当てだ。

重信メイさんは、相変わらず美しく、毒気を抜いて上品にした叶姉妹のようだ。今回は胸の谷間が見えるファッションがヨカッタ…。
さて、講演の中で、鈴木さんの発言を紹介する。
●重信房子さんの父、元右翼血盟団の末夫さんとの出会い
僕ら学生運動をやっていた頃は、もちろん右翼運動をやっていて、「左翼なんか敵だ。こいつら殺さなくちゃ」と思いながらも、重信房子ってのはスゲーなぁ、と思っていましたね。日本を飛び出してアラブに行ったってことで、いま思ってもすげーなぁと。右翼の人でもね、自分の子供が生まれたら、重信房子のように育てようと真面目に言っていた人がいましたからね。
そういう憧れの重信さんですけれども、実は、重信さんのお父さん、メイさんのお爺さんは、右翼の闘士だったんですね。
血盟団事件と言いまして、血盟団、5.15、2.26ってありますよね、井上日召という人が政界財界の要人20人を殺せば日本は良くなるだろうと、暗殺リスト作って20人殺そうとしたら、2人だけ成功したんですね。その2人を殺したら全員捕まったんですけれども、その中に重信房子さんのお父さん重信末夫さんが入ってまして、ただ直前に井上に言われて「君は心が優しいから、暗殺向きじゃない。暗殺の後の国の建設の方をやってくれ」と言われて九州に帰された。
33年前に、僕はお父さんに会って新聞記事を書いたんです。
「重信房子はなぜアラブへ 元右翼の父が語る女闘士の素顔」(「やまと新聞」74年3月15日)
女闘士ってのが古いですね(笑)。33年前ですから。
新聞なんかにお父さんは犯罪者の父ということで、ずいぶん取り上げられて、お父さんのところにいろんな人が「国賊の娘を持って切腹しろ」とか謝罪しろとか、いっぱい手紙とか電話とか来たんです。
僕は当時、右翼運動に対して疑問を持っていて、右翼は体制に対して牙を無くしている。戦前の右翼に戻らなければならないだろう、ということで戦前の血盟団や5.15などの裁判記録をずっと読んでいたんです。血盟団の公判記録って分厚いですよ。1冊が千頁ぐらいのが全4巻あったんですよ。2ヶ月ぐらいかかって全部読んだんです。当時は集中力あったんですね(笑)。そこの中で、重信末夫ってのが出てくるんですね。もしかしたら、と思っていろんな人に調べて聞いて、そうしたら重信房子さんのお父さんだと。そうかと必死になって調べて、町田の自宅に行ってお話を伺ったんですよ。
実は先々月に、重信房子さんに初めて面会に行ったんです。東京拘置所に。33年間あこがれていた人に。
そこでびっくりする話を聞いたんですね。お父さんがアラブの重信さんに手紙を書いた「鈴木邦男ってのが会いたいってきているのだけど、どうしたらよいか」と娘に相談したんです。そうしたら重信さんは私のことを知らなくて、いろんな周りの人に聞いてみたら「早稲田で左翼の学生といつも殴り合っていて、暴力学生だ、どうしようもない不貞野郎だ」と。ですから重信さんはお父さんに「どうしようもない、酷いやつだから会わないほうがいいよ」と手紙を書いたんです。そうしたらアラブに手紙が行って帰ってくるまで当時は1ヶ月かかったんですね。それに助かったんですね(爆笑)。3日後に会えましたからね。最初は緊張していたんですね。それはいまになって判ったんですね。ところが、途中からわかってくれたのか、和んで話をしてくれました。
「娘は右翼だ」って言ってました。その右翼と言うのは、戦後右翼は末夫さんは認めていないんですよね。「体制べったり、そんなのは右翼じゃない」と「ただの暴力団じゃないか」と。でも戦前の右翼は体制打倒の右翼だったし、当時は左翼は(弾圧されて)ほとんどいなかったから、右翼が革命家だったんですね。血盟団の記録をよく読むと、「自分たちは革命運動をするんだ、革命家だ」と書いていますね。「自分たちは国賊で結構だ」と「愛国者ではない」と「国家から認められようなどと思わない」と。凄いなぁと思ってね、いま読んでも感動するんですけれども、そういうふうに言葉から考えると(末夫さんの言う)「右翼」というのは褒め言葉なんですね。いわゆる革命家だということで娘さんのことを言ったんですね。それで、物凄く親子が右翼の父親で左翼の娘で、全然違うようだけれど、物凄く信頼しあっているように、非常に感じましたね。ということで、親子3代(重信末夫・房子・メイ)に渡ってお付き合いさせて頂いています(笑)。
●右翼の憲法改正運動に対する疑問
