2007年02月12日

憲法9条堅持で国体を護持する

佐藤ラスプーチン優は、自身を保守陣営に所属するという自己意識をもっている、と規定した上で、現時点で提示されている改憲案は、国体を毀損する可能性があると思うので、それならば現行憲法を維持したほうがいいと月刊「創」3月号にて主張している。
第2章 戦争の放棄
第9条

1)日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


戦争の放棄は、「国際紛争を解決する手段としては」という条件付でなされている。そして、2項は、戦力の放棄を「前項の目的を達するため」にという条件付で決めている。
国家の自殺は考えられず、侵略されればそれに対抗する戦力の保持は認められる、と俺は考える。よって、自衛隊は合憲であると言わざるを得ないのだ。
自衛隊が解体するなどということはその組織の巨大さと、利権の大きさ、そして米帝による日本占領が続く限り、天皇制廃止同様に「絶対ありえない」としか思えない、という消極的な理由もある。

しかし、「国際紛争を解決する手段として」行われたイラク戦争に自衛隊が現在も空輸などによって関わっているのは憲法違反であり、絶対に許されてはならない事として断固反対する。
「付随的な任務」とされてきた自衛隊の海外活動などを「本来任務」として位置付けることなどを内容とした自衛隊法の改正も憲法違反であることは当然だ。核保有なんぞもってのほかである。

さて、佐藤の考えは、憲法9条と日米安保はパッケージだ。戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認は日米軍事同盟と併せることによって国際社会の「ゲームのルール」(戦争は違法化される傾向にあるが、国際紛争を戦争で解決する事は否定されていない…Ex国連憲章)と噛み合うようになるとしている。

その上で、なぜ9条改正が国体を毀損するのか…
仮に憲法第9条を改正し、日本が正規軍を保持し、交戦権を確保したとする。その場合、宣戦の布告は誰が行うのであろうか。宣戦の布告が、国会の召集よりも重みがあることは確かなので、天皇が国事行為として行うことになる。日本が行う戦争が勝利すればよい。大日本帝国憲法が制定された時点では「わが国が戦争に敗れることはない」という神話が機能していた。この時点では、国民国家を形成した後の日本国家が戦争に敗れたことがなかったので、そのような希望的観測に基づいて憲法を組み立てることができた。しかし、日本は62年まえに戦争に敗れたではないか。今度、戦争をした場合に負けないという保証はない。敗戦の場合、宣戦布告を行った者の責任が追及されるのは論理必然だ。だからこそこの論理連関を断ち切るために、交戦権は否認しておいたほうがいい。
太平洋戦争敗北後、日本の国体は危機に瀕した。東西冷戦の兆候が顕在化した状況で、アメリカは日本に共和制を導入すると、それがブルジョア民主主義の枠内にとどまらず人民民主主義(社会主義)化することを恐れ、皇統を維持したのである。わが国体は、かなり偶然の要素に作用されて、ようやく護持されたのである。このような過去の歴史から学ぶべきだ。筆者が憲法第9条の改正に反対するのは、それによって、将来、国体を毀損する恐れがあるからだ。(「私の護憲論」月刊創3月号)


かなり興味深い主張だ。憲法9条堅持、その理由がいままで左より語られてきた「反戦」の思想ではなくて、国体護持のため、という右の考えから導かれているのは、たぶん過去にもなかったのではないか。

現行憲法の制定が急ピッチで行われたのは、GHQの「国体護持」という基本占領政策をスムーズに行うためには、東京裁判にて天皇の戦争責任を問われるのはまずいと考えたことと、日本政府が「国体の護持」だけを念頭においていたことが原因だが、佐藤の主張はこの流れに合致する。
極論すれば日本国憲法は、「国体の護持」のために制定されたとも言える。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

この99条を誠実に守っているのは、いまの天皇皇后両陛下であることは誰もが認めることだろう。
「このときに当たり、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いついかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望します」90年即位の礼にて。

「君が代」も歌わないし、押し付けない。もちろん「靖国神社」なんぞ即位してから一度も参拝していない。ましてや女帝反対論者がたびたびつかう「万世一系」などという荒唐無稽な言葉を、口にされたことはない。
その一方で、贖罪意識が強いようで、ご夫婦で大東亜戦争の激戦地(沖縄、硫黄島、サイパン島)への慰霊もされている。

皮肉にも、現行憲法の改正は、右にとっては「不敬」ともとれる政策だとも言え、左にとっては、「象徴天皇制」あっての「護憲」とも言えるのではないだろうか。





posted by 死ぬのはやつらだ at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本国憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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