初めて、民族派政治団体のイベントに行ってきた。第64回「一水会」フォーラムである。
俺が慕う宮崎親分の公演であった。
会場の正面に日の丸が無ければ、民族派の講演会とはわからないと思うくらい、会員のメンバーはラフな格好の若い人が多かったし、女の子(見沢知廉のファンか?)も結構いて、年寄りばかりの、どこかの市民グループの集会よりも「行きたい」と思えたのは不謹慎だったろうか……。
俺の偏見だが、怖い雰囲気は、代表の木村さんとゴツイ体格の委員長?の黒服の方だけで、鈴木さんも含めて普通の人たちと思えた。
さて、肝心の宮崎親分の公演だが、出版したばかりの『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』を基調として、親米右翼を批判する内容もふくまれていたのはサスガ。
「国の為というかたちではない方が、実はラジカルに戦える」という考えを提示し、近代国家などというのは、たかだか150年の歴史しかないのに、「国を守る」ことに固執することによってネット右翼の増殖に対抗できず、民族派運動が停滞をしたことを鋭く指摘していたと俺は思った。
帰りに「一水会」の機関紙レコンキスタを買い、電車の中で読んだが、意外にも「正論」「サピオ」のほうが、勇ましいモンクが多いように思われた。
逆に言えば、それだけ、世間が右に行き過ぎている証なのだが……。●補欠選挙、創価学会の過去最大の選挙動員による自民党勝利
まず最初に、昨日、日曜日に投票が行われた大阪と神奈川の補欠選挙の結果を安倍内閣というものを考える上で、ひとつの材料になると思いますので、僕が何を考えたのか感想を話しておきたい。
実はこの選挙、両方とも自民党が勝つだろうと、いうことは前から言われていた話でありますね。問題は票差はどのくらいになるのか、水が大きく開くのか、というのがポイントであります。勝敗の帰趨もはっきりしている、ということなんだろうと思います。
それで、予想の結果、選挙としては自民党の2人の候補が当選するということであったわけですけれども、大阪では2万票の差を切ったわけですね。もともと自民党が大阪で持っていた票と、民主党の票との差というのはむしろ縮まった。おかしいのはメディアであったわけで、安倍が圧勝したことになってますけど、実は相当の危機感を自民党は持っていたんだろうと思います。それで、結局今回の2つの補欠選挙の勝敗を決定的に決めたのは公明党です。大阪では異常な事態が起きた。この選挙期間中、創価学会の応援は延べ100万人に達した。日本の選挙史上最大の動員が今回おこなわれた。地元の創価学会から反発が起きるぐらいのものに至っている。神奈川に関しては、1日5000人の応援を出している。つまりメディアで言うような、中身が無かったんであろう。
私は、安倍政権が発足する直前、9月の半ばに出した『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』の中で、安倍政権が民主党と選挙で勝てるためには、北朝鮮の核実験しかないんだと書いておりました。それと、その時、見落としていたのは、中韓の訪問を安倍はやるわけですけど、中韓の橋渡しは池田大作によってなされたという話が圧倒的に強いわけです。つまり、色濃く自公連立という政権が、公明党色を強めていっているというのは、その中身なんだろう、というふうに分析しています。
●安倍の祖父 岸信介とはどのような人物か
ご承知のように、岸信介という人物はA級戦犯でありました。じゃあなぜ、A級戦犯として絞首刑を免れたのか、という問題がひとつあります。
僕が興味を持ったのは、岸信介の思想なんですね。彼がどういう物の考え方をしていたのか。
特に興味を持ったのが、岸信介が東大生の時、北一輝と大川周明に衝撃を受けたと語っていますけど、特に大川周明については、彼自身が後に満州に官僚として行きますが、その時の問題意識の根幹は、自分は大川周明に感化されたんだということをはっきりと申しています。
