
自民党選挙の裏側を描いた映画「選挙」を渋谷シアターイメージフォーラムで観て来た。
コイズミに似た風貌の山内和彦氏が2年前に出馬した、川崎市議補選の選挙活動に密着した傑作ドキュメントだ。
山内氏は、気象大学校と信州大学を中退後、東大文学部!を卒業。切手・コイン販売業(地味)を営んでいたが、05年10月の川崎市議補選に落下傘候補として自民党から立候補した。この映画の監督、相田和弘氏は東大の同級生だ。
映画は、何のナレーションも音楽も挿入されない。これは、すごく新鮮なものと俺には映った。
撮影は事前の打ち合わせなど全くなしに進められた。これで、オモシロイ映画となったのか? と思われるだろうが、さすが自民湯だ。あきれ返るほどの奇妙な選挙運動の連続でハライテーのである。
とにかく選挙中は「電柱にもお辞儀しろ」「握手は相手の目を見つめて、とくに握手の最後はじっと見ろ」と指導され、ひたすら街頭で自分の「名前」を連呼し、有権者に握手を求める。
誰も聞いていない団地に向かって、朝から語りかけ、駅の街頭に立ち「いってらっしゃいませ」の連呼。
政策なんぞは、いっさい訴えない。ただひたすら「改革をすすめます」と言うだけ。
地元のお祭りには、スーツのうえからはっぴ着て参加。そのまま神輿まで担がされる。
幼稚園の運動会にも出席、自民党県議のアフォは、何もわからない園児たちを前に政治活動を報告。それを見つめる園児のアホラーとした顔……。ゴダールもびっくりなシュールな映像だ。
選挙には妻さゆりさんも全面協力。ところがそこには自民湯特有の男女平等感覚が炸裂する。
まず、「妻と言ってはいけない。家内と言いなさい」と選挙事務所で指導を受ける。「山内和彦の家内でございます」とさゆりさんは選挙カーで連呼する。
極めつけは、選挙事務所の人にさゆりさんが、「ご主人が当選したら、奥さんは勤めをやめなさい」と言われたことだ。妻は内助の功で夫を支えているというイメージが自民党支持の有権者には大切らしい。
これにカチンときたのがさゆりさん。当たり前だ。
「なぜ私が会社を辞めなきゃならないの」「たかが市議でしょ。総理大臣になったんじゃないのよ」とすごい剣幕で山内さんを怒った。
さてさて、山内さんは選挙に勝てたのか?
それは映画を見てのお楽しみ……。
この映画は、今年2月のベルリン国際映画祭でも上映された。このときのドイツ人の反応は、
「日本人は選挙でこんなことをやっているのか。バカじゃないのか」というものであった。
さて、事実上の参院選がスタートしたわけだが、「ハンカチ王子」「ハニカミ王子」などと、成年に達していない糞ガキのスポーツ選手をいい年をしたオトナが追いまわし、マスゴミ連中が英雄のごとく持ち上げている異常な国民の狂気と狂騒を見るにつけ、今回の選挙も自民圧勝なんじゃないのと勘ぐりたくなる。
この国のバカに選挙権はいらない。それが、この映画「選挙」を観て得た結論である。
・選挙@映画生活
私は横浜市民、当然神奈川県民です。ヤンキー義家を横浜市教育委員に任命して政治の世界に引き込んだ男・中田宏。共産党横浜市議団は彼の提案に賛成し、全会一致で承認しました。
http://www20.atwiki.jp/mekemekedash/pages/12.html
http://www.jmdb.ne.jp/1989/dm000950.htm
政治文化がなかなか変わらない,閉塞した状況が長く続く原因の一つとして,「市民的抵抗」の不在があるのではないかと思っています,今日書いたブログ記事をTBします.
