2007年08月06日

悲壮な学徒出陣壮行会を思わせる こどもの声

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1943年、日本の戦局は悪化の一途をたどっていた。
北はアリューシャン列島、南はニューギニア、ビルマから怒涛の戦力で連合軍は皇軍を殲滅していったのである。

窮地に陥った日本は、天皇陛下のために最後の一兵までも戦わなくてはならない。その為には消耗品として兵隊の補充が急がれた。
そこで即席の下級指揮官足りえる大学生に白羽の矢が立てられた。

「徴兵猶予の特典」により、それまで兵役を免除されていた学生も知性の微塵も役に立たない戦場に放り出されることとなった。

土砂降りのなかで行われた学徒出陣式。
諸兄よ元気で征け 壮行の辞
誓って頭敵を撃減 答辞


「21日朝、秋深む明治神宮外苑競技場、全日本の学徒が多年武技を練り、技を競ったこの聖域に“壮行の祭典“は世紀の感激をもって挙行された……『文部省主催出陣学徒壮行会』その名は平凡である。だがこの朝、外苑競技場に沸き上がった若人の感激は恐らくは、当競技場の歴史始まって以来の高さと強さをもって奔騰したのであった。まこと国を挙げて敵を撃つ決戦の秋、大君に召されて戦いの庭に出で征つ若人の力と意気はここに結集し、送る国民の赤誠、またここに万斛涙となって奔ったのである。この朝、午前8時、出陣学徒東京帝大以下都下、神奈川、千葉、埼玉県下77校○○名(伏字)は、執銑、携剣、巻脚絆の武装も颯爽と神宮外苑の落葉を踏んで、それぞれ所定の位置に集結、送る学徒107校6万5千名は早くも観覧席を埋めつくした。

右翼にぎっしり詰まった学友、級友を送る学生生徒、先輩を送る中等学校生徒、左翼を埋める女子専門学校、女子中等学校生徒−−6万5千の若い頬は花園の輝きに似る。

9時20分、戸山学校軍楽隊の指揮棒一閃、たちまち心も躍る観兵式行進曲の音律が湧き上がって「分列に前ヘッ」の号令が高らかに響いた。大地を踏みしめる波の様な歩調が聞こえる。このとき場内10万の声はひそと静まる。見よ、時計台の下、あの白い清楚な帝大の校旗が秋風を仰いで現われた。続く剣光帽影。「ワアッ」という喚声、出陣学徒部隊いまぞ進む。「頭アー右ッ」。眼が一斉に壇上の岡部文相を仰いだ。カーキー色の国民服に身をかためた文相の右手は石のように上がったまま動かない。幾十、幾百、幾千の足が進んでくる。この足やがてジャングルを踏み、この脛やがて敵前渡河の水を走るのだ。拍手、拍手、歓声、歓声、10万の眼からみんな涙が溢れた。涙を流しながら手を拍ち帽を振った。女子学徒集団には真っ白なハンケチの波が霞のように、花のように飛んでいる。学徒部隊はいつしか場内に溢れ、剣光はすすき原のように輝いた。10時10分、分列式は終わる。津波の引いたあとのような静けさ、やがてラッパ「君が代」が高らかに響いて、宮城遥拝、君が代奉唱、再ぴラッパは高らかに「国の鎮め」を吹奏して明治神宮、靖国神社の遥拝を終わる。岡部文相、宣戦の詔書を奉読、秋風が幾首の旗を鳴らしている。祈念に次いで東条首相が壇上に登った。力強い一言一句が場内の隅々に、出陣学徒の胸の隅隅にしみ渡って行った。続く岡部文相が読みあげた餞むけの一首『海ゆかむ山また空にゆかむとの若人のかどでををしくもあるか』

次いで参列学徒代表慶大医学部学生奥井津二君の壮行の辞を述べれば、出陣学徒代表東大文学部江橋慎四郎君が元気一杯壇上にのぼり『……いよいよ不撓不屈の闘魂を錬磨し強靭なる体躯を堅持して決戦場裡に前進し、誓って皇恩の万一に酬い奉らん…』と答辞を述べる。やがて『海ゆかぱ』の大斉唱は秋空高く木魂し『天皇陛下万歳』の三唱に壮行の式典は終止符を打った。時に11時10分、次いで出陣学徒は二隊に分かれてそれぞれ校歌を高唱しつつ、市内行進に移り宮城前に一死報国を誓て奉って午後1時解散した。(43年10/21朝日新聞)

