金森徳次郎は、1934年、岡田啓介内閣の法制局長官に就任するも、在任中に法制局長官就任以前の著作『帝国憲法要説』が天皇機関説的であるという理由で右翼勢力に攻撃を受け、1936年、辞任に追い込まれている。
私たちはいままで世界の優れた国の人よりもおくれた考え方をしてきました。これからは世界のどこの国の人にもおくれをとらない考え方で、平和な開けたそして朗らかな国を作って行かなければなりません。そのためには国の政治を改めて、一番進んだ政治の形をとらなければなりません。この政治の形をとるために新憲法が生まれたわけであります。そこで皆さんが新しい憲法をまっとうする上に、どういう心構えが必要かと申しますと、私たちは自分でやったことには、自分で責任をもたなければなりません。
さてこの新憲法は、教育機会均等ということを定めてあります。これは皆さんと一番関係がふかいのです。いままでは金のある人は教育を受けられ、金のない人はなかなか教育を受けられなかったのです。
結局一番大切なことは、いままでは服従ということに重きをおいて来ましたが、それでは自分というものがほろびてしまいます。ほんとうの人間になるには、正しいちえ、また正しい考え方は、自分の中にあると信じきって、思う存分自分の心や腕を伸ばして世の中に立っていく、そのかわり、それがまちがっていたら、その責任は自分でとって、人のせいにしないという、心がまえが必要であります。
この心が日本人の全部にひろがってくれば日本は栄え、そうでなければ日本はだめになってしまいます。
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