2006年09月03日

自分の残虐行為を孫に知らした爺さん達 ETV特集『祖父の戦場を知る』

国営放送で唯一、良質なドキュメントをつくり続けている教育放送、毎週土曜日夜10時からの『ETV特集』。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

昨日は、『祖父の戦場を知る』であった。
谷村さんは中国で「憲兵隊」に所属。抗日勢力の摘発にあたっていました。

誰にも話していなかった体験を『孫達への証言』に寄稿しました。

中国人のスパイを敵地に侵入させ、抗日活動の首謀者の所在をつきとめ急襲する。
取調室は白色に塗り、電灯で照らし、神経を錯乱させ白状させる。
天井からぶら下げて殴打する。上向きに寝かせ、腰の下に角材を敷き水を飲ませて白状させる。
共産軍の行動や装備が判明すれば、治安部隊に通報し攻撃させた。

自白しない場合は処刑するしかなかった。周囲を見ると、村人がこちらを見ていた。
谷村さんは、もちろん処刑を執行した。銃殺ではなく、日本刀による斬首だった。首に水をかけて打ち首にするのだが、なかなか首は一回で切れなかった、という。

いままで谷村さんは、孫達に「人を殺した、悪いお爺さんと思われるのは、(孫にとっても)悪いことだ」と思ったので、「憲兵隊」における数々の残虐行為は話してこなかった。

いままで、ずっと話してこなくて、今になって話そうと思ったのは、どういう気持ちの変化だったのか。

「いやーっ、もう自分は死ぬから。日本人も中国人にこういう悪いことをしたんだと。いま中国人が靖国参拝がどうのこうのと、日本との外交関係がおかしくなっておりますが、やっぱりそういうことは、こういう悪いことをしておるから中国人は怒るんだと、それを知ってもらいたい。一般の人たちは知りませんよ。戦争の実態と言うものを、いまの若いものは」

谷村さんには、東京に住む28歳の孫娘がいます。
「孫が知ってもいい」
谷村さんは、いま、そう思っています。

『わしズム』8月号36pで、国賊小林は、右翼の鈴木さんがプロの右翼団体の行動を見てきて「戦争中だって悪い奴はいたんじゃないかと思えてきたんです。あの戦争だって100%正しかったんじゃないし、虐殺だってあっただろう、という具合に、だんだん客観的に見ることができるようになってきた」と言う発言に対し、次のように述べている。
わしは、爺さん達が虐殺もしたかもしれんということですら、言いたくないのよね。もちろん、戦争に行ったんだから人は殺しただろうけど、それを責める気にはなれない。というのも、彼らが若い頃に書いた手紙や遺書をいろいろ読んで、その大人としての成熟度や覚悟の強さや達筆な文字なんかに触れると、これを書いたというだけで、今の若者の水準とは比較にならない人たちだと思えるんですよ。(中略)だから、こんな幼稚な人間に戦前の若者を批判する資格があるんだろうかと思ってしまうわけ。

バカ野郎。そんな馬鹿な小林に褒めてもらいたいなどと、「英霊」が思っているわけないべや。
その論法で行けば、素晴らしい書籍を書き上げた連続射殺魔永山の死刑は不当になるが、小林が死刑廃止論者だってのは聞いたことがないぞ。

磯さんは中国東北部で国境守備にあたっていました。
ソビエト軍の侵攻と敗走の体験を『孫達への証言』に投稿しました。

高地に集結したのは4〜500名であった。戦車は3方からジリジリ迫ってきた。特攻隊員が爆弾をもって突っ込んで行ったが、機銃を浴びせられ近付くことさえできずなぎ倒されてしまった。巨大な戦車はキャタピラで負傷者を踏み潰し迫ってくる。
山頂の小屋に老夫婦がいた。
「通報される」と仲間が殺してしまった。
開拓団の人であろう、子連れの夫人と合流した。子供を泣かすな、と言ってもひもじさから泣く。
「泣くやつは殺せ」と誰かが叫ぶ。
「殺さないで」と手を合わせる母の目の前で銃剣が光った。

山地を逃げ回った末、磯さんは自警団に捕まりました。処刑が決まり磯さんは頭部を撃たれ首筋を銃剣で突かれました。殺され穴に投げ込まれた。しかし、磯さんは深夜、穴の中で甦生。奇跡的に脱出に成功しました。

「だんだん憲法9条がどうのと言われてくると、やっぱり心配になってきますよ。俺と一緒に戦地に行った人も全部死んじゃったんだから。そういう人のことも思うと、戦争は惨めだから、ああいう戦争は2度と起きてもらいたくないなと、戦争体験者は皆、そう思っていると思うよ。言った言わないだけでさ。私は書くだけ書いて残していて、戦争で皆死んで、俺だけ生き残って、生き残った者の責任だと思うよ」

親父のほうの爺さん一家は、満州開拓団に入っている。おばさんもそこで生まれていたり、何人かの子は満州で死んでいる。
明治生まれの爺さんは、満州で徴兵されて中国で戦場に行ったが、俺が戦争のことを聞いても、一切しゃべらなかった。
口に出来ないほどの、残虐行為を体験したのだろうか……死ぬまで、戦争のことを話してはくれなかった。

ソ連侵攻後、爺さん一家は家族バラバラで逃げたらしい。死んだ親父は、11歳の少年だったが、たった一人で新潟港に帰国している。
どうやって、11歳の少年が一人で満州を脱出できたのか?
その間、八路軍に助けられていたのだ。
親父は、バリバリのゼネコン自民党員であり、地方選挙では選挙工作で暗躍していたが、毛沢東を支持し、特に周恩来を尊敬していた。実家の床の間には、周恩来の書による漢詩の掛け軸がかけられていたほどだ。
子供の頃、満州で「チャンコロには負けない」と勉強していた親父が、中国共産党を支持していたのは、命の恩人だったからだ。

ああ、残念なのは、とうの昔に死んでしまったことだ。貴重な満州での戦争体験をもっともっと、聴いておき記録に残すべきだった。


『孫達への証言』は、映像にされ、インターネットで無料視聴ができる。
http://www.iiv.ne.jp/haikara/
ぜひ観て欲しい。



ラベル:戦争 靖国
posted by 死ぬのはやつらだ at 22:59| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 大日本帝国と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>国賊小林
小林はじっちゃんを美化する癖があるからなあ…。それにこの論法は今の若者を貶す俗流若者論につながる訳で…。最近は小林のじっちゃん擁護による大東亜戦争肯定論よりは産経の大義も正義もないといった徹底国益論の方がましに思える…。
Posted by hts at 2006年09月05日 23:09
小林は、南京虐殺に関して、「あれは便衣隊を殺しただけと、ワシは信じている」と思考凍結状態也。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年09月06日 04:03
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