この記事へのコメント
映像が、フジサンケイグループによって流された事に大きな意味があると言えます。
この一件以後、フジテレビはネトウヨどもから相手にされなくなったのですから。

Posted by レクストン at 2006年09月21日 16:51
は?
確かに、マシンガン7発まで日本刀が耐えることはわかったよ。
 だけど、民間人を追っかけまわして100人を斬るのと、マシンガンで日本刀を撃つのでは、条件はまったく異なる。

 そもそも、今回の実験で使用した日本刀と、鈴木・向井両少尉の刀は別物だし。

 第一、百人斬り競争の元ネタは、今の『毎日新聞』が両少尉から聞いた話、でしょ?
 証拠も無い自慢話を鵜呑みにする方なんておかしいですよー。
Posted by さざなみ at 2006年09月26日 02:41
マシンガンに耐えられるから人間100人くらいいけるはずってことかな

どこが証拠なんだかな

まあ遊びで書いたんだろうけど
Posted by 道夫 at 2006年09月27日 07:01
「日本刀は1人切っただけで刃がボロボロになる」というのは根拠なしだってことが明らかになったわけでね。
以後の議論はこの事実を踏み台にして発展させるべし。
Posted by ノーバ at 2006年09月30日 16:18
百人斬り競争: 否定する根拠として挙げられている内容

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89

1. 当時向井少尉は手足を負傷しており〜云々

これは当時の上官が南京軍事法廷に起訴された向井少尉の助命を目的に嘘を述べたものとされ、実際 負傷の事実を示す診察書などは提示されなかった。

2. 銃器が発達した近代の陸上戦闘では、白兵戦における個人の戦果を競うという概念はない。

戦国期には武士の嗜みとして殺した相手の数=首級を競う風習が存在していた事は広く知られている。

また、近代的銃隊を中核とする市民軍の魁となった長州諸隊でも、軍監の大村益次郎が首取り禁止を命じるほど、戦闘結果=敵兵の首 という認識が武士ではない人々の間にまで広く認識されていた。

向井/野田両少尉とともに南京軍事裁判で死刑判決を受けた田中軍吉は“三百人斬り”の願をかけていた。

無抵抗の一般人への首切り行為を日本兵自身が撮影した写真は、日中戦争を通じて多く残されてもいる。

当時の大日本帝國軍人に歪んだ武士道の発露として、殺傷数を競う風潮があったのは紛れもない事実である。

3. 向井少尉は砲兵隊の小隊長であり、野田少尉は大隊の副官であった。〜云々

向井少尉は歩兵砲小隊の指揮官だった。歩兵砲は歩兵の前進時に障害となる敵トーチカや機銃陣地を破壊するのが任務であり、常に最前線に位置する存在である(実際、上記 1.のように“敵砲弾破片で負傷”との弁明を、無自覚に当時の上官が述べている)。

また、野田少尉は副官として連絡用に馬を常用し、最前線と大隊司令部を常に往復していた。

しかも、この上官は戦後、向井少尉のために嘘の証言を行ったのと同一人物であり、この上官の黙認の下 百人斬りが行われていたと推察される。

よって、両名は死傷率の高かった前線の歩兵よりも、若干安全な地点で投降捕虜を斬るゲームに時間を費やす事が出来たと合理的に推察される。

4. 戦時報道は言うまでもなく、両少尉の証言は戦意高揚、武勇伝としてのものである。

戦意高揚とは、正しく当時の大日本帝國による中国侵略の為の行為である。

まさしく、両名とも自己の行動によってその行為に加担したものである。

5. 日本刀で人間を100人斬ることは不可能だとの指摘がある

一本の日本刀で百人以上を斬殺する事は、充分可能である。

向井/野田両少尉は自前で“関の孫六”“薩摩 波平”という工廠製の軍刀(軍刀の切れ味が悪いという事では無い)ではない、現代でも美術品として扱われる業物を使用していた。

日本刀は鋭利な刃物であり、手持ちの砥石で切れ味が落ちないよう維持する事は、実戦で日本刀を使用していた当時の軍人の多くが行っていた。

実際、日中戦争よりもはるかに小規模だった第一次上海事変で、中国軍との交戦時に使用された日本刀の性能評価報告には、白兵戦時に複数の敵兵を斬っている事が正確に記録されている。
Posted by 波平も無茶苦茶です at 2006年12月22日 23:39
波平も無茶苦茶です 様、分かりやすい解説ありがとうございます。

訴訟しろと煽られた遺族は、結果として恥を晒しただけで、可哀想ですな。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年12月23日 12:00
全くですね。稲田議員(弁護士&小泉チルドレソw)は、最高裁でも負けたら責任を取って議員辞職するべきだと思います。

南京軍事裁判で処刑された三人の遺族の中でも、田中軍吉氏の遺族は今回の裁判に参加しませんでしたし、野田少尉の遺族は当初消極的だったのを、向井少尉遺族とその支援者達(実際には裁判を企図した連中)が、無理やり口説いて参加させたようです。

東條家でもちょっと変な女性が故人の遺言を無視して勝手に発言し、一連の靖国問題で国益を危うく(もう回復不能ですが...)しましたが、あ〜いうのが、ちょっとしたトレンドでしたね(笑
Posted by 波平も無茶苦茶です at 2006年12月23日 13:35
リンク切れしてます。最高裁の判決は事件の真偽については触れていません、名誉棄損についてでしょ?いい加減なことを書かないでください
Posted by ウソつくな at 2010年09月19日 22:38
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