そこで、岸信介の中では、大川周明の「大アジア主義」というものをどのように理解していたのだろうか。そういうところに注目して岸の発言をたどっていきますと結局ひとつの結論に行き渡るわけです。
まず、前提となる「大アジア主義」という戦前の思想が2極分解していく。日本と中国に。「大アジア主義」とは日中が中心となってアジアを開放していく考えなんですね。それが日本と中国によって考え方が分かれてしまう。実験的な大川周明の思想をかなり忠実に実現していったのが岸信介なんだろうと僕は考えています。
その時、興味深いのは、北一輝が考えた日本の国家のあり方。発禁になった『日本改造法案大綱』。中身を読んでみます。
その改造プロセスは、天皇の非常大権による戒厳令公布に始まる。
そして、25歳以上の男子による平等普通選挙において憲法制定権力にあたる国家改造議会を召集し改造を協議する。
そこに於いて定められる新たな国家勢力においては、私有財産は1人当たり300万円に制限され、超過額は国家に納付させる。都市の土地は市有とし、私人生産限度額は資本1千万円とす。これを超えた生産業は国有財産とする。労働時間は一律に8時間制とし、私人生産に雇用されている労働者は、その純益の二分の一を配当される。また、事業の経営計画、収支決算に参画する。すなわち「私有財産制限」「私有地制限」「私的生産制限」が「大日本帝国の根本組織」の「三大原則」である。
大雑把に言うと、これが北一輝の考えです。
岸信介は、基本的に北一輝の『日本改造法案大綱』に非常に衝撃を受けて、その後、大川周明にさらに心酔していくことになります。
僕は、岸のこのような思想体系に批判を持っています。つまり筋金入りの国家主義者、というのが岸信介という人でありました。これが安倍晋三のお爺さんであるわけですね。
安倍は小泉の後継者であるわけですけれども、お爺さんということでは、小泉のお爺さんは、私の出自と同じように博徒であるわけです。全身刺青があったと言われているわけです。そういうことでは、小泉と安倍というのは、お爺さんの時代からかなりけっこう差があるのだ、ということは言えるのだろうと思います。
●劇場型政治とメディアの役割、その延長線上の安倍政権
僕の友人で闘病中の辺見庸というのがおります。彼が、毎日新聞から『いまここに在ることの恥』という本を出しております。その中で小泉の政治についてこういうふうに言っています。
政治権力とメディアが合作したこの劇場の雰囲気とはなんだろう。第一にわかり易いイメージや標語が、大切な論議を排除し、現在の出来事が記憶すべき過去、つまり歴史を塗り替えてしまうこと。第二に…群衆から分析的思考を奪い…嘲笑を伝染させ、劇を喜ばない者達には、日の沈むのを拝ませない。
簡単に言うとですね、少しスポーツ化している。つまりサッカーのサポーターという。ゲームには熱狂するのだけれど、試合には参加しない。そしてゲームの中で面白いことが起こるのを喜ぶ。しかしながら、それはあくまでも観衆という立場であって、プレイヤーという立場には絶対にならない。というのが最近の傾向ではないか。
なぜこうなるのか。その理由のひとつは明らかにメディアです。メディアにとってみれば、たとえば今回の安倍が自民党の総裁選挙に出て勝って自民党総裁になり、総理大臣になるという過程があるわけですけれども、安倍と麻生、谷垣が争った選挙ですね。これは最初からもう安倍だってことがみんなわかっていたわけですね。しかしながら、それがあたかもひとつのゲームとして、面白い展開になるのではないか、と報道しないとならない。たとえば、少し前のサッカーのワールドカップがありました。日本とブラジルが戦った。この勝負、勝敗の帰趨というのはやる前からわかっていた訳ですね。ブラジルが勝つのが判っていたわけです。このことをメディアは全部判っていた。しかしながらメディアは絶対にそうは書かない。なぜ書かないのか。そう書いてしまうと、たとえばテレビメディアだと日本ブラジル戦の視聴率が下がるんです。新聞だと部数が増えないんです。つまり、自分達が生業としている基本的なものが壊れる。事実を書くと。だから事実を書かないで、あたかも伯仲しているかのように書くことによって、その利益を自分達が得る。つまり事実であるかどうかは問題ではないのだ。事実ではなくて、自分達が生業としているものがどう成立するか、というのがメディアの中心的なあり方なんだろうと思います。
