2007年05月04日

「若者たち」を救った田中邦衛 中止に追いやった北朝鮮からの亡命事件

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昨日の憲法記念日に逗子市で映画「若者たち」の上映会があった。

テレビ番組「若者たち」の評判は知っていた。

フジテレビが放映した、貧困若者群像ドラマ。信じられないことだが、あの自民党と財界が設立した反動軽薄(フジの所為でタモリは毒と牙を抜かれ、テレビの白痴化は進んだ)マスゴミの8チャンネルに奇跡的とも言える、硬派番組。

俺は、興味津々で見に行った。

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【上映会場の逗子文化プラザ】

映画は、貧しい長屋暮らし、佐藤一家の物語。太郎(田中邦衛)は建築現場で下請けの設計技士。 次郎(橋本功)はトラック運転手。 三郎(山本圭、左翼演じてこの人の右に出るものはいないね)は明治大学の学生、授業料値上げ反対闘争で活躍している。 オリエ(佐藤オリエ、最近、タレ目のカワイイ子っていねぇな)は家の家事仕事全般を引き受け、 末吉(怪奇大作戦の道化役、松山省二)は兄のいる明治大を目指し浪人中だ。兄弟の親(父は憲兵)は、2人とも亡くなっており、学生2人の授業料は、中学中退の長男太郎が稼いでいる。

劇中、兎に角、この兄弟は家中で猛烈なケンカをする。テレビドラマ「寺内貫太郎一家」もケンカが売りであったが、そんな生易しいレベルではない。
アニメ「巨人の星」の星一徹もドラマでは一回しかやっていない、ご馳走が乗っかったちゃぶ台全部ひっくり返しが凄まじい。クリームとマヨネーズ?でぐちゃぐちゃの顔で、田中邦衛は弟たちとホンネで口論するのだ。それでも、言いたいことを言い合った後は、スパッとケンカは終わる。包丁で刺すこともないし、兄弟が寝静まった後に放火をすることもない、ましてや兄弟をバラバラにして、予備校になんぞ行かない。
貧しいが、何とも羨ましくも思える兄弟たちだ。

ストーリーは、当時の世相を反映した、社会の矛盾を追及していく。

授業料払えず退学、看護婦の道に進む河田靖子にアカ共産党の栗原小巻。働いていた工場が倒産しそうなので、製品を行商して歩く妾の子の姉妹。その姉に恋するぶきっちょな次郎。太郎の工事現場で起きた労災事故で、労災とならずに障害を背負う孫受けの労働者、太郎と結婚の約束をしながら「さよなら」をつげる行かず後家の淑子に小川真由美。一人、ケダルイ雰囲気をプンプンさせておりました。
三郎の友人、小川隆に江守徹。これの父親が末期ガンで倒産寸前の玩具工場の社長で大滝秀治なんだからたまらねぇ。予定通り、親父はくたばって、葬儀での金目当ての親戚との修羅場が演じられる。
他に、オリエの恋人となる、靴職人の戸坂にテレビ「水漏れ幸介」の石立鉄男、これが被爆2世なんだから、バリバリの社会派ドラマに拍車がかかる。

まあ、よくもこんな90分の短い上映時間に悲惨なストーリーを詰め込んだものだと思ったりするが、映画自体は、決して暗い一辺倒の物語ではない。田中邦衛と特に橋本功のメチャクチャな行動が爆笑を生んで救いとなっている。それでも泣ける映画だ。これでもか、これでもかと泣けてくる映画であった。

映画自体は、公開当時、メジャー配給会社がしりごみして自主上映の形を取った(製作・劇団俳優座/新星映画社)。最初に公開されたのが名古屋だった。ところが映画は大ヒット。1967年当時、入場者数が50万人であれば業界では成功作品と言われていた時代に、なんと300万人動因の大ヒットとなった。
当然のように続編が作られ、69年続編として「若者はゆく」、70年「若者の旗」の3部作となった。

