2006年11月15日

映画『硫黄島』2部作を見る上で知っておきたいコト

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なんと、安倍がイーストウッドのフアンだという。まさか、忙しい国会最中に、イーストウッド監督の『硫黄島』2部作を見る暇など無いと思うがね。

もし見たのなら、「戦争に喜んで参加する、美しい国民を作る為に教育はある」と確信するんだろうな。

とにかく、深く考えない、何の疑問も持たない人間が、為政者には必要なんだなこれが。

「自由と民主主義を守る」為に、米海兵隊は硫黄島の戦闘に参加し、「国体護持」の為に、日本軍守備隊は、米軍を迎え撃った。

その話は、次回に考えるとして、『硫黄島』2部作を見る前に知っておくと良い事をいくつか……
●なぜ、栗林中将が硫黄島に派遣されたのか?

実は、硫黄島守備隊の隊長は、別の将軍が任命されていた。しかし、政策上で栗林としばしば口論をしていた国賊戦犯東條英機が、わざわざ栗林を任命した。他の将軍が東條をいいくるめたという噂だ。

●バロン西の金とオンナ癖

硫黄島に配属された第26戦車連隊の連隊長西竹一中佐は、男爵で金持ちの華族。1930(昭和5)年にヨーロッパ各地の馬術競技を転戦。西は。ヨーロッパで2000円の買い物(そのうち500円は馬ウラナス号お買い上げ)をしている。ちなみに、当時の大卒初任給が75円であるから、いまの貨幣価値で言えば、約500万円になろうか。帰国前から、西のご乱交の噂は広まっていた。
1932(昭和7)年にはウラナス号でロサンゼルス・オリンピックに出場、個人障害で金メダルを獲得した。そのとき、西はハリウッド女優との情事を噂されている。帰国後、西はウラナス号と名づけたモーターボートとV12気筒エンジンで金ぴかに塗った米車パッカードを購入。
まぁとにかく浮世離れした方であったようだ。
西は、硫黄島に赴任するさい、ウラナス号に最後の別れをし、その際、たてがみを切ってポケットにしまった。

●米海軍が上陸前の砲撃を3日しかしなかった理由

映画『父親たちの星条旗』では、海兵隊のカミナリ<Xミス将軍が海軍の砲撃要請の無視に電話を叩きつけ激怒する場面がある。
海兵隊の攻略作戦案では10日を要求していたが、実際は3日しか米海軍は砲撃しなかった。
米海軍は硫黄島侵攻にかこつけて、空母艦載機による日本本土爆撃をたくらんでいたのだ。これは、米陸軍戦略爆撃隊B29による爆撃を2番煎じに落し込めようとするものであった。
しかも、海軍は追い討ちをかける。硫黄島砲撃隊から新鋭戦艦2隻を引き上げると通告したのだ。結局、日本軍が真珠湾で大破させた旧式戦艦のみが残り、効果的な砲撃もできず、海兵隊は上陸1日目で2000名の死者を出すこととなった。

海軍と陸軍の仲の悪さは、日本軍だけではなかったのである。

●観測機に撃墜されたゼロ戦!

巡洋艦ペンサコラの観測機キングフィッシャーを追尾したゼロ戦は弾をはずし、これを追い抜いたあと、すかさず撃った観測機の機銃を被弾。海岸の下にある断崖に激突した。

●日本軍守備隊、巡洋艦撃沈!?