これは何も、今始まったことでは決して無いわけであってですね。今、来ている皆さんがどの程度どう思われているか知りませんが、僕の知っている右翼民族派といわれる人達は、「朝日新聞はアカの新聞だ」というのでありますけれども、朝日新聞が一番戦争報道はしているんですね戦前。むしろ地方新聞のほうが戦争に批判的な記事を書いていた。一番、大本営発表を書いていたのは朝日新聞なわけですね。それが昭和20年、ものの見事に180度変わるわけですけれども。要するに戦争報道をする新聞は、部数を伸ばすんです。反戦的な記事を書く新聞は部数を減少させる傾向があります。これは戦前ですけれども。
メディアというのはいま申し上げたような体質があるためにですね、例えば大きなその国の政策、国益に関わるような政策の問題に対して、例えば戦争ということに対する記事を書く時に、好戦的な記事を書くと一番カネになりやすい。メディアが戦争の遂行に力になったことは多いが、戦争を止めた例というのはない。かろうじてあったとしたら1975年のアメリカのベトナム戦争のときのメディアの動きだったろうと。しかしながら、そのアメリカのメディアもベトナム戦争の一番初期、つまり1960年ケネディーがベトナム戦争に介入していく時には、やっぱり撃つべしと言ったわけです。そのように、劇場型政治への流れというものはたぶんにメディアによるものです。あとはたとえば、テレビで放送されるある種の政治的なテーマを問題とした場合、必ず良いものと悪いものに分けてバトル。ゲーム化という構造を描きます。そういうことによって視聴率が稼げる。
いわゆる劇場型政治というものはメディアとの合作として、この国に定着したのだろうということがいえると思います。このような状況をフランスのある学者は「ファシズムではないが民主主義ではない」と言っています。
さて、安倍政権になって、大阪と神奈川の補選に北朝鮮の核実験がどれぐらいの影響を与えたのでしょうか。
約10ポイントぐらいの影響があったと見てよいのだろうと思います。
そこで、劇場型政治とメディアの問題について申し上げるのは、日本のテレビメディアの問題で、いわゆる北朝鮮報道ですが。北朝鮮という国に対して「酷い国だろう」酷い国だと思いますよ。金正日は「酷いやつだ」酷いやつだと思います。そのことを繰り返し報道している。僕はそうだとしたら、その10分の1でもイラクのことを報道したらどうだと、こう思うのであります。つまり、イラクのことと北朝鮮のことを並立的に報道することはあまり意味の無いことと思うのですが、イラクでは現実にこの10月に入ってからもですね。すでに100人近い米兵が死んでいるわけです。一般人を合わせるともっともっと多くなるだろうと。現にそこで奪われている命というものが一方である。それから北朝鮮を報道する時に、強制収容所という問題がある。現に酷いことをやっているだろう。それは、そう思います。じゃあ、アメリカのやっていたアルグレーブ刑務所というのはどうなるのか、もっともっと北朝鮮の収容所より酷いことをやっていた可能性がある。そのことは絶対に報道しない。したとしても僅かしか報道しない。一方で、北朝鮮のことは繰り返し繰り返し報道する。しょっちゅう報道している。そうなってくると、ネタがなくなってくる。そうするとどうするか、脱北者という人を連れてきて顔を隠して声を変えて、つまり誰でもよいというわけです。(笑)
顔を隠して声を変えて後姿で報道というのであれば、どんなものでも報道だということになってしまう。その程度の質のものをメディアは報道している。それが全体として、情緒が前面となる。情緒が小泉型劇場政治の完成だったと思います。
安倍政権というのは、その延長線上に生まれた政権であります。ある広告代理店の友人がおりまして、それが小泉政権の末期にこういう分析をしているのが非常に興味深い。
