2006年06月22日

【遺族 本村洋さん】死刑制度は武士道に通じた崇高な考え方で日本の文化に合致

山口母子殺害事件で最高裁は原判決を破棄して、広島高裁に差し戻した。

本日発売の日本一汚い週刊新潮に、遺族の本村洋さんが手記を寄せている。

まさか、こんなところにも、お笑い武士道ブームが影響されていたとは……

裁判官が金科玉条のごとく使う1983年の永山則夫判決の判例があります。ここで最高裁は、その死刑判決を出す基準として「殺害人数」を挙げています。
これにより、原則として死刑は3人以上、2人なら無期、1人なら有期刑という基準ができてしまった。どのような事件でも、過去の事件を並べて、死者の数を指折って終わるのが日本の裁判だったのです。犯人にどんなに悔悟や反省の情がなくても、被害者の数によって機械的に判決が決まるという?相場主義??事なかれ主義?が日本の裁判を支配してきたのです。
しかし、その「基準」を最高裁が今回、変えようとしているのですから、この意義ははかり知れません。誤解を恐れずに言わせていただくなら、加害少年は、死刑という刑罰を受け入れることによって、つまり、自らの生命でこれを償うことによって、彼自身の?生?というものを無駄にしないのではないか、と思っています。
死刑制度というのは、人の命を尊いと思っているからこそ、存在している制度だと思うのです。残虐な犯罪を人の命で償う。その考え方は、生命を尊いと考えていなければ出てきません。武士道にも通じた崇高な考え方であり、日本の文化に合致したものだと私は思っています。


さあ、今や、誰も、被害者遺族の本村さんに反論することはできないだろう。

彼の考えに、少しでも異論を唱えれば「人でなし」「社会正義に反する」として、永久にマスゴミから抹殺されてしまうからだ。

死刑制度は武士道であり、死刑制度を廃止した国は、人の命を軽く見ている国だ!!
この意見に反論するジャーナリズムはあるのか???
posted by 死ぬのはやつらだ at 04:15| Comment(115) | TrackBack(9) | 犯罪報道と死刑制度・裁判員制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私には保守とか武士道とかジャーナリスムとか人命の重さとかよく分かりませんが、自分の大事な人命の重さ=殺害者の人命の重さ、とは考えられないので死刑制度には賛成します。
Posted by 通りすがり at 2006年06月22日 04:26
この遺族の方、被告の死刑が執行されて気持ちが少しは晴れるのかね。きっと晴れないと思うよ。これからも、まわりに担がれ、厳罰化運動のシンボル的な生き方を続けそうな気がする。

この遺族の方のことはおいておくとして、これだけ警察・検察の不正義、裁判所の機能不全が知れ渡っているのに、なぜ死刑制度や厳罰化に賛成する人が多いのか分からない。

人の命を重く見る=重罰適用の拡大=えん罪で重罰をかされる人がいても仕方なしか。
Posted by 通りすがり2 at 2006年06月22日 05:20
気分が晴れる晴れないが問題なんですかね?私は2さんと違い、親しい人が殺されたとして、殺した犯人を殺したくないと思える程の聖人君子ではないので分かりませんが、厳罰化シンボルとしてでも同じ思いをする人をこれ以上増やさないようにする為なんですからいいのでは?遺族にとっては同じような事件が起きれば余計につらさが増すでしょうし。

そもそも警察や裁判などの司法組織の機能不全による冤罪を根拠に殺人と等価値の死刑を反対するならば、刑罰全てが非人道的と言われかねないのでは?

てゆうか厳罰を受けたくなければ罪を犯さなければいいのに、刑罰を承知で罪を犯す人間を擁護するのは本末転倒。寧ろ苦痛の少ない絞首なんて生温い位で、西洋刑罰史にあるような残虐極まりない刑罰適用を望みます。