自分は40年間、右翼運動やっていまして、昔はもっとガチガチの右翼だったと思います。それで現憲法はいまも思っていますけれども、やはり見直した方が良いだろうと思っています。元々は現憲法を認めない、明治憲法復元改正という運動をやっていました学生の頃。というのは、「生長の家」という宗教団体があって、母親がそこに入っていましたので、素直な子供だったから小学校・中学校と「生長の家」に親に連れられていって、そこで「親孝行しなきゃいけないよ」とか「お父さんに感謝しなきゃいけないよ」とか「天皇陛下は日本の父だから感謝しなくちゃいけないよ」という話をして、その中で憲法の話でね、いまから考えたら偏ったというか批判的な宗教だったんですね。「生長の家」が言っていたのは「いまの憲法は偽物だ。アメリカから占領下で押し付けられたものだ、だからこんなモノは認められない。9条を改正しようとする人がいるが、そんなのはおかしい。9条だけ改正したらあとは全部認めることになってしまう。追認だ。そういうのは憲法擁護よりも悪い。いまの憲法は偽物なんだから、それを取っ払えば明治憲法は生きているのだから、その明治憲法を基にして1部でも全部でも改正するべきだ」という明治憲法復元改正という運動をやっていました。
まぁーっ、筋としてはそうかもしれませんがね、でも最近はだんだんと、とてもじゃないが無理だろうなと思っています。
いまの左翼の人たちは、いまの憲法さえあれば、9条さえあれば、幸せなんだ、大丈夫なんだと、絶対擁護論ですけど、僕ら右翼も反対に絶対反対論ですね。憲法さえ改めればすべて良くなる、と思っていました。スローガンとしては、「現憲法は諸悪の根源」と言っていましたし、そう思っていました。すべての悪はいまの憲法に基づく。だから、不登校の子供がいるのも、犯罪者がいるのも、政治がだらしがないのも、(右翼の)我々が貧乏なのも、すべて憲法の所為だと、逆に言えば、憲法さえ改まったらすべて良くなる、という事ですね。
でも僕はだんだんと考えたら、どうかなぁ、と思ってきたんですね。憲法が改まったからといって犯罪者がいなくなるのかなぁ、憲法が改まったからといって貧乏人がすべていなくなるのかなぁ、そんなことないだろうと。
じゃあどうでもよいかなぁ、と思ったときもあったのですけれども、でもそれは小さな問題かもしれない、生き死にの問題じゃないかもしれない。でも、俺はもう少し、軽い問題と考えて、その上で考えてみた方がよいだろうと。それで、やはり見直した方がよいだろうと。少なくとも占領下で押し付けられたものだろうから、その上でいまの憲法を認めるかどうか国民投票をしたほうがよいだろうと。それでみんなが認めるのなら、それは日本人が認めた憲法なんだから、堂々と日本の憲法だと、僕は認めたら良いだろうと思うんですね。
ずーっと、その問題がいままで尾を引いてきたんじゃないのかと僕は思います。
●アメリカ人は憲法9条のことを誰も知らない
僕は改憲派なんですがね、改憲派の人たちからは全然呼ばれないんですよ(笑)。護憲派の人ばかりから呼ばれるんですよね(笑)。護憲派は団体がいっぱいありまして、「9条連」の他に「9条の会」ってのがありますよね。「9条の会」では今年初めて小森さんと対談をさせて頂きました。それから「憲法行脚の会」ってのがありますよね。社民党の人たちがやっている。そこでも呼ばれて話をしました。それから、「憲法改正阻止の会」ってのか全共闘の人たちがやっている、そこで呼ばれて話したこともありますし、あと、この前の選挙では「9条ネット」に呼ばれて、選挙応援に行きました(笑)。僕は憲法改正論者ですよ、と言ったら、いや改正論と護憲論が街宣車の上で討論すると、そりゃいいなと思いやりました。それで、選挙演説なんだから最後は負けなくちゃならないの、と言ったら、そんなことない馬鹿野郎、と言われて(笑)、がんばって戦って。こういう選挙というのは、なかなか素晴らしいと思いましたね。いろんな人が出るのは。
そして、決定的な話としては、今年の4月にニューヨークに呼ばれまして、憲法14条・24条を書いたベアタさんたちと討論してきました。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2項 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2項 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
実は、今日ベアタさんが来る予定だったんですね。だから、これを抜け出して聞きに行こうかと思ったんですけれども(笑)。