「小泉にとって最大の敵は安倍だろう」と。
つまり劇場型政治の主役としての小泉にとって、準主役の安倍が人気を取ったら、主役としては許せない、ということです。
小泉から安倍と繋がって行く劇場型政治の中で、小泉の腹はこうではないか。
小泉の後は、安倍以外にするべきではない。なぜならば、安倍は小泉以降の流れの中で来年の参議院選挙を迎えなければならない。前回の参議院選挙で自民党は圧勝したわけで、その数字を絶対超えることはない。つまり安倍は敗北する可能性がある。敗北したらどうなるのか。参議院における与野党の逆転が実現してしまえば、安倍は退陣せざるをえない。退陣した後には衆議院選挙がある。そうなってくると、自ずから小泉カンバックコールがかかる。そこで、カンバックコールを受けて小泉がもう一度復権する。こう指摘しています。
これが当たっているかどうかわかりませんが、今の政治状況というのは、政策に対する同意とか共感とか言うものではなくて、あくまでも人気投票的な側面でもって全てが動かされていく。このような状況だろうと思います。
小泉型政治が劇場型で完成して、それを受けた安倍というのが非常に難問を抱えることになったわけですね。特に来年の参議院選挙が極めて大きなもの。安倍にとっての大きなハードルになった。小泉にとってみたら、自分がどうやって脚光を浴びればよいのか、ということを考えたら、むしろ安倍がコケてくれたほうがよい。このように考えているだろうと。
現実の、かつての自民党であれば、それぞれの派閥があり、良いか悪いかは別ですが、派閥の中で政策が語られていった。政策のそれなりの継続性があったわけですが、いまや、人気の継続性しかないということになるんだろうと思います。
政策と政治家の問題に関していいますと、やはり問題定義の仕方、たとえば郵政民営化ってのがあって、実は基本的には重要ではない。それが極めて重要な問題になりうるんですねいまは。もっと重要なことがもっとあるのだけれども、どうでもいいようなことを争点とするためにはですね、敵をつくればよい。こういう悪い思考が、たとえば亀井静香のような人相が極めて悪い者がいて、コイツが守旧派として利権を貪っているんだ、そういうふうに言えば劇場型政治として非常に面白いものとして成立していく。これがいまの政治になっていると思います。
それと、気になるのが、拉致問題に関しての報道のあり方なんです。これも、悪役と被害者というものを極めて対照的に描いている。事実、被害者は被害者なんですがね。被害者の立場にあまりにも感情移入しすぎている傾向がある。僕はそのように思います。ですから、これは劇場型ということであれば、ある時、これは醒めるときがくる。そういう種類のものだろうと。これは、皆さんご異論があるだろうと思いますが、拉致被害者が小泉が行って帰ってきた。何人か帰されてきましたが、この時に僕が言ったのは、残された人たち、あるいは殺された人たちがいますね。この人たちと、帰った人たちの関係はきちっと報道されているのだろうか。つまり、一番知っているのは帰ってきた人たちなんですわ。その人たちは責務として言う必要がある。僕はそう思ったわけですね。すぐに批判を受けたわけですけれども。報道のあり方として考えた場合に、そう思うわけです。
●安倍晋三は岸信介の思想を引き継ぐのか
原則として、安倍はお爺さんのピュアなものを引き継がないと。小泉のものも引き継がないし、岸信介のものも引き継がないだろうと思うわけです。
その種の思想的な継続性とか、あるいは政策的な継続性というのは、この国ではいらない時代に入っている。よって、一番タカ派的に、それは自民党総裁選のときに、谷垣はハトで安倍はタカ派と言われたわけですけれども、そのタカ派と言われた安倍が中韓を訪問する。あるいは、靖国には行かない。行っても、行ったことを言わないことが良い、というようなかたちになって、これはある面ではもうタカ派ではなくなった。やはり、一番気にしているのはアメリカだろうと。