そのペンサコラは、2月17日、海岸線1マイルの地点で砲撃を開始したが、大野少尉率いる150ミリ砲部隊に砲撃され、うち7発を被弾。砲弾は、戦闘情報センターを直撃、主砲弾丸も誘爆、喫水線近くにも大穴を開けたが、あと少しで砲台がくずれ、守備隊は撃沈を逃した。
このシーンは、映画にて、艦に直撃するのがCGにて再現されている。

ただし、栗林は艦船に対する砲撃を認めてはいなかった。案の定、擂鉢山に残された重砲陣地は、報復砲撃を受け、あっさり壊滅した。

●栗林将軍のたった一つのミス

2月17日、2日後の上陸に先立って、米特殊潜水部隊(フロッグマン)が砲艇12隻で海岸に向かった。海底の様子をさぐり、上陸目標の標識を入れ、障害物を破壊し、海岸の砂を持ち帰るためである。

栗林将軍は、これを上陸部隊と間違え、砲撃を開始。これの殆どを撃沈したが、おかげで、いままで米軍に知られていなかった陣地が暴露され、米戦艦の報復砲撃で、擂鉢山の大野少尉率いる150ミリ砲部隊の砲弾5000発すべてが誘爆。擂鉢山防御の主役、大野の部隊は、ただの歩兵部隊となってしまった。

東京の海外向け放送は、「2月27日午前、敵軍は硫黄島上陸を試みた。日本軍守備隊はただちに反撃、上陸部隊を海上に追い落とし、さらに戦艦を含む5隻を撃沈した」と報じた。もちろん戦艦云々の部分は大ウソである。

●米海軍の縁起の悪い朝食

それは、ビーフ・ステーキ。米海軍の伝統で、敵前上陸の朝食メニューである。

●戦争での死に方は、あまりにも無残だ

『父親たちの星条旗』では『プライベート・ライアン』のように、これが戦争というグロテスクな描写は、控えめである。せいぜい、首が転がっているシーンと手榴弾自決でグチャグチャになった日本軍兵士ぐらいだ。

日本軍守備隊による激しい砲撃の為、ほとんどの米兵は、目の前で肉を裂かれ、4肢をちぎられて死に、そのまま地面に散らばされられていた。
それらが海岸に打ち寄せられ、あたりは血の地獄のミネストローネスープとなっていたのだ。


●万歳突撃を認めなかった栗林

海兵隊による擂鉢山の掃討作戦では、日本軍の声がする穴にはすべてガソリンを流し込んで火をつけた。200人以上の日本兵が焼け死んだり窒息死している。

厚地大佐は、「このままでは自滅のほかなく、むしろ出撃して万歳をとなえん」とバンザイ突撃を要請したが、栗林将軍はこれを無視した。
「敵がわが方の陣地を占領しても、擂鉢山は全力をつくして守ること」これが栗林の命令であった。

日露戦争以来、陸軍の歩兵戦闘は白兵戦によって決することが金科玉条であった。
驚くべきことに、それから40年以上大東亜戦争でも、これが繰り返され、無駄な兵力の消耗を増加させたばかりでなく、結果的に攻めている敵に有利に働くこととなった。
栗林はこの考えを改め、兵力の温存を考えた。1日でも米軍による本土上陸を阻止する為であった。
朝鮮人による強制労働で作られた堅牢なトーチカと地下通路は、硫黄島を難攻不落の要塞とさせた。

これによって、米軍の戦死は6,821人、戦傷者は21,865人にもなった。

●硫黄島での特攻

海軍御楯特別攻撃隊は正規空母サラトガに3機突入、これを大破。123人が戦死。サラトガは終戦までドッグ入りとなった。

護衛空母ビスマルクシーは、特攻機を大破したサラトガの艦上機と間違え、対空砲火を撃たなかった。これが横っ腹に命中、航空魚雷と艦載機を誘爆させ大爆発。乗組員218名が海の藻屑と消えた。

●日本軍兵士の最後

戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」を守った日本兵は投降を拒否したし、投降をしようとした兵士は後ろから撃ち殺された。

米軍は、最初、投降を呼びかけたが、次には、火炎放射器で焼き尽くし、それでも出て来ない日本兵のいる穴に対し、海水を注入。その後でガソリンを注ぎ込み火をつけた。

日本軍21,152人のうち、捕虜として生き残ったのは、わずか1,023人である。

以上、ネタモトはリチャード・ニューカム著『硫黄島』NF文庫より。




posted by 死ぬのはやつらだ at 04:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | 大日本帝国と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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