仮に、新進的な考え方があるならば、死刑廃止を言う前に、死刑を適用しなくてもいい状態=犯罪抑止の方法を話し合う事が必要ではないでしょうか?
Posted by 通りすがり at 2006年06月22日 09:50
申し訳ないが、木村さんのコメントをテレビで見せられるだけで、虫ずが走る。結局奥さんや子どもさんの死は、彼のもので復讐するは彼にありってか。メディアが応援して仇討ち達成!木村さんってこれで満足なの。イラクで米軍に奥さんと子ども殺された夫は、ブッシュに対して敵を討つってこと。もっともこの場合、メディアの応援団は付かず、アルカイダにされてしまうだろうが。
Posted by 非国民 at 2006年06月22日 14:05
正直犯罪抑止という観点でいえば加害者への厳罰化というよりもむしろ被害者へ不注意の罪として罰を与えるほうが犯罪抑止になるのではと不届きなことを考えてしまうが、自分や近い人が加害者になっても厳罰を許容できるのだろうか。それが冤罪の可能性があったり、不可抗力や劣悪な生活環境によるものであっても仕方なしと思えるのか。
自分はもし被害者になったら加害者殺したって何にもならないと無気力になると思うが、死刑を望める人は自分の利益になるなら人の死を望めるわけなんだな。もちろん被害者になるってのは多大なショックを受けるわけだからおかしなことを言ってもしょうがないとは思うし、自分だってどうなるかわからないが少なくとも被害者をだしにして商売はしたくない。それをする人間は軽蔑するだけだ。
Posted by とおりすがり at 2006年06月22日 20:31
遺族の感情に迎合して死刑判決を出すようでは近代的司法制度は必要ないでしょう。
木村氏は復讐心を美化するために最近はやりの武士道を引っ張り出しているだけ。
「自らの生命でこれを償うことによって、彼自身の生≠ニいうものを無駄にしないのではないか」とかいう発想は自己正当化のための詭弁とはいえ少々薄気味悪い。
しかし武士道って便利な言葉ですな。
Posted by 風小僧 at 2006年06月22日 20:59
 ここに書き込んでいる皆さんは一度これ(そして同名の本をも)をお読みいただきたい。
 
 「ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/harada.htm
原田正治さん『弟を殺した彼と、僕』
             2005年6月25日」

特に最初の書き込みの「通りすがり」さんはこれを熟読すべし。
Posted by 破れかぶれ at 2006年06月22日 23:30
というか死刑で本当に恨みが晴らせるのやら…。暴論をいってしまえば、仇討ちを認めて欲しい。本当に憎い相手ならば、そいつを実力で討ち取りたい…(例え後で死刑になろうとも愛するものを殺したものをこの手で打てるのならば本望だ)
Posted by 匿名 at 2006年06月22日 23:53
 後、この本村氏の(はっきりいや腰巾着と化した)藤井誠二のブログを見てもらいたい。

 「http://ameblo.jp/fujii-seiji

 僕は以前、ここに「藤井さんの著書で『弟を殺した彼と、僕』の原田正治さんの事を取り上げたのを見たことがありません。何故か」とコメント書き込んだだけで「コメント欄」ごと消去されるという仕打ちを受けた。
 故にこの男の言動は「自分に都合の悪い事実を省いた上でのもの」である可能性大だ。
 原田正治さんのことを取り上げないくせによくもまあブログであんなエラそーに言えるぜ。
Posted by 破れかぶれ at 2006年06月23日 00:04
理想論に飽きたら現実もね!次は君達のまわりって可能性もあるでよ!
Posted by オリエンタルカレー at 2006年06月23日 02:23
藤井氏のブログで6/22付けエントリーを見ると、次のように締めくくられている。

>(被告弁護人は)「この事件は殺人ではなく傷害致死」などと主張する資料を、メディアに多く出ている識者に送りつけているようだ。ぼくのところにはとうぜん送られてきていないが(笑)、同じものが手元にある。そこには元少年からの「謝罪の手紙」もはいっている。

この文からは、この事件について藤井氏が信じるのは検察の事実主張であり、弁護人、被告の事実主張や弁論、陳述など聞くに値しないという姿勢がうかがえる。ジャーナリストと自称しつつ、ワイドショー見て怒っている市井の人と変わらないじゃない。

ビデオニュースで安田弁護士の話を聞いたが、検察が主張する殺害状況と検死結果は全然合わないそうだ。事細かに説明していたから、それなりの資料的な裏付けがあるのだろうが・・・。