いまの中国と北朝鮮の関係をみたときにですね、北朝鮮が崩壊したときに、中国とアメリカとの緩衝地帯が無くなるので、中国はそれを嫌がっているだろうと、地政学的な軍事的な意見がありますが、それは間違いだろうと。それほど大きな問題ではないと思います。ご承知のように北朝鮮というのはソ連衛星圏だったわけです。ソ連と中国というのは争っていたわけです。たしかに朝鮮戦争のときは、中国の人民解放軍が応援したということはありますけれども、それから始まった中ソ国境紛争という流れの中では、北朝鮮はソ連側につくんですね。そういうことから中国と国境を接している北朝鮮は、どうしても南には38度線があって、韓国と米軍と対立している。北は黄緑江を挟んで中国と接している。そこから、北朝鮮が一番恐れたのは、中国だったんだろうと。よって北朝鮮が考えたのがいわゆるチュチェ(自主)思想。自立した思想ということなんですが、これは、対中国に対する思想、対中思想なんですね。この思想を確立していくときに、最初にやったのが、朝鮮労働党内のいわゆる中国派の粛清であるわけです。つまり、北朝鮮が恐れたのは中国と連携してクーデターを起こされることだったんだろうと。これが1968年の朝鮮労働党の中央委員会だったわけです。いま、民間でいわれている北朝鮮問題に関わる分析というものがあまりにも紋切り型で、深い検討というものがほとんど為されていない。そのへんはもう少し冷静に見ていく必要があると思います。
さて、そういう状況の中で、安倍政権は成立して国会を迎えていくわけですが、安倍政権をどう考えるかというと、非常に面白い話があります。
小泉政権の時の飯島という有名な秘書官がいます。彼が安倍のブレーンである八木さんとか中西さんとかを捉えて「あれは危ない」。なぜ危ないかというと、「軽すぎて危ない」。小泉より軽いというと、とんでもない軽さだと思うのですが、飯島の指摘ははそういうことでした。
現に、中韓の問題。このような状況を捉えて朝日新聞で八木さんは「非常に困惑している」ということを述べていまして、安倍に過剰なものを期待していた者が受けるショックだったんだろうと。
しかしながら安倍政権を見るときに小泉との共通性があって、それは、小泉純一郎という人は慶応大生でありまして、そのとき栗本慎一郎と同級生であったわけですね。栗本慎一郎が同じクラスだったわけですが、他の同じクラスの人に小泉の思い出を聞くと、ほとんど持っていない人が多い。つまり、印象がほとんどなかったということです。これは、まさしく安倍がそうなんですね。成蹊大学のときの安倍の印象や記憶を聞くと、「いたかなぁ」という程度。なおかつ、ある同好会で会計を彼をやるわけですね。僕らの大学のサークルとか同好会とか考えてみるとわかるのですが、金持ちだから、金を誤魔化さないだろうと、まぁあまり目立つやつじゃないだろうから会計をやらしておこうという、そういう目立たない存在の者が、学生時代に問題意識をもたないでピュアな状態で卒業し、いつのまにか政治家となったときに、自らの存在をどう示すかということに結局はなっていって、それが中心になる。それを一番やったのが小泉。小泉の一連のパフォーマンスというものは、そぷいうものに裏づけされているだろうと。一方、安倍はそこまでには至らない。
●今後の安倍政権のゆくえ
こういうことを踏まえて、安倍はどのような政治を行うのか考えて見ます。この前の補選は勝ちましたが、圧勝ではなかった。もともと自民党が強かった場所で勝っただけであって、むしろ全体としては公明党が存在感を示しただけの話なんだろうと。これで、メディアは弾みがついたと言っているが、そんなことはない。
来月の中旬に沖縄知事選挙があります。知事選挙でどうなるか。沖縄という現場に安倍がもっていると言われている「北朝鮮カード」というものが、どの程度効くかといえば、意外に効かないのではないかと思うわけです。まして、今後の米軍再編の問題を考えるときに、沖縄が大きくなるわけですね。ですから、昨日の補選の自民党の勝利よりも、来月の沖縄知事選挙のほうが今後の政局の帰趨を決めるという点では重要な意味を持つと思うわけです。
