2006年09月17日

買わなくてもわかる安倍晋三著「美しい国」の醜さ

近所のデカイ書店で新書売り上げbP(ちなみに2位は『国家の品格』ガクッ)。37万部も売れたんだって。

これって、タレント本の一種でしょ?

「自信と誇りを持てる」諸君、あんな「言語明瞭、意味不明」な本、買わなくていいよ。

月刊論座10月号で、作家の高村薫、文化人類学者の船曳建夫、京大人文科学研究所所員の中島岳志、精神科医の香山リカが論破しているのをまとめてみた。

「自分は開かれた保守」だと政治信条を表明しておきながら、「わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだ」と表明する。自分の「保守」はイデオロギーでないと言うのは自分は政治家でないと言うのに等しい。だいいちイデオロギーでないとしたら、冒頭の「リベラル」「保守」の対比は何だったのだろうか。
いやこの非論理こそ日本の「保守」の真骨頂ではあるが…
今日、世界の自由主義国家においては、国のまとまりは所詮、経済成長と社会の安定にかかっているのであって、それは(安倍の主張する)歴史や伝統の回復とは関係ない。ましてや悠久の歴史への崇敬が独立国家の条件にならないのは、言うまでもない。
さてしかし、同世代として一番大きな困惑は、たとえば「自由を担保するのは国家」だと軽々に言い切る安倍氏の感性かもしれない…
本書には一切の懐疑のあとがない…祖父や父の教えをあれもこれもそのまま純化して、きわめて強固な保守となった安倍晋三に、(たくさんの懐疑を抱きながら大人になった)同世代の臭いがないのは無理もない。
そして、時代と格闘して行き着いた保守(例えば西部邁)でもないため、保守の臭いもないのだが、臭いも懐疑もない人間が権力を手にして「闘う」というのは、ほとんど「近付くなキケン」のレベル(高村

タイトルの「美しい国」の内容説明がなく、ただ、本書の最後に「わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ」と書かれているに過ぎない、そのタイトルの付け方は、売れる本を出したいという文春の都合に踊らされたのがミエミエだ。
私は『二世論』(新潮文庫)という本を作ったとき、成功して名をあげた二世には三つの共通することがらが見られると考えた。一つに、親からは(直接には)教わらないこと、二つに、親子の関係が長く濃いこと、三つに、親からは惹かれもするが反発、批判もする存在である、という三点だ。
最初の二つは、安倍さんの場合も当たりそうだ。最後の、親とのあいだの引力と斥力はどうだろう…二世の成長には、一度親離れをする、もしくは親を厳密に批判しそして再発見する過程が必要のようだ。それは安倍さんの場合、十分だろうか。(船曳

本書で、安倍氏が自らの青少年期の体験を振り返りつつ、繰り返し強調するのは、「反左翼」「反進歩的文化人」という主張である…高校の授業で、担当の先生が安保破棄の立場に立って話をした時、安倍氏が「新条約には…日米間の経済協力がうたわれていますが、どう思いますか」と質問すると、先生の顔色がサッと変わり、不愉快な顔をして話題を変えたというエピソードを紹介し、次のような率直な思いを述べる。
「中身も吟味せずに、何かというと、革新とか反権力を叫ぶ人たちを、どこかうさんくさいなあ、と感じていたから、この先生のうろたえぶりは、わたしにとって決定的だった」
彼が「保守」への道を歩む「決定的」な動機が、左翼的な学校の先生に対する反発であったことは、安倍晋三という政治家を理解する上で重要であろう。彼の信念が、歴史と教養、信仰に裏打ちされた「近代保守主義」などではなく、「アンチ左翼」というネガティブな感情に基礎づけられていることを、我々はしっかりと理解しておかなければならない。(中島

祖父も父親も自民党の大物政治家。そんな家系に生まれたという宿命≠安倍自身、どう受け止めたのだろうか。そこにあったはずの葛藤やその乗り越えも明らかになるのではないか。と期待し本書「わたしの原点」の章を読んでみた。
しかし、この章に描かれているのは、驚くほど素直に祖父や父を尊敬し、その跡を継ぐことに何のためらいも感じていない(ように見える)青年の姿だった。それは同時に、政治家になりたいという動機の欠如でもある。安倍は言う。
「父、そして祖父も政治家だったので、わたしも子供のころは素朴に父のようになりたいと思っていた」
さらりと書かれているが、子供、とくに少年であれば一度は父や祖父に反発を覚え、まったく逆の道を歩もうとするのではないか。
それでいて、この章の終わりには、「わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ」とあるが、自分の意志とはあまりかかわりのないところで、「尊敬する祖父や父と同じように」とごく自然に自民党の国会議員になっていったとするそれまでの記述とのあいだには、ややギャップを感じずにいられない。(香山
..................................

ようするに、安倍とは祖父も父も政治家だったので、「なんとなく」政治家になってしまった「おぼっちゃま」であり、その思想的背景も、なんとなく「反左翼」にすぎない自称「保守」なのである。
http://anarchist.seesaa.net/article/17121754.html

シンゾーには子供がいないが、そんなタネ無し輩が、靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウム(二〇〇四年十一月二十七日)で「国が危機に瀕(ひん)したときに命を捧(ささ)げるという人がいなければ、この国は成り立っていかない」とのべている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-07/2006090704_03_0.html

子供のいない者が、他人の子供に「美しい国のために死ね」とはね。

親の心 シンゾー 知らず(御名御璽)




posted by 死ぬのはやつらだ at 01:15| 東京 曇り| Comment(1) | TrackBack(1) | 自民湯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今朝のテレビでのシンゾーの発言内容は酷かった。何度も繰返すが、この男に日本のかじ取りはとても任せられない。
何せあのコイズミが百倍もマシに見えるような人物だから。
Posted by 亜凡怠夢 at 2006年09月17日 19:26
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