ジャーナリストって、何が真実かに関心を示さないの? どんな殺し方をしようが殺しは殺し?。
Posted by 通りすがり2 at 2006年06月23日 02:31
なんで死刑制度がいけないのか、理由を誰か教えていただけませんか?
Posted by とよあしはら at 2006年06月23日 11:51
よく言われてるのが、死刑が残虐な処罰を禁止している現憲法に抵触してるということ。
あと、死刑にすることで犯罪の抑止になったりしているといった事実は無いということ。
それから被害者とその遺族への保護・保障という国としてやらねばならない難しい方策を、加害者への厳罰という形にすり替えることで泣き寝入りさせているということ。
もひとつ言えば、死刑の執行人に殺人を公務として実施させている是非、など。かな。
違ったらごめん。何処かの団体のサイトからパクってきただけ。
Posted by 龍成 at 2006年06月23日 14:41
別のブログでも書いたのですが、仮に私が親類を殺されたとして、そしてその犯人に「死刑になれ!」という感情を抱いたとしたなら、国連総会やアムネスティの集会で、世界の良識を前に堂々と「死刑制度の正しさ」を主張するでしょうね。廃止派の出席者からは石をぶつけられるかも知れませんが、被害者の味わった苦痛に比べれば大したことはないでしょう。
M氏もそれほど自分の信念に自信があるのなら、こんなところで「井の中の蛙」で盛り上がるより、はるかに建設的だと思うのですが。

それ以前に言えることは、私なら、自分たちに都合のいい「犯罪被害者」ならいくらでも利用するが、そうでない「犯罪被害者」は無視したり、誹謗中傷しても平然としているようなメディア連中(週刊Sや週刊B、S新聞と言ったところですね)とは一切付き合わない、ということでしょう。
Posted by ニュースコープ at 2006年06月23日 20:11
龍成さん

>死刑にすることで犯罪の抑止になったりしているといった事実は無いということ。

少なくとも日本では(昨今厳罰化傾向にあるとはいえ)滅多な事では死刑判決が出る事は無い、と犯罪者はタカをくくっているような気がするのでこの一点だけは納得いかないけれど、よく判りました。ありがとうございました。

私は、どちらかというと被害者遺族の「殺してやりたい」という望みを何らかの形で成就してやりたいと思っているので、死刑制度には反対していません。ただ、よく考えるとこの考え方は「仇討ち」のほうが相応しいのかもしれませんが。
Posted by とよあしはら at 2006年06月23日 21:58
ちょっと読みづらい箇所がありましたので、修正しておきます。

「(山口事件の遺族)M氏もそれほど自分の信念に自信があるのなら、こんなところ(日本国内)で「井の中の蛙」で盛り上がるより、(死刑廃止を趨勢としている世界に向けて自己の考えを訴えた方が)はるかに建設的だと思うのですが。」ということです。

PS.この人、何年かしたらそのうち選挙に立候補するかも知れませんね(拉致被害者家族会の某氏のように)・・・。
Posted by ニュースコープ at 2006年06月24日 00:14
>死刑判決が出る事は無い、と犯罪者はタカをくくっているような気がするので

そもそも、罰を受けること一般が割に合わない。
Posted by プッ at 2006年06月24日 01:41
「仇討ち」復活wwwうはwww

では「仇討ちされた側の遺族」にも
仇討ちの権利は発生することになり、
永久に殺人の連鎖が続くわけか。
とんだ「未開」の発想だな、と。

(現実の「未開」とされる地域では
そういう野蛮な発想はしないが。)

死刑制度があろうがなかろうが
殺るやつは殺る。
少しは現実を見るべきだ。
「ともかく死刑にしろ」と主張することで
考えずにすませていることが、
いずれ自分にも返ってくるものだ。
Posted by 九郎政宗 at 2006年06月24日 03:26
まだ、深く調べていないのだが、いまの時点では、日本式解決方法として、時効ありの「仇討ち」の復活しかないのではないかと。