壮行会会場では「海ゆかば」「ああくれないの血は燃ゆる」の大合唱が起こり、北朝鮮のマスゲームの如く神宮の杜は興奮の坩堝と化したという。


ああくれないの血は燃ゆる

花も蕾の 若桜
五尺の生命 ひっさげて
国の大事に 殉ずるは
我等学徒の 面目ぞ
ああ紅の 血は燃ゆる

後に続けと 兄の声
今こそ筆を 擲ちて
勝利揺がぬ 生産に
勇み起ちたる つわものぞ
ああ紅の 血は燃ゆる

君は鍬執れ 我は鎚
戦う道に 二つなし
国の使命を 遂ぐるこそ
我等学徒の 本分ぞ
ああ紅の 血は燃ゆる

何をすさぶか 小夜嵐
神州男児 ここにあり
決意ひとたび 火となりて
護る国土は 鉄壁ぞ
ああ紅の 血は燃ゆる



出陣学徒壮行会首相訓示(昭和18年10月21日)

ここに明治神宮外苑の聖域において上らんとする学徒諸君の壮容に接し、所感を申し述べる機会を得ましたることは私の最も欣快とする所である。

かつて藤田東湖先生が正気の歌を賦して、その劈頭に「天地正大の気、粋然として神州に錘まる」と申されたのである。只今諸君の前に立ち親しく相見えて私は神州の正気粛然として今ここに集結せられて居るのを感ずるものである。諸君は胸中深く既に決する所あり、腕を撫して国難に赴き烈々たる気魄まさに旺なるものがあるのは私は諸君の輝く眸に十分御察しすることが出来るのである。

若き諸君は今日まで皇国未曾有の一大試練期に直面しながら、なおいまだ、学窓に止まり、鬱勃たる報国挺身の決意躍動して抑え難きものがあったことと在ずるのである。しかるに、今や皇国三千年来の国運の決する極めて重大なる時局に直面し、緊迫せる内外の情勢は一日半日を忽せにすることを許さないのである。

一億同胞が悉く戦闘配置につき、従来の行掛りを捨て、身を呈して各々その全力を尽くし、以て国難を克服すべき総力決戦の時期が正に到来したのである。御国の若人たる諸君が勇躍学窓より、征途に就き、祖先の遺風を昂揚し仇なす敵を撃滅しで皇運を扶翼し奉る日は来たのである。

大東亜十億の民を、道義に基づいてその本然の姿に復帰しめるために壮途に上るの日は来たのである。私はここに衷心よりその門出を御祝い申し上げる次第である。素よリ、敵米英においても、諸君と同じく幾多の若い学徒が戦場に立っているのである。   
諸君は彼等と戦場に相対し、気魄においても戦闘力においても必ず彼等を圧倒すべきことを私は信じて疑わざるものである。申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新なる血潮総てこれ、御国の大御宝なのである。この一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生を享けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳なる所以は、実にここに存するのである。

諸君の光栄なる今日の門出に接し、我々の祖先が我が子の初陣に当たり、一家一門揃って祝い送ったのと同様の心持をもって、我々一億同胞は心から敬意と感謝とをもって諸君の壮途を祝い奉らんとするものである。

願わくば、青年学徒諸君、私は諸君が昭和の御代における青年学徒の不抜なる意気と必勝の信念とをもって護国の重責を全うし、後世に永く日本の光輝ある伝統を残されんことを諸君に期待し、かつこれを確信するものである。而して我我諸君の先輩も、亦諸君と共に一切を捧げて皇国興隆の礎石たらんことを深く心に期してゐものである。…必ずや其の責任を全うせられんことを、切に祈念して、諸君に対する私の壮行の辞と致す次第である。

内閣総理大臣 東条 英機


答 辞

明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競い、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり。本日、この思い出多き地に於いて、近く入隊の栄を担い、戦線に赴くべき生等のため、かくも厳粛盛大なる壮行会を開催せられ、内閣総理大臣閣下、文部大臣閣下よりは、懇切なる御訓示忝くし、在学学徒代表より熱誠溢るる壮行の辞を恵与せられたるは、誠に無上の光栄にして、生等の面目、これに過ぐる事なく、衷心感激措く能はざるところなり。思うに大東亜戦争宣せられてより、是に二星霜、大御稜威の下、皇軍将士の善謀勇戦は、よく宿敵米英の勢力を東亜の天地より撃壤払拭し、その東亜侵略を拠点は悉く、我が手中に帰し、大東亜共栄圏の建設はこの確固として磐石の如き基礎の上に着々として進捗せり。