さて、この映画のもととなったテレビドラマ「若者たち」、実は6話分の撮影が終わったとき、もう打ち切りの危機を迎えていた。上映前の挨拶で、脚本を担当した山内久氏が、その打ち切りを止めさせたのは田中邦衛のおかげだと話していた。
最初の6巻を撮り終わったところで、「この企画は取り止めだ。暗い、金のかかる割には、視聴率が上がらない、取り止めだ」と言われまして、「これだけ、担当者や関係者が熱意をもってやっている企画はありません。どうかお願いします」といったのですが、「それでもだめだ、決定だ」
さて、どうすると皆を前にした森川監督の前で田中邦衛が言った。
「俺はいいよ。変質者とか殺人鬼とか、そういう役ばかり俺はやってきたんだ。それが、働いて4人の弟妹たちを育てる、そんな労働者の役をやらせてもらった。これをもとにして、もっといい演技を創造して行くから、俺はいいよ」
それを聴いていた周りの者たちを感動させるほど心のこもった発言だった。周りにいた編成課長とかが、どういうふうに説得したのか知れんが、上を説得した。

このようにして田中邦衛の熱い想いで継続となった「若者たち」であったが、北朝鮮がらみの事件がきっかけとなって、結局1966年9/30の34回目の放送で打ち切りとなってしまう。
『若者たち』も34回で幕
◎1966年9月23日/フジテレビ

いまもテーマ曲が歌いつがれている青春ドラマ『若者たち』(作・山内久、演出・森川時久)。その一編『さよなら』が、たまたま起きた国際的な事件の余波で、突然中止とされてしまった。『さよなら』は、自分が朝鮮人であることを隠してきた娘が次第に目ざめていく過程を通じて、日本人の差別意識を深く考えさせる作品だった。
ところが、放送直前の17日に、北朝鮮の漁船員が船長らを射殺して日本に亡命するという事件(平新艇事件)が起こり、その処遇をめぐって日韓関係は微妙な情勢になった。21日に『さよなら』の試写を見た同社幹部らが、「これに刺激を与えたくない」との理由で放送中止を決定したもの。
この一週間後、9月30日の放送で『若者たち』34回の放送が終了。打ち切りに抗議し放送の再開を要望する投書がフジテレビに殺到した。フジテレビでは翌67年2月から、24本について再放送を行っている。(花伝社「放送中止事件50年」より)

フジテレビは再放送のさいに、24本しか放送していない。残りの10本に何か政治的に不都合なことでもあったのか? 意図的に放送しなかったのかもしれない。
いずれにしても、北朝鮮からの亡命者がテレビドラマ「若者たち」を中止に追いやったことは興味深いことだ。




さてさて、「若者たち」は、貧しくともたくましく、曲がったことの嫌いな若者の生き様を描いていたが、いまの日本をひるがえってみてどうだ?

若者たちには、口論ができる兄弟もいないし、組織化されていないすべての虐げられた労働者のために戦う労組もこの世にいない。

風呂がなくても、長屋があったが、いまじゃネットカフェと24時間のマックが寝床じゃ、戦う気力も失せるわな……。


派遣労働者、フリーターの諸君!
死ぬときゃ、悪いやつを巻き添えにしろよっ!!
posted by 死ぬのはやつらだ at 15:40| Comment(4) | TrackBack(2) | 映画/邦画・アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 敢えて突っ込ませてください。こういうのは旬が大事だから(笑い)。

> 山本圭、左翼演じてこの人の右に出るものはいないね……

 右に出てはいけません。
 左翼演じてこの人の【左に出るものはいない】でしょう。
 失礼しました(ペコリ)。

 栗原小巻は共産党だったですか。
 映画『戦争と人間』の第一部、金持ち伍代のバカ息子高橋悦史に犯される場面はえがったですねー。しかし、オッパイ、なんで吹き替えたんだろう。自前のもののほうが余程か綺麗なのに! あの処置だけは不満だった。
Posted by 本間康二 at 2007年05月05日 02:47
打ち切りの原因が北朝鮮から日本に亡命した人間の事件で韓国との関係に影響するからですか。
散々北朝鮮や韓国、中国の悪口を言っているくせに裏では繋がっているとは統一教会・文鮮明支配メディアだけあります。
何が「正論」かよ、と言いたいです。
Posted by ゴルゴ十三 at 2007年05月05日 06:42
>オッパイ、なんで吹き替えたんだろう

そこが共産党シンパの限界か?

それと、平新艇事件については、ネット上にはほとんど情報がありません。

誰か知っている方、教えてくだされ。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2007年05月07日 19:56
もうすぐNHK-BSで、この映画が放送されます。

まだ小学生だった頃、テレビで見ていた記憶があります。映画は見ていません。

見るのが楽しみです。
Posted by Taka at 2011年04月24日 21:34
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