教基法改悪反対運動だって教組でなく、市民運動だったらもっと盛り上がれたに違いないしね。つまり、組合などは所詮政党の出先機関、各々支持、不支持で分断されていて、急場の役になんか立ちゃしない。
ただ、その市民がマスコミに扇動・誘導されるだけの愚民ばかりだからなー。
それにしても、こんなになっても自民圧勝ですか? だったら、もう、どうでもいいじゃないですか。というか、どうしようもないじゃないですか。共に滅びましょう。
老後の心配がなくなったな。早くどこからかミサイルが飛んでこないかな。死ぬのは痛てぇーぞ。知ってんのかな。知らねーだろうナ。
>教組でなく、市民運動だったらもっと盛り上がれたに違いないしね。
お言葉ですが、日教組本部なんて最後まで何もやらなかったじゃないかと、教育基本法反対運動をやっていた人たちから、ずいぶん聞かされました。全教はそれでも早めに対応していたらしいけど。
教員労組なんて最後に来て、集会をいくつか開いただけじゃない。3年前には市民運動しかなかった。
教育基本法反対運動は最初から市民運動が先導していたのです。
2003年の12.23集会だって高橋哲哉さんたちが呼びかけた全国連絡会が開いたのだし、教員組合の取り組みなんてずっと後から。
みんな、市民運動なんて無視していたんですよ。「市民運動」って連呼する人間が実際に活動しているかといえば、疑問だなあ。
わざわざ反対運動を、「市民運動」と言わなくても良いのではないかと思ったりもする。
なんとなくですがね。
それからヤマトさん、じゃない。失礼。黒猫ときたから……山本さん、抵抗、市民的不服従、大賛成です。それがもっとも大切であり、もっとも権力をヒビらせる行動です。
管理人さんは、たしか、なにかのコーナーで「いままででいちばんまとな編集長」といわれた週刊金曜日の北村肇さん。わたしは、あの方にメールで怒った。烈しく怒った。それはなにか。
「仲間がいるから闘える」などとタイトルにした。バカかと怒った。たった一人でも戦う、戦わねばならない、それでなくてどうすると怒ったんです。
こんなことをほざいてる左翼のどこに危機感が見られますか。
いわゆる「市民運動」をやっている人は、たいがい「市民運動」のことは嫌うね。「市民」という言葉だけでなく、運動のありかたそのものを。
NPOやっている人で、「たいがいのNPOは行政の下請けだし」と嘆いている人に近いかもしれない。
平和委員会という、共産党系とされる運動の人は、新聞に「市民運動」と書かれていたら、「俺たちも市民運動のうちなのか」と言っていました。政治色のある運動は、「市民運動認定」から排除する傾向があるのかもしれません。
ところで、日本に左翼っているのか、かなり疑問。右翼はいるだろうけど。ネットウヨクの妄想の中にしか左翼なんて生き残っていないんじゃないかなあ。
例えば北村肇氏が左翼で、鳥越俊太郎が左翼に入らないなんて線引きはあてになったはんしじゃなくて、両方左翼じゃないというほうが妥当でしょう。
やはり、JANJANなどでゴタクっててもダメだな。こういう場でこそ、論を鍛えなければ。
しかし、「石原特攻センズリ映画」コーナーでは、なぜ投稿できなかったかな。アク禁用語でも入っていたのかな。
そういえば、「アナル」と入れて撥ねられたエッチサイト板があったが。うーん、これは行けるかな? 「うーん」といってもケツのことではないぞ。行けるかな。ほら、行け。
それ以前に「左翼」と言われたくない人が大多数でしょう。
それと同様に「右翼」と言われるのもイヤなんじゃないのか?
俺は「自称市民」の集会で、自分を「靖国に参拝する右翼」と自己紹介したときの「市民」のイヤーな顔を見るのが楽しみだったりする。キャハハ!
教育基本法反対運動と教員労組については、こういうことがありんした。
日教組委員長が「朝まで生テレビ」で、国会前座り込みを中止する発言をした。たしか金美齢というウハが、子どもを放置して国会前で座り込んでいるのは教師たちだ、とあじったのに反応したんだね。国会前(厳密には議員会館前ですが。わたしも詰めかけた一人です)には教師たちが押し寄せているみたいなことを言ったのです。
で、朝までを見ていた人は、賛否の前に「そうか、日教組が反対運動して国会前大衆行動をしているのか」と思ったかもしれない。でも実際言ってみれば、ずーっといた沖縄の辺野古反対闘争の人ばかりでなく、殆どが別の運動の人たちや「あんころ」のブログなどで知った人たち。労組ものぼりをたてっているのだけど、そういうのって、運動シーンになんとか乗り遅れまいとする少数の人が参加しているのだと思う。ワールド・ピース・ナウでも同じ。
というわけで、全労連主催なんて集会でもなければ、労組主導の大衆行動はあんまりない。のぼりがデモや集会で目だったとしても実態は違う。
デモや集会の現場の光景を見ても、今の運動シーンの実態はわからないかもしれないけど、労組主導なんて運動はあんまりないんじゃないかな。
参考
「おおきな原野のちいさな家」
http://ch11440.kitaguni.tv/e319442.html
「みんななかよく」
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10026147075.html
間違えてしまいました。
どうもすいません。