木村さんが、嫁と子供のために、復讐したいのは明らか。形式的に死刑制度賛成と言っているにすぎないと思われる。

とにかく、被告人を殺したいのだ。彼が反省するなどというのは、はなから考えていないだろう。

とにかく被告人を殺す。

それが、7年間の生きる支えだったのではないだろうか?
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年06月24日 03:40
死刑制度は、無差別殺人を合法的にやりたい人間にとって、ありがたい制度であることが問題なのだと思う。それを国が認めている矛盾。

死刑執行官になれば、かなり低い確率だが、見ず知らずの人間を殺すことができるのだ。

死刑制度に賛成の人間は、籤引きで死刑執行を行う義務を負ってほしいと考える俺だ。

それと、忘れてほしくないのは、死刑とは遺族の恨みを晴らすものではないこと。執行される人間には、罪の意識を持てる状態でなければならない。だから、精神異常者や、病気のものは死刑にされない。

つまりは、反省亡き者を死刑にすることは、矛盾していることになる。

最近の例では、池田小虐殺事件の被告が、喜んで死刑となった例があるが、これでは遺族も報われない。

今回の事件も、被告人が、無期懲役を望んでいるから、木村さんも納得いかないわけで、これが、喜んで死刑を望めば、彼はどう考えるのか?

あの世というものがあるなら、死刑囚は、あの世でも復讐しているかもしれんよ。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年06月24日 03:52
初めてコメントさせて戴く。
まず本村氏は法哲学を述べているのだ。
被告人が、死刑の選択という現実を前に初めて教戒や反省文を書き始めたという事実は、はからずしも死刑の威嚇力を示したということに他ならない。何も犯罪抑止のみに威嚇力を矮小化するのは、ためにする論である。
皮肉なことに、被告人が本村氏の運動で死刑の選択が現実になって、真摯な反省に目覚めたとすれば、本村氏こそ真の弁護人であったのである。
安田好弘弁護士の法哲学は、復活を期待する刑罰だろう。
ならば、法哲学で論争すべきではないのか?
また、本村氏の背後関係を云々するのは、管理人等が批判する週刊誌や新聞と何ら変わりないことだけは言えるだろう。
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月24日 07:12
本村氏自身の感情としては、ああいう言動も理解出来るのですが・・・
それにしても何か怪しいと思うのは私だけでしょうか。
拉致議連のような背景があるのではないかという気がするんです。
本村氏は被害者という絶対的に文句のつけようがない存在ですから。それを利用したい団体が存在するというね。
Posted by ガクガクブルブル at 2006年06月24日 08:05
まず本村氏の行ってきた運動というのは、犯罪被害者への国家からの救済・支援の法的枠組み作りであった。
安田弁護士ら、死刑廃止論者の考えは、被害者感情の救済は公共の福祉でということである。
であるなら、当然死刑廃止論の人権派弁護士らしく、これら制度の実現に向けて先頭に立つべきだろう。
しかし、実際は本村氏や岡村弁護士ら犯罪被害者らの強い運動でまず枠組みが出来た。
この点、死刑廃止論者や左翼は非力であったのは否めない。
また、党派性を問うのであれば死刑廃止運動や国際アムネスティー日本支部にも言えることである。
現状、安田弁護士らが劣勢であることは、岩波の「世界」での佐藤優氏との対談でも認めているようである。
背後関係云々というのは、左翼特有の陰謀史観であり、これでは広く共感や支持は得られまい。
純粋に、法哲学の論争とすべきである。
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月24日 10:18
武士道ですか・・・。
もっと早くこのサイトにたどり着けばよかった。
TBさせて頂きます。
Posted by 水葉 at 2006年06月24日 14:59
死刑制度の是非を考えていたら、自分の発想がまるで仇討ちのようなもんだ、と感じたのであって、べつに復讐の連鎖を肯定している訳では・・・昔でさえそもそも重仇討は禁止だったろう?とか思うけど・・・まぁ別にいいや。

