2007年05月26日

横須賀市田浦 旧海軍工廠造兵部

横須賀にある長浦湾周辺は、明治から終戦までの旧日本海軍に関する建物が数多く残されている。

旧海軍工廠造兵部

京急田浦駅から見える東芝の工場周辺は、1886(明治19)年から1945(昭和20)年まで旧海軍工廠造兵部が置かれ、昭和10年頃には3万人を超える職工が働いていた。

歴史的な旧海軍の建造物は現在も残され使われている。工場敷地内に入ることはできないが、そのいくつかは道路沿いから見ることができる。

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グーグルマップ横須賀市田浦周辺
http://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=wl&q=

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これは、1913(大正2)年に竣工し、関東大震災でも崩れなかった旧造兵部本館。

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機銃工場(1934)。道路を挟んだ丘は、機銃の試射場であった。

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旧鍛錬工場事務所。


ガントリークレーン
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1923(大正12)年の関東大震災前に作られたと言われている。

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砲塔工場跡には、使われていない引込み線が残っている。

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現在このクレーンは、海上自衛隊横須賀造修補給所工作部管轄となっている。旧海軍の洒落た装飾の門の飾りに注意。


海上自衛隊 自衛艦隊司令部

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悪の軍団トヨタグループの関東自動車本社敷地は、旧海軍水雷学校の跡地である。
その先には、海上自衛隊第2砲術学校がある。

旧海軍軍需部長浦倉庫

長浦湾の岸壁に沿った倉庫群は、海軍軍需部長浦倉庫といわれ、主に兵器庫があった場所である。
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当時の建物が海上自衛隊や民間会社に利用され現存している。




posted by 死ぬのはやつらだ at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 大日本帝国と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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