「日本は国際貢献をしなくてはならない」ってのがあるが、その「国際貢献」の正体は何か、「国際社会」の実体とは何か、紛争当事国アフガニスタンから見た「憲法改正案」の虚妄、平和憲法の現実的功績を中村哲さんが、雑誌SIGHT(2007冬号)で語っている。
中東、少なくともアフガニスタンでは、反日感情が急速に芽生えていると言えますね。これは「国際貢献」のひとつの答えじゃないでしょうか。
アフガニスタンで長年医療支援を行っている中村哲さんの言葉である。
イスラム教徒の間では、長年にわたって日本は「美しい誤解」で評価されてきた。「日露戦争」で大国ロシアに勝ったこと。「原爆の被害者」、そして奇跡の経済復興。そして60年間も戦争をしてこなかったこと。
それが、180度変わって、日本人であるがために襲撃の対象になりつつある。すべてが、イラクへの「国際貢献」が原因であるという。
「美しい誤解」が、見事に裏切られたんじゃないでしょうかね。「強い者にはペコペコする日本」、「石油の利権が絡めば武力行使も辞さない日本」というマイナスイメージが急速に拡大してると。
日本政府は、軍隊の派遣ではない。「人道復興支援」だと言っているが、通用しないようだ。
今のところアフガニスタンでは、日本を尊敬し続けてきた世代がまだまだ社会の中堅にいるので「ひょっとしたら日本はだまされているんじゃないか」とか、好意的な受け取り方もあって名指しはされてないが、時間の問題だと中村さんは言う。
私が思うのは、「国際貢献」というときに、「誰のための国際貢献なのか」「国際社会というものの実体は一体何なのか」ということです。
中略
まず、何をすべきかではなくて、何をしたらいけないかというのを考えなくちゃいけないと思うんです。あまりに身近にあるためにその価値に気づかないということがしばしばあるわけで、むしろ今ある9条のリアリティ、これはひとつの立派な力なんです。国際貢献を声高に叫ばないということが、世界平和のために役立つことじゃなかろうかと。たとえばスペインがイラクから軍隊を引き上げましたね。列車爆破事故がきっかけだったとしても、あれ以後スペインに対する感情はよくなってきたわけで、だから日本がやるべきことは、「国際貢献」という言葉のマジックではなく、まず「武力行使をしない」ことをさらに明確に表明する。そして実際にそれを政策として打ち出すべきだと思います。憲法を改正するとすれば、「永久にこれを放棄することをさらに確認する」と付け加えるべきでしょうね(笑)。
9条のおかげで、外国で戦争しなかったというそのことが、大きな「国際貢献」だったし、その事で国際的な信用を得て海外での経済活動にも安全性が保障されていたのだ。
去年の8月、アフガニスタンでは「タリバン法」を復活させている。タリバンはもともとアルカイダとは違って、アフガニスタン国粋主義のようなもの。「美しい国」を守りたい者の集まりであった。タリバンの思想をアフガンから抹殺するのは不可能に近い。タリバンに極悪非道のイメージを植え付けたのは欧米の操作だ。
現地では、国連でさえ欧米大国の代理店のイメージが定着しているという。
国連がそれなりの有効な活動をしていればまだよかったんでしょうけれども、国連を含めて国際機関、国際社会と呼ばれるものがしたことには必ずしも現地のためにならなかったということです。今アメリカが表向き立てている自由とデモクラシー、男女平等、これは、実はソ連軍(80年代に侵攻した)が掲げていた改革綱領とほぼ同じなんです。だからどんな綺麗事言ったって建設隊とは見られていないというのが実態ですね、国連も含めて。
中略
だから、国際貢献とか国際協力活動という言葉は眉唾で見るべきだと思いますね。しかも日本で使う「国際」という意味と現地側が受け取る「国際」とこれまた違うんですね。「国際」というのは「国を超えた」という意味ですけども、日本では欧米列強と歩調を合わせたひとつのソサエティのことを言っている気がするんですよ。
去年、教育基本法改正があっさり通ってしまった。いろいろモンクはあるだろうが、改悪案が決議された最大の理由は、この国のバカが自民湯を一昨年の選挙で支持したからですよ。
憲法改正には国民投票での賛成票が必要。良識のある国民が多数を占めていれば、憲法改正はお流れとなるが、1週間に一度しか風呂に入らないバカモノがN産車のシート作っている限り、あっさり改正されてしまうよ。
もし、9条が改正されたなら、同時に徴兵制も施行して欲しい。口先ばかりで中国の脅威をグチるバカに軍隊の恐ろしさを教えてやりたい。
それと、同じSIGHTで慶応大法学部教授の小林節が言ってたけど、自民党憲法調査会のメンバーには金正日同様、政治家を世襲制として引き継ぐバカが多すぎる。