私は「死」についてはとことん感情論で接するつもりですが、本村さんは「死刑判決にならないのなら、無罪として釈放して欲しい。そして私が殺す」と公言していますから、復讐したいと思っているのは確かなようです。もし彼が犯人を殺したとしても私は彼を批難できそうにない。身内を殺されりゃそりゃ殺したくなるに違いないだろうし。
Posted by とよあしはら at 2006年06月24日 16:08
本村氏は、最近のインタビューでは意図的に過激な発言をしていたようである。
私は、被告側が十分慰謝の意を示さず、かつ改悛の情を示せなかったところに、従来の司法の敗北があるのだろうと思う。
本村氏の基本は、なぜ人間は生きなければならないかという命題を、死刑というツールで問いかけたものと理解できる。
被告が、生きて償いたいと発言しているようであるが、これは本村氏が論破したことになる。
死刑というある種理不尽な形で命を断たれる現実を前に、初めて被告人が生命の尊さを認識できたと解し得る。
ならば死刑廃止論の安田弁護士らは、本村氏の法哲学を凌駕しなければならないだろう。
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月24日 16:32
木村さんが、復讐したいと思う気持ちは、俺だって、その立場に立ったらそう思うだろう。

ただね、彼の「武士道云々」という手記に俺はガッカリしてしまったのだ。

「本村氏の法哲学」なんぞ無いと思うよ。大甘の甘太郎さん自身の方が、木村さんより深く考察しているように思える。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年06月24日 17:09
遺族が加害者の命にも尊厳があると考え、それを代価として死刑を望むものなのだろうか?
あったとしても、死刑肯定から出発した「根拠」であろう。
命に対する価値観から死刑肯定を導き出したとは、個人的に思えない。
Posted by プッ at 2006年06月24日 21:10
本村氏は遺族なのですからハナから死刑肯定論の説得性を欠いているのは当たり前でしょう。
Posted by 龍成 at 2006年06月24日 23:41
「仇討ち」ですが、被害者の遺族が犯す殺人という違法性を阻却するだけの事由があり、また日本古来の風習でもあったために一見馴染みやすいようにも思えますが、いくら阻却出来るからと言っても殺人行為ですから遺族の違法行為を公務として共謀することは、死刑よりも多く加害者の生命権が奪われること必至。法の乱用甚だしいと思います。
死刑は法の解釈として言い訳苦しいし、国際的な生命権のための死刑廃止の流れもありますが、そもそも国民の大半以上が支持している死罰なのですからこれを覆してはならないと思います。
Posted by 龍成 at 2006年06月24日 23:43
日本人は日本国憲法において、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という努力を惜しまない誓いを立てています。現行で死刑になっているこれまでの加害者はその努力を怠ったどころか否定したのであり、我々すべての国民への裏切りでもあり、攻撃でもあります。
戦争時の生命権は除外されるような馬鹿げた国際的死刑廃止トレンドに乗るのではなく、戦争を放棄し全世界の恒久的平和努力をどの国よりも率先して行うべき日本国は、死罰でもってしか国民感情を抑制できない現在の国民の至らなさを自覚し、将来の国民が完璧なる自由と権利の保障するまでは死罰だけは維持しなければならないと提言すべきです。
Posted by 龍成 at 2006年06月25日 00:04
 ここに書き込んでいる「本村等」支持者は僕が紹介したここ

 「ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/harada.htm
 原田正治さん『弟を殺した彼と、僕』
  2005年6月25日          」

読んでます?彼も「遺族」だが、「武士道」云々の本村氏の言動と比較してごらんなさい。
 「国民の大半が支持」してたら、「『死刑反対』の遺族」の存在は無視していいってか?
Posted by 破れかぶれ at 2006年06月25日 00:28
手記によるあの武士道云々は本村氏が根本的に何か勘違いされているのではないかと思っています。詳しくは私のブログに書いてます。
http://mizuchi.livedoor.biz/archives/50013917.html