それをふまえて、さしあたって、問題となっている共謀罪と消費税の問題は、秋の国会には出てこない。まして、年を明けての通常国会は統一地方選挙と参議院選挙の前になるものですから、大したものは出てこないだろうと。そう考えると、意外と安倍内閣というのは、来年の参議院選挙まではほとんど何もやらないだろうと思います。当然、靖国の参拝も、今年の春のようにやって、行ったか行かないか言わないで済ませる。8月15日は絶対に行くことはないというようなもんだろうと思います。
ですから、ある点で、右翼民族派といわれる人たちが、安倍に過剰な期待を抱くと完全な肩透かしになるだろうし、八木さんに見られるように「頭が混乱する」のがオチでしょう。この程度のものだろうと思います。
その状況下で、我々は何に注意したらよいのかというと、アメリカの中間選挙があるだろう。安倍が一番ダメージを受ける、あるいは先行きに不安を持つのはこれだと思います。
現実にアメリカの民主党系のウェブサイトで、アメリカがイラクで本日死者何名、どこでどういった状況で死んだかというのをずーっと書いているのがあります(http://www.icasualties.org/oif/)。このサイトを見ていきますと、やはりアメリカは1975年のベトナム戦争と同じように撤退のシミュレーションに入っていると思います。そこで一番のネックになるのがフセインの裁判。どうすうるのかって話です。現実にそのような流れを受けて、イラク国内におけるいわゆる反米武装勢力というのは、こういう声明を出しておりますよね。「フセインを釈放するなら48時間以内に、攻撃は停止する」。明らかにベトナム戦争でのテト休戦とテト交戦との関係に近いものが出てきていて、どちらにしてもアメリカは撤退を余儀なくされるだろうと。そうなってくると、イラク戦争をたき付けた人間、つまりそれはネオコンであったりブッシュだったりするわけでしょうけれども、これはいったいどうなるのか。それに尻尾を振っていた日本はどうすんのか、と言うような動きに当然なってくる。しかしながら、日本国内に於いては、そのような状況下にあっても、日米同盟というのは大切なんだと言うのが圧倒的なわけですね。
冷戦構造があったときの日米同盟というのは、ある面では効果があったろう。しかしながら冷戦構造が崩壊した後、これは全く必要ない、という考えがあるのではないか。たとえば、北朝鮮が攻めてきたとき、いったい誰が守るのか、という話をするのですけれども、攻めてきたら負けるのは北朝鮮ですよ。国家間戦争がいま考えられる状態ではなくて、国家対ゲリラの戦いという戦争の状態が変わってきた時代でありますから、それは警察力の問題であって、その程度であろう。つまり、国家間戦争ということになると、日本とアメリカがかつて戦ったように、国力の問題なんですね。北朝鮮と言うのはGNPでいえば島根県程度の国ですよ。そりゃ偉そうなことはいっぱい言いますよ。あそこのアナウンサーが歌舞伎役者のように見得を切って言いますが。あれなんかを見て、北朝鮮が国家として宣戦を布告することは絶対に僕は無いと思います。ゲリラと言う意味ではわかりませんが。よって、そういうことから日米同盟なんてものは不必要である。
ましてや、いま問題となっている共謀罪という問題がありますね。あれこそアメリカの要請による、アメリカの州の法律に基づいたものであるわけですね。合衆国の法体系の中で生まれてきたものでありますし、何分に法制化しなければならないか、国際的な要請だと言うものがありますが、実はそうではないと言うことが明らかになっている。つまり、このような法体系を成立させなければならないようなのが、日米同盟の内実でありましたら、もう少し考えてみたいのは、特に米軍の再編問題を抱えて、日本の自衛隊はどうなるんだろうか。要するに単なるアメリカの傭兵としての役割しか果たせないとした場合に、米軍再編の中での日米同盟の考え方というのが、まだ違った考え方を持たざるを得ないのではないかと、僕はそう考えているわけです。
●在日米軍再編で日米同盟を右翼はどうするのか?
