2006年12月02日

実相寺昭雄 死す

「ウルトラマン」シリーズ演出、実相寺昭雄さん死去

 「ウルトラマン」シリーズなどで知られる映画監督、実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日深夜、東京都文京区の順天堂大医学部付属順天堂医院で死去した。69歳だった。通夜、葬儀の日取りは未定だという。

 関係者によると、実相寺さんは入院中で、容態が急変したという。

 実相寺さんは東京都生まれ。早稲田大第二文学部仏文科を卒業後、KRT(現TBS)入社。66年の「ウルトラマン」をはじめ、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」など特撮作品を演出。奇抜なアングル、存族的な照明を取り入れ、テレビ界に新風を吹き込んだ。(夕刊フジ)


俺は子供の頃、「ウルトラマン」から始まり、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」とリアルタイムで見た世代だ。

所詮ガキ向けと、いつのまにかバカにしていたが、レンタルビデオが出始め、バンダイのビデオで見なおして、その考えを改めた、実相寺が演出したものは、ガキ向けの体裁をした、実存テレビ番組であったと。

だいたい、ウルトラマンの亡霊怪獣シーボーズからビックラこくぞ。オープニングが、科学特捜隊司令室での怪獣供養から始まる。ちゃんと祭壇があって、ウルトラマンが殺した怪獣の遺影の前で坊主が読経してるんだ。しかも、でてきた怪獣シーボーズは、最初からウルトラマンと闘う気が無くて、ただ怪獣墓場に戻りたいだけ……。5歳のガキであった俺は、泣きながら見ました。「ウルトラマンのバカぁーっ。シーボーズが可哀想だぁーっ」

生き物を殺すウルトラマンとは? 正義とは何なのだ?
単純明快な正義の味方が悪者に転じた、画期的な内容だ。

話は脱線するが、「ウルトラシリーズ」は、芸術の香る作品だった。怪獣のデザイナー成田亨が現代芸術志向だったので、3面怪獣「ダダ」なんか、ダダイズムからとっているし、4次元怪獣ブルトンは、あのアバンギャルド芸術運動のアンドレ・ブルトンからとっている。

そして、「ウルトラセブン」。ここでの実相寺作品は、「奇抜なアングル、存族的な照明」によって、ほとんどATG作品と呼んでよいほどの出来栄えとなっている。

「奇抜なアングル」とは何か。例えば、ウルトラセブン8話「狙われた街」の随所に出てくる、背中肩越しのショット。画面いっぱいに、役者の背中があり、動くのはその右の片隅に映っている役者のみとか、電話の受話器の狭い隙間ごしのショット。
さすが、女王「美空ひばり」を、毛穴がわかるほどのアップで左遷された男だ。

そして、「存族的な照明」。ウルトラ揃備隊の司令室の照明は落とされ、逆光の中で、唇だけが大写しになるショット、ウルトラ揃備隊員はシルエットのまま演技する。他に、長ロングの長いワンシーン、などなど、どう考えても実存作品なのだ。
有名すぎる、メトロン星人が、4畳半で卓袱台に胡坐かいて、モロボシダンと話し合うシュールな映像は、実相寺ワールドの真骨頂であろう。

続く「怪奇大作戦」で実相寺は、レギュラー陣に狂気を演じたら最高な岸田森を得て、おそらく彼の、最高傑作「京都買います」を撮る。
岸田のほろ苦い恋の結末が、衝撃のエンディングで終わり、見ている者を突き放す。
「なんじゃーっ これは!!」
これの素晴しさは活字で表現のしようが無く、レンタルで借りて見ていただくしかない。子供番組を借りて、好き放題やれた、古き良き時代ならではのテレビ作品だ。

残念ながら、テレビが革新だったのは70年代前半までで、それ以降は無駄の連続であった。

そして、残ったのは、傲慢な態度、「朝ズバッ」みのもんた……

実相寺昭雄 享年69歳







posted by 死ぬのはやつらだ at 04:19| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 墓碑銘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 実相寺監督のご冥福をお祈りいたします。

 私的にはウルトラセブンでの「第四惑星の悪夢」「円盤が来た」の二作品が実相寺作品のベストです。

 「ガキの世界と揶揄」されるのが当然な「ウルトラワールド」を「日常」に溶け込ませてしまうのが「実相寺ワールド」の醍醐味でしたね。

 「円盤が来た」では、ゲストの「フクシンさん」、「第四惑星の悪夢」では、「ソガ隊員」に「実相寺の日常レーザー」が「照射」されています。

 「実相寺レーザー」を浴びた「ウルトラワールド」はあたかも壁一つ隔てた隣の部屋か、まるで家のすぐ外の世界で展開しているような、「実存性」を帯びたのです。

 また一人「天才」が逝去されました。
合掌。
Posted by 大木銀太郎 at 2006年12月02日 10:16
 お久しぶりです。先般はご心配をおかけしてしまって申し訳ありませんでした。
 さて、私は「昭和ウルトラ」を観て育った世代ではありませんが、幼い頃から特撮ヒーロー番組が大好きで、今でも特撮ヒーローのイラストをよく描いたり、そっち系のサイトをのぞいたりします。
 そんな私ですが、最近はどうも、かつてのような純な気持ちでヒーロー番組を楽しむことができなくなってきました。と言うのも、ココでも挙げられているような、「正義とは何か?」「悪とは何か?」といった類のシリアスで哲学的な作風が、どうも鼻について仕方がなくなってきたのです。自分でも今一つ上手く表現できませんが、一言で言えば、「もっと明るく楽しい勧善懲悪な作品を観たいんだ!」ということです。
 恐らく、死ぬのはさんやこのブログにコメントするような皆様は鼻で笑うかも知れません。しかし、先日のコメントでも書いたとおり、私はどうも政治の世界にも「正義のヒーロー」を求めてしまう部分があって、「今の日本を支配している自民党という『悪の組織』はやがて、左翼という『正義のヒーロー』によって倒され、世界は本当の意味での『悩みも苦しみもない正義と平和のユートピア』になるに違いない、なってもらわなければ困る」という思いを幼い頃からずっと持ち続けてきました。

 最近、ふと「自分にとって『ヒーロー』とは何なのか?」ということを考えてみました。そしてたどり着いた結論は、最早自分の中では、「ヒーロー」は単なる娯楽の枠を超えて、私の精神を救済してくれる「神」のような存在になりつつあるのではないか?というものでした(ひっくり返るかも知れませんが、私にとっては死ぬのはさんが「正義のヒーロー」に見える時もたまにあるんですよ?)。
 恐らく誰でも、自分の信じている神様が、痛めつけられて傷ついたり、悩んだり苦しんだりする姿を見るのは耐えられないでしょう。それと同じことだと思います。
 シリアスで哲学的な作品をやめろとは言いません。しかし、それでなくても現実世界に於て「正義のヒーロー」が痛めつけられ、敗北し続けているというのに、せめてテレビの中ぐらい「明るく楽しい勧善懲悪」を観ることで、魂の救済を得たいと考える私は、やはり浅はかで稚拙な人間なのでしょうかね・・・。
 ダラダラと乱文を失礼しました。そして実相寺氏のご冥福をお祈りいたします。
Posted by ニュースコープ at 2006年12月15日 05:59
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