国民の大半は死刑反対の遺族の存在を無視してなどいないと思いますよ。原田氏の場合で言えば、原田氏の弟さんだけでなく、加害者に殺された他の二人の遺族の存在も無視しないでしょう。
Posted by 龍成 at 2006年06月25日 01:16
 もしも、この事件を米兵が起こしていたら、本村氏は果たして徹底的に加害者に死刑を求めていただろうか?
 文春や新潮や日垣隆は徹底的に加害者を非難していただろうか?
 おそらく彼は沈黙し、文春や新潮はこぞって加害者を弁護しているのではあるまいか。
 沖縄では、この手の事件は氷山の一角に過ぎない。幾人もの女性や子供が米兵どもに虫けらのように殺され辱められて、しかも奴らは死刑にも無期にもならないどころか、無罪放免にされるケースが多かった。
 山口の事件に憤りを感じる人たちやマスコミの連中は米兵が同じことをしても、同じように非難するのか?
 十八歳の少年がやれば死刑で米兵がやれば不問というのなら、結局この国の「被害者の人権論」はまやかしと言うよりほかはない。
Posted by 仕置屋稼業 at 2006年06月25日 12:32
http://blog.livedoor.jp/gegenga/archives/50494016.html#comments

 この事件の加害者に死刑を求める人たちはこの意見に対してどう思うかを述べるべきだ。

20. Posted by dox 2006年06月22日 20:04
俺はこの山口親子殺害事件が騒がれる裏で、横浜の米兵強盗殺人に「無期懲役」の判決が出てて、米軍の新聞(スターズアンドストライプス)に「どうせ無期懲役っても10年くらいで出れるから」ってまるで殺された主婦の人よりも米兵の人権のほうが大事な書かれ方をされてたのが非常に屈辱的に感じてたんだけど、山口の事件で死刑死刑と騒ぐような愛国死刑主義者は「米軍にいてもらわなければいけないからこれくらいのことで騒ぐな」とか言いそうな気がする。クソッタレ。



22. Posted by kuroneko 2006年06月23日 01:05
にゃー。別に4時まで起きているつもりはないっす。

たとえば暴力団同士の抗争で殺された人の家族が、「極刑を! 遺族の気持ちは遺族でしかわからない」と言ったらどういう反応があるのか、興味があります。でもそうした被害者は人目を避けているような気がする。死刑が抑止力になるには、人を殺したら原則死刑にすれば、少しは効果があるか。でも「網走番外地」みたいのは成立しなくなるから、日本国民は誰も賛成しないでしょうね。
凶悪犯には極刑を! って人は被害者によって命を値踏みしているのではないかな。
Posted by 仕置屋稼業 at 2006年06月25日 12:38
横浜の米兵強盗殺人事件に「無期懲役」の判決が出ているからといって、思考を停止させたかのように山口親子殺害事件に無期懲役を求めるのは言語道断でしょう。加害者被害者双方の申し立てを無視して裁判に事実認定以外させるなと言っているようなものです。

暴力団同士の抗争には被害者の落ち度も考慮されるため、目立たないのかと思います。

死刑廃止を訴える方々の残念なところは支持する側の考え方に理解を示さないことです。理解して尚それが誤りであることを証明しない限り説得することは不可能ですし、国内の死刑は無くならないでしょう。

命を値踏みしている、未開、野蛮、ヒステリック、マスコミに洗脳されてる、自己が確立していない等々、そういった死刑支持者側への誹謗中傷が、本来崇高な理念を持っている死刑廃止の考え方に水を差しているという自覚をお勧めします。
死刑を支持する側の大半は私のように多勢の威を借るバカ発言なんですから、バカにもわかるようにやさしくお願いします。
Posted by 龍成 at 2006年06月25日 14:56
仕置屋家業さんの「加害者が米兵なら」というコメント、
素晴らしい視点だなと思ったので、当方のblogでご紹介させていただきました。
http://aqualeafree.blog70.fc2.com/blog-entry-30.html
不都合があれば、おっしゃってください。
Posted by 水葉 at 2006年06月25日 15:32
昨日、所謂左翼にシンパシーを感じている人たちの集まりに参加したが、日頃、戦争反対といっている人が、感情あらわに、「俺がそうされたら、この手で殺すよ」と言っていたのが印象的でした。

人間は仏陀やキリストやマホメットになるのは、かなり難しいようです。

これから、合法的に人殺しをしたいと考える日本人は、積極的に自衛隊に入隊し、憲法改正後、世界中で米兵の盾となることを理由に殺人するしかないようです。

Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年06月25日 19:28
>横浜の米兵強盗殺人事件に「無期懲役」の判決が出ているからといって、思考を停止させたかのように山口親子殺害事件に無期懲役を求めるのは言語道断でしょう。