これに関しては、僕は以前も右翼の人と議論したことがるんですけれど。その時に言ったのはですね、「イラクで反米武装勢力が、あれだけ戦えるのはなぜか」ということですね。これは、反米武装勢力が自爆テロをしているわけですね。これだけラジカルに戦えるのはなぜ、どこに原因するのかと言う事は、彼らは軍ではない。彼らは、中心的な意識として国家を守る、つまり国体を守るという意識も無い。だから、僕は逆にラジカルに戦えるんだと言う意見を持っています。国の為というかたちではない方が、実はラジカルに戦えるのではないか。そうでなくては、説明がつかないであろうと思います。
そういうところから、今後の日米同盟を見ていった場合に、日本の自衛隊がどうなっていくのだろうということが、もっともっと真剣に議論されなければいけないだろうと思っていますね。特に、イラクに派遣した自衛隊が日本に帰ってきて、帰ってきた自衛隊員からかなりの自殺者が出ている状況があるんですね。これを、どう捉えたらよいのか。別に、イラクで自衛隊員が反米武装勢力と銃撃戦をやったわけでもなんでもないんです。これは単なる個別の問題なのかどうなのかという問題も含めて考える必要があります。
そういうことから、特に、米軍が再編される過程において、じゃあ日本全体がどうなっていくのかと言うことと、その中の日本の自衛隊が最終的にはどうなっていくのかという不安をですね、なぜ日本の民族派の人たちは問わないんだろう。もっと言うと、日本の民族派というのは親米なのか。親米となってくると、民族派ではないのではないか。僕はそういう風にすら思うのであります。つまり、反共親米というのが戦後の日本の民族派のポリシーだった時代があります。一方で反共の共というものがほとんど無いという状況があります。居てもそれは、天然記念物のようなものでイリオモテヤマネコのようなものだと言われている時代でありますから、考えなくていいものだろうと思います。
共がない状況での親米とはなにか、と言うことを考えますと、どうも理屈としては成立しない。たしかにかつて日本の左翼は反米でありました。左翼が反米だから右翼は親米だ、という簡単な話で終わるべきではないだろうと思うし、靖国神社に関して言いましても、遊就館の展示を岡崎久彦というオジサンがですねケシカランということを産経新聞で言うと、すぐそれに神社が反応しようとしたことが言われておりますよね。ところがこうなんじゃないでしょうか、靖国神社で祀られている人たちはほとんどアメリカに殺されているんですよ。つまり、情念の問題としては、当然、反米の情念を持って然るべきなんですよ。当たり前のことなんだろうと。ところが反米に関しては言えない、ということになってくると、靖国の問題を言っておられる方々は、じゃあ殺されたことも容認するのか、ということを突き詰めると、やっぱり論理整合性は無いと思うのであります。
●親米安倍とともに沈んでいく日本
そういうことを汲んで安倍政権というのは、右を装って出てきただけに、右からの主張が始まると、結構脆い壊れ方をするのだろうなと思っております。その中にあって、北朝鮮問題を現実的にどう解決するのだろうかということが一番のテーマになっていくのだろうと。100人からの人たちが連れて行かれたとされているわけですね。それの現実的な解決は、どういうミッションで行われることができるのか。ところが、そのままにしていくのが良いだろうというのが政治的な現実としてはありうるわけです。敵をつくって、いまの劇場型政治の中では、問題解決しないほうが良いんだ、という考え方が一部にある。これが、友人であります外務省の佐藤優さんが、4島返還か2島返還かという選択のときに、現実的に2島返還から4島返還へ。これに対して4島返還でなければ駄目なんだということで、これを潰していった勢力があるわけです。この間の論争の過程を見ていくと、敵をつくっておいた方が、かつての55年体制のように自民党と社会党が敵対することによって両方とも生きていける、ましてこの劇場型政治時代に入ったら、どんなものでも悪者をつくって、悪者と戦っている姿を見せることが支持される一番の方法だということになる。現実的な対応は、かえってしない方が良いと思うことになるだろう。