(名簿を見ながら)保岡興治、中谷元、船田元……みんな二世議員ですよ(04年10月時の自民党憲法調査会は45人中、少なくとも17人が世襲議員)。あとは元役人。とにかく彼らは、特殊な人生を生きてて、新しい貴族階級が生まれているんですよ。殿様階級としては伝統的な憲法(国家権力を縛る憲法)だと仕事がやりにくい。だから「日本は民主主義国家だ。僕たちは君たちから生まれたんだぞ。信用してくれよ」って言う。
世襲議員たちよ、当然ながら、お前らの子供や孫も自衛隊に入隊する義務を負ってもらわなきゃならんよ。
態度で示そう、「愛国心」と「国民の義務」。
わたしの場合は
”もし自然権の追求を禁ずる法令が公布されたのだとするなら、
その法令が違憲である”
というものです
つまり日本国憲法第9条は違憲と思ってるわけです。
その法令が違憲である”
というものです
つまり日本国憲法第9条は違憲と思ってるわけです。
そもそも「憲法」とは「法令」ではなく、国家の統治に関する基本原則であり、つまりは組織の根幹を成す規範(法)です。そして「法令」とは「法」律と命「令」を合わせた用語です。(「法令」は例外として条例、最高裁判所規則、訓令を含む場合もあります。が、「憲法」は含みません。むしろ「憲法」というという概念が「法令」自体を含むので、「憲法」が「法令」であるというのは、論理矛盾でしかありえません)
それに自然権というのは自然状態において人間が持つ権利であり、元々人間が持っていないはずの交戦権を否定する9条は自然権の追求を禁じているわけではありません。
参考:ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%8A%B6%E6%85%8B
「法令」を「規範(法)」と読み替えてください
なおわたしは交戦権も自然権に含まれていると思ってます
全く遅すぎるコメントですが、あまりにも酷い認識を看過できず、いくつか述べさせていただきます。
交戦権が存在するとして、それは国家が行使するものであるから、それは権利ではなく、権限である。
ゆえに、交戦権は自然人が有するものである自然権の一種などではない。
また、憲法とは国民が国家権力を規制するためにある法規である。交戦権を否定するということは、国家として戦争を行わないことを示しているのであって、例えば国民が個人として正当防衛的な行動をとることを禁止するものではない。
さらに、憲法の規定が憲法に違反することは、論理的にありえない。条文同士が矛盾することはありうるが、それは『違反』ではない。優先順位が問題になるだけである。
キツイ物言いですね
だんだん思想崇拝になりやがてそれを達成するための独裁者が生まれ個人崇拝が生まれる
その先にあるのは平和とは程遠い旧ソ連やムッソリーニ政権下みたいな状態でしょう
彼らにとっては九条を守ることだけが平和でそれ以外の手段で平和を求める人を「軍国主義者、右翼主義者」と否定します。
そこらのカルト宗教と何にも変わらないでしょう
彼らはただの九条絶対主義者なのです
平和と言うのは彼らの思想の原点にあるマルクス共産主義と言う宗教を布教するための手段(口実)に過ぎない。
それを断固として避けんとする意思を、「マルクス共産主義」って・・・
どういう脳味噌してるの?
>それ以外の手段で平和を求める
戦争でしょ?
防衛戦争って言う名の。
つまり「チキンホーク」か。
武器使用を制限され、ただ追うことしかできない日本。そして領海外に出られたら追うことすらもできない。
平和思想の理想だけでは日本国民の為にはならない。
なぜなら、米なり中なり北なり露なり日本に戦争を仕掛けてきても9条は日本の戦争行為だけを制限しているだけなのだから。
自衛の為なら・・とは言われているが、発射して数分で音速を超え到達する弾道ミサイルなど半世紀前とは大きく違って日本に侵攻してきた敵を迎撃するだけでは済まない。
もちろん外交の方が比べる事のできないくらいに大事。だからと言って軍事力を使うという切り札を捨ててはいけない。それでも軍事力を捨てるというなら『戦争になったら日本は無抵抗で外国の一部になる』とハッキリと書き右でも左でもない大多数の日本国民に平和主義という名の無抵抗主義でいいのかと判断させるべき。
武器を使って被害者を乗せた船を撃沈しなかったからマシだというような言葉が返ってくるかな?w
まとめると時代とか現実に即してないのでそういう部分は変更すべき。
日本の根幹を作る重要な文言とは言っても軍事力の放棄を歌って実際に自衛隊を持っているわけで。なによりGHQがいた頃に作られたもんですしねぇ。
恒久の平和を求める。のみなら誰も改正なんて言わんのだがなぁw