アメリカで一番話し合ったのは、少なくともいまの憲法をアメリカ人が押し付けたときには、善意に解釈して、非常に理想主義的なものがものがあっただろうと、善意があっただろうと思うんですね。あの時、ドイツ・イタリー・日本が負けたと。こんな戦争が好きな国が負けたんだから、二度と戦争はないだろう。国連もある核兵器もあるし、戦争を起こす気はないだろうと、だから先ず日本に武装放棄をさせたんだろうと。そのことによってアメリカを始めとしていろんな国が続くだろうと。そういう理想を持ったのだろうと思ったんですね。いまにして思えば。ところがアメリカでいろんな人に聞いてみると、日本が9条を持っていることを知らないですね。なんだこれは、と思って、お前らが作ったんじゃないかと思ったんですけれども、知らない。それでいて、世界の人たちが日本の9条に注目しているというのは嘘っぱちじゃないか。そういうのが疑問に思いますよね。
●憲法改悪阻止に右翼左翼のレッテル張りはやめよう
これから憲法を変えるに当たってはいろんな考え方があるのでしょうけど、最初はきちんと、この憲法を認めるかどうか(国民)投票するべきだと思います。それから、憲法9条だけを守ろうとする人たちもね、本当は憲法を変えたい部分もあるのだと思いますね。もっともっと民主的にしようとか、もっと自由な権限を認めさせようとか、でもそういうこと言っちゃうと、同じ改憲の土俵に登っちゃうからいやだと。だったらねぇ、9条(改正)にまず縛りをかけてからやったら良いのではないかと。たとえば、9条を論議する前に核武装はしない、徴兵制度はしかない、海外派兵はしない、その上で9条を考えるとかした方が良いじゃないか。
僕はいまの憲法はもっともっと自由にすべきだし、もっともっと権利を認めるものにすべきだと思います。ただ、いま自民党をやっている人たちが変えようとすると、どうしてもアメリカに協力して海外に自衛隊を出す、そういう方向にしかならないだろうと。だったらまずいだろうと。これは漫画家の小林よしのりさんも言ってました。それと僕が危惧するのはやはりいまの自民党の人たちは参院選の前までは、かなり舞い上がっていましたからね。自分たちは3分の2を取って元気が良いと。自分たちは好きなことが出来ると。そうしたら、いろんなことを言っているわけですよ。国民は自由や権利ばっかり言っていると、そうじゃなくて義務や国家への忠誠心だとか愛国心、そんなのをきちんと教えなきゃいけないだとか、みんな酷いこと言ってますね。また少し目を転じると、ビラを配ったぐらいでぶち込まれると、だったらね、どんどんどんどんそういう不自由な方向に行きますよ。そういう連中が憲法改正するのならたまらないなぁと思ってね。僕は憲法改正論者ですけれども、そういう不自由な形にに憲法改正されるんなら、まだいまのほうが良いと。自主憲法を作るべきだと思いますよ。でも、自由のない自主憲法よりは、自由のある占領憲法のほうが良いだろうと、いうふうに思っています。アメリカでもその話はしました。ですから、いわゆる憲法改正論者の人たちにも結構そのような人たち(現憲法容認)がいます。改正論をリードしてきた慶応の小林節先生も言っていました。いまの自民党の改憲案ではだめだと、自分たちが勝手に国民に義務を課して、そして愛国心を持てと言っている。でも、政治家は愛国心を国民に持てと言うのじゃなくて、素晴らしい国にする、国民が愛国心を持てる国にするのが政治家の務めじゃないか、と言っていました。ですから、一概に護憲だ改憲だといってもぜんぜん違うんですねいまは。右翼だ左翼だというレッテル張りも違うんですね。ただ、こいつはなんだかわからない、なら右翼だ左翼だとレッテル張りをした方が楽なんですね。僕はレッテル張りで自分としては、右翼も左翼も超えたと思っていますけども。右翼だと言われたら、なんでもいいやと思っています(会場大爆笑)。
今日はいろんな良い話ができたと思っています。ありがとうございました。
鈴木邦夫さん、すてきです。自分の頭で考える人なんですね。この記事を読んでよくわかりました。私も何ものにもとらわれず、自由に自分らしく生きたいと思います。
主権者が憲法を決めなければなりません
昭和21〜22年時の主権者は国民ではなく
占領軍です
改憲がダメなら廃憲とすればよいではないですか
主権者が憲法を決めなければなりません
その通りだと俺も思います。
アメリカと、アメリカの意に沿った日本人の勝手な押し付けです。
ちなみに俺は改憲派です。(9条ではない)