然れども、暴虐飽くなき敵米英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は日を追って、熾烈の度を加え、事態益々重大なるものあり。時なるや、学徒出陣の勅令公布せらる。予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外に優渥なる趣旨を奉体して、近く勇躍軍務に従うを得るに至れるなり。また奮起せざらんや。

生等今や、見敵必殺の銃剣を提げ、積年忍苦の精神研鑚を挙げて悉くこの光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を帰せず、在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。かくの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。

生等謹んで宣戦の大召を奉戴し、益々、必勝の信念に透徹し、愈々不撓不屈の闘魂を堅待して決戦場裡に突進し、誓って皇国の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす。

出陣学徒代表東京帝国大学文学部学生 江橋慎四郎



悲壮なる答辞の決意。
これは過去のものではない。
現代の小国民は御国に身を捧げると立派に答えているのである。

日本が戦争に巻き込まれたら、戦争に行くか?>>行く
どうしてですか?>>
日本を守るため。

自分の大切な人が戦争に行かなくてはならなくなったら、どうしますか?
千人針で、無事を祈りつつ、自分も行く。(中1 男 熊本県)

●戦争に行くか
「戦争には行かない」という意見が結構多いようですが、私はもしかしたら行くかもしれません。
国を守るため、大切な人を守るため、まぁ理由は分かりませんが、行くとなったら行くでしょうね。
だって国にいても、戦場にいても、どっちにしろ苦しむことには変わりはないのだし。
戦争がどんなものだか、考えたり本を読んだりするよりも、実際行っちゃったほうがよく分かるように思いませんか? (中3 女 神奈川県)

60年間中
民間人が訓練もなくグータラすごしている国
戦争を長時間経験していない国
経験した人は老人の今です
それに戦力を増強する事ができない今
この日本こそかもの国はないです、訓練もしていないから銃もろくにうてない
戦争が怖いからって敵前逃亡する兵士が増え負けるのは目に見えています
攻め込まれてもおかしくはないです(嘘のジョウホウを流され続けて恨まれるというかわいそうな国でもありますし)

戦争に行くかって言われたら行きます
そりゃ…愛国心でしょうね
この国が好きです第2次世界大戦でこの国を守ってくれた英雄がいたこの国がすきです

戦争はいけないっていうけど
所詮は口だけ、争いは絶えず続く
それに9条改正に(言い方が悪いですが…)無知な方が多いです
前にはデモ流してる人いましたし?
ちょっとは調べてからいって欲しいものです…
そんな攻め込まれるようなことするわけもないじゃないですか (中2 男 愛知県)

もし戦争に巻き込まれたら、私は戦争に行く派です。
みなさんの意見を読んでいて「行きたくない」って
方が沢山いるんだな、という印象でした。
もちろんみんな死にたくはないだろうし、私だって
できれば死にたくはありません。当然ですよね。
でも私はこの国を守りたい、とも思うんです。
「戦争には行きたくない。死にたくない。」と言う
人達を守るために。守るために、戦います。私自身が
この世界で生きていて幸せだと思うから、今の生活を
大切にしている人達の幸せを壊したくないと思います。
私の側に居る人も、一生会うことのない人も大切だから。
その為に他国の人の命を奪うのは哀しいけれど・・・
それでも攻められれば、守るために抵抗はします。

だから「戦争に行きたくない。死にたくない。」って
言う人が居ることは大切なことだと思います。それは
つまり「この世界で生きていたい。」ってことでしょう?
そういう人を守るために戦う人はいるんだと思います。
少なくとも私はそうです。 (中3 女 東京都)

>>もし日本が戦争に巻き込まれたら、戦争に行く?
出来れば行きたくないです。
けど、やっぱ行くかなぁ。。。
大切な人を守るためなら行けそうです。(中2 女 埼玉県)

