今回の大震災は、ある意味戊辰戦争の繰り返しでもある。
会津藩は、官軍への降伏後その領地を没収され、藩主・藩士ともども極北の地斗南藩に流された。斗南の地は肥沃な会津盆地とは異なり、およそ耕作には向かない土地柄である。
流された当初、藩士はあらゆる辛酸を嘗め尽くした。彼らは屋根の隙間から星影が見えるような小屋に住み、耕せど実りなき不毛の大地に立ち向かっていった。極寒の地であったことから、冬の朝には布団の上にうっすらと白い霜が降りることもあったという。その悲惨は我々の想像をはるかに超えている。
会津の地そのものにも、明治も半ばになるまで、新政府はほとんど社会資本らしいものを投下することがなかった、そのため、この地方の文明開化はどの地方よりも遅れてやってきたのである。それは明らかに見せしめであった。官軍に徹底抗戦した藩がどんな仕打ちを受けているかを天下に知らしめることで、新政府は人心の掌握を考えたのだった。しかし、そんな彼らの思惑を他所に、萩の乱・佐賀の乱・西南戦争と、結果として不平士族の反乱は続き、そこには中央政府への恨みだけが残った。
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そして自民党の主流である薩長の政治家たちは会津の地に原発を設置、戊辰戦争の悲劇が繰り返された、とも言える。
長州のシンゾーは、会津の震災を喜んでいるのか、利用してやろうと思っているのか。
私も船戸与一の「新・雨月」や「満州国演義」をきっかけに、認識を新たにしました。
文中の「原発」が福島第一原発を指しているとするなら、「会津の地」は間違いではないでしょうか。
地域名称としての会津あるいは会津藩の版図に原発がつくられたことはないはずです。
主張には賛同しますが、事実は事実として示さないと、醜敵どもから揚げ足を取られることになりかねませんので、一言した次第です。あしからず。
福島の中でも会津は特殊。