明治学院で学び、心身ともにすぐれた青年であった長谷川信の一生はあまりにも短いものであった。
軍隊生活という環境の中に身をおきながら、彼は真面目にみずからの生について考え、やがてぶつかるであろう死の問題に深く思いを馳せ、みずから参加しつつある戦争についても思案をつづけた。そして決して肯定できなかった戦争のために、しかも特攻というかたちで命をすてざるを得なかった。
この無念、軽薄な気持ちで靖国参拝をしたコイズミにわかるまい。
1944年4月26日
俺はとくに現代の日本人の人間性に絶望を感じている。おそらく今の人間ほど神から遠くかけはなれた時代はないと思う。そしてこれから将来、宗教が重んぜられる日というものは果たしてくるのであろうか。
ドストエフスキーのシベリヤ生活。寧もう獰猛な囚人達の間に混じって、彼はどんな生き方をしていたろう。彼に与えられた唯一の書物はバイブル。彼を思え。
5月24日
あと、死ぬまでに俺の心はどこまで荒んでいくことか。日本民族は果たして。
11月29日
俺の苦しみと死とが、俺達の父や母や弟妹たち、愛する人達の幸福のために。たとえ僅かでも役立つものならば。
1945年1月18日
歩兵将校で長らく中シナの作戦に転戦したかたの話を聞く。女の兵隊や、捕虜の殺し方、それはむごいとか残忍とかそんな言葉じゃ言い表わせないほどのものだ。
俺は航空隊に転科したことに、ひとつのほっとした安堵を感じる。つまるところは同じかも知れないが、直接に手をかけてそれを行わなくてもよい、ということだ。
人間の獣性というか、そんなものの深く深く人間性の中に根を張っていることをしみじみと思う。人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。敵対しあう民族は各々その滅亡まで戦をやめることはないであろう。
怖ろしきかな、あさましきかな、人類よ、猿の親戚よ。
猪苗代湖畔戸の口に彼の日記の一節を刻み込んだ石碑がある。
彼が日記に書き残した「猪苗代湖畔に石碑を」との願いをうけて、両親が建てたものだ。
小林敏子教諭は彼を偲んで短歌を詠んだ。
特攻機にて基地発つ君がよこしたる最後の文字「シアワセデシタ」