以上の書き込みは、俺がたまに観ている国営教育放送「土曜かきこみTV」(みうらじゅんも出演しているオススメ番組)から引用した。
http://www.nhk.or.jp/kktv-rb/bbsc/sp/9/page001.html
かなり消極的ではあるが、戦後62年たってこのような書き込みが明日の日本を担う少年少女たちより寄せられていることが俺には驚きであった。
昨日の番組を観ながら、街頭で「8月15日が何の日か?」と聞かれ、知らない子供が多かったのにはガッカリし、「この先、日本が戦争に巻き込まれると思う?」という問いに対し、書き込みの26%が「戦争に巻き込まれると」回答していることを重く受け止めた。
子供たちが「戦争に巻き込まれる」と考える国、これは大人の責任だ。

安倍は戦後レジュームからの脱却を掲げ、教育基本法の改正を成立させたが、その必要はなかった。日教組による「偏向教育」も空しく、「戦争は仕方ない」という子供たちは確実に増えているのかもしれない。

「生等もとより生還を帰せず」と学生に言わしめた時代を思わせる安倍政権。国民の声は届かず、ただ耐えるのみらしい。



タグ:大東亜戦争
posted by 死ぬのはやつらだ at 03:01| Comment(9) | TrackBack(0) | 大日本帝国と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やつらださんが憤慨されてる書き込みですが「なんちゃって中学生」も混じっていそうですね。「ウソの情報を流されて恨まれている」と書き込んだ中2男子なんかそうでしょう?
正論・諸君程度のクソ雑誌は創刊される(何で外山恒一が書く!?)は、たった今広島で晋三がおべんちゃらするは、嫌な世の中です。
それでも戦争反対。
Posted by 死神 at 2007年08月06日 08:49
番組では、上記の書き込みをした「中2男 愛知県」の家を「大人の社会見学」の山本監督が訪問して話を聞いていました。
彼の信じている情報は「ネット」から手に入れているようです。
「自分が信じていたもの(情報)が後から嘘だと判ったらくやしいから」調べているんだと語っていました。
俺好みの雰囲気のお母さんが「犠牲になった人の気持ちを考えてみて」と言っておりました。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2007年08月07日 19:07
「嘘だとわかった」のはとりあえずいいとしても、何故「ネット」なら「正しい情報」が手に入れられるのかねえ、とその手の人たちについて何時も思う。例によって、政府の手にも負えない売国勢力が実社会を牛耳ってることに気付いた、というわけだろうか?
Posted by 阿保屋 at 2007年08月10日 14:34
コメントした彼は、ごく普通のヒヨワそうな中学生でした。
是非、自衛隊に入隊することを希望します。

個人的にはお母さんと一晩イロイロお話してみたいです。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2007年08月10日 15:19
徴兵猶予を停止しないと、戦争に行かない学生がいっぱいいたって事でしょうな。プロ野球の選手で、徴兵から逃れるために大学に籍を置いていた人もいたとか。

私の母方の大伯父は、師範学校を繰上げ卒業後、海軍飛行科予備学生に志願して、レイテ沖で特攻死したけど、海軍を志願するについては家族一同大反対だったそうな。
Posted by 家族に聞くと at 2007年08月25日 11:38
家族に聞くと 殿

大伯父様は、特攻隊で初めに出撃した部隊のお一人だったんですね。

>海軍を志願するについては家族一同大反対

健全な考えの日本人がその頃もいらしたことが救いですね。だから尚更、特攻隊で亡くなったことが残念なことだったろうとお察しいたします。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2007年08月26日 22:13
>戦争に行くかって言われたら行きます
そりゃ…愛国心でしょうね

>「生等もとより生還を帰せず」と学生に言わしめた時代を思わせる安倍政権。

やがて子どもたちは、かつての「少国民」以上に恐怖と地獄を味わうことになるだろう。
Posted by ストライカーボルト at 2007年09月10日 15:19
糞ガキは戦場へ、行かせないべきですね
Posted by 森 at 2007年09月22日 04:12
「あゝ紅の血は燃ゆる」は、昭和19年8月に学徒勤労令、女子挺身勤労令が発されたのちに昭和19年9月の軍需省(現在の経済産業省)推薦として日蓄レコードから発売された戦時歌で副題に学徒動員歌とあります。昭和18年10月の学徒出陣壮行会でこの歌が歌われる筈はありません。些細なことかもしれまんせが、真理は細部に宿るといいます。折角の記事に間違いがあっては、記事全体の信憑性が疑われる原因になるのでは懸念するものです。
Posted by 飯田清 at 2017年01月28日 22:58
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