ですから、世界全体から見ると、安倍というのは右派ですね。どうしようもないと言われていますけれど、実はそうでもない。非常に中身としてはあやふやな、解りにくいものになっているんだろうと。それにあるテレビキャスターが、安倍政権ができる直前に、「なんとでもなる政権だ。どんなようにも使えるし」というようなことを言っています。つまり、結構計算づくでやるのだろうと、こういうふうな評価をしています。
今回の補選で「北の核実験が影響するだろう」と僕は本で書きましたが、来年の選挙もこれが通用するだろうかとなると、僕は通用しないだろうと思います。安倍が本気にやるとしたら、何人かの拉致家族を本当に助け出すことがあったら、本当の風になるかもしれない。しかしながら、それは失敗したときのダメージが大きいから、結局はそれには踏み込まないだろうと考えています。
沖縄の知事選挙では自民は負ける。そういうことを踏まえて来年の統一地方選挙、参議院選挙がある。その中で10月にアメリカの中間選挙があってブッシュが窮地に陥る。それが日米関係に影響してくる。こういうふうな構造の中で日本は衰えていくのだろうと思います。もちろんアメリカの好況が果たしていつまで続くのか。アメリカの経済の行き詰まりが深刻な影を落としていく時代に入っていくのだなと。
●この国と国民に絶望してクニを捨てる
そこで、非常に不真面目な考え方ですが、じゃあどうしましょうか、ということになってくるのですが、僕はもう、どこかに国を変えてしまおうと思っています。どこがいいのか、台湾が良い、とずっと考えています。いろいろ選択肢を考えたのですが、台湾があたりが一番良いということですね。どうも、そういう方向でしか、この国を語れなくなった。
ちょっとそれは、真面目な意見からしますと怒りを買うのかもしれませんが。もう1つは、この国の国民に対する、絶望的な想いというのが一方であるわけですね。
http://toshiaki.exblog.jp/
私もまだテメエの頭で考えるという、ごく当たり前のことをできないようなマインドコントロール教育状況下にあった時には、世界大戦の時に、この国はなんて愚かで他国へ迷惑をかけ、人の命を奪い、人の生活を潰すようなことばかりしてきたのだって思い込んで、目の前の現日本を、日本人を忌み嫌っていました。が、戦争時にはどの国も同じようなことをしてきたのだと知りました。さらに、日本を敗戦国とし、アメリカの中のユダヤ人(もちろん一部の)及びその手先の売国奴が日本そのものを潰しにかかっていると知ったとたん、猛烈にこの国、この日本人というものに対する、この国を古来から伝えてきた人々に対する想いというか感情のようなものが出てきました。日本民族とかそういう大げさなものではなく、名もない、が、一生懸命に生活し、生きてきた人々への想いです。そのご先祖さんまでが全否定されているかのように感じてきました。そして現代の当たり前の名もない人間の生活を潰しにかかるような輩はどうしても許せません。
すいません、あと、宮崎さんの本はたくさん読ませてもらってますが、元大阪高検公安部長の三井さんって人が宮崎さんは金で動く人間だと言っているという古川利明さんて人もいるし、さらに公安のスパイだともいう人もいるのですが、直接話したこともないので、このままだと宮崎さんに対して曖昧で、名もない愚民の私は何を信じればいいのやら?何かそのことに関して宮崎さんが話しておられることはないですか?どこか宮崎さんご自身の本で説明らしきものがありましたが、いまひとつわかりにくい説明でした。
たしかに俺は在日北海道人であるがね。
宮崎親分の件は、ロフトのイベントにでも行ってさ、本人に直接質問したらいいっしょ。
猛烈にこの北海道、このアイヌ人というものに対する、この北海道を古来から伝えてきた人々に対する想いというか感情のようなものが出てきました。アイヌ民族とかそういう大げさなものではなく、名もない、が、一生懸命に生活し、生きてきた人々への想いです。そのご先祖さんまでが全否定されているかのように感じてきました。そして現代の当たり前の名もない人間の生活を潰しにかかるような日本人はどうしても許せません。
ま、在日の人でも本気でニポン人と将来において仲良うやろうと努力してる人もおるし。嫌うのは勝手ですが、全否定せんといてや。互いに全否定し合ってても意味ねえし。利用されて余計無駄な喧嘩させられるだけや。