失礼ですが、仕置屋稼業氏が貼られたテキスト(dox氏)は、「加害者によって死刑になるか無期懲役になるか、この通り現実は違っている。(または世論やマスコミの反応が違う)。人が殺された事実は同じなのに、どうして差が出る?」という意見であって、龍成氏が言う「だから山口事件も(思考停止で)無期懲役」とはまるで違うと思いました。

死刑反対派か賛成派か、と発言者を色分けする前に龍成氏にはまず、「他人の意見はちゃんと読む」ことをお願いしたく思います。

ROM者の差し出口失礼致しました。

(しかし、先に出ていた被害者遺族である原田氏の意見紹介についても、結局流されてしまいましたね。
”他の遺族の意見も無視できない”のに、なぜ原田氏の意見は無視できるのかは理解不能)
Posted by めたる at 2006年06月25日 19:45
私には原田氏のような仏心を持つことは出来ないだろうと思った。家族全員が殺されたらやはり前後不覚、気が狂うだろうと思う。刺し違えても殺すんじゃなかろうかと思うときもある。相手を殺して自分も死ぬ。家族のもとへ逝く。今はそういうふうにしか考えられません。すんません。

脱線ですが少し気になること。
それは命の値踏み。
著名人なんかが死んだときのマスゴミの報道、ネットでは掲示板やブログなんかでの「ご冥福をお祈りします」というやつ。
毎日の交通事故死者や自殺者の事なんか屁とも思わず無視しているくせに、著名なだけで哀悼の意を表するというのは無意識のうちにやってる命の値踏みじゃなかろか。
Posted by とよあしはら at 2006年06月25日 21:10
まず、死刑廃止論者の方に問いたいのは、現状日本の死刑執行は年1回で慎重に運用されていることだけは言えるだろう。近年執行された者ををみれば無期懲役の仮釈中の再犯事例が多い。
死刑廃止論では、犯罪のリスクは社会が等しく負うものだとしている。
とすれば、これら再犯者の矯正や贖罪、被害者への補償が十分ではないことは明白だ。
被害者感情の痛みを社会で分かち合うなら、その枠組みを提案する必要が死刑廃止論者は提案する義務がある。
また、生きて償うことが死刑により命を絶つより法益が大きいことを立証しなければならない。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年06月25日 21:24
「加害者によって死刑になるか無期懲役になるか、この通り現実は違っている。(または世論やマスコミの反応が違う)。人が殺された事実は同じなのに、どうして差が出る?」という意味が仮に仕置屋稼業さんの本当のご意見だったとしても、思考が停止している疑問だと思います。
人が殺される犯罪は百例にして百様の状況があるでしょう。人が殺された事実が同じでも、数多くの判断材料をもってして司法が決定するものなのですから、その量刑に差が出るのは当然だと思います。

飛躍して考えてみると、公正なはずの司法が報道機関や外圧、ひいては現政権によって歪められているのではないかという憶測を述べられたいのでしょうか。であるならば死刑廃止とは関係無いので反応しなければ良かったかもしれません。

司法が原田氏の意見だけを無視したという憶測ですが、もしこれが事実であったとして、本村氏にも地裁1審2審で本村氏の意見を異にする判決を下しているという点をお考えになれば、ご理解も早いのではないでしょうか。これは、当然ながら犯罪被害者の気持ち”だけ”を考慮することもまたあり得ないからでしょう。

理解不能であることを表明されるというのは、ブログならではと言いますか、オープンでいいですね。なんでも言い合えそうな気がします。私なら私のちっぽけな自尊心が恥ずかしがって理解不能な件には黙ってしまうと思います。
Posted by 龍成 at 2006年06月25日 23:31
>無期懲役の仮釈中の再犯事例が多い。

ソースは何ですか?何と比べて多いのですか?
Posted by buyobuyo at 2006年06月26日 06:03
私も興味があったので調べてみました。
http://www.geocities.jp/aphros67/050200.htm
無期懲役には限定されていないものの、仮出所中の事件は有り、これまでに死刑とされた人々の12%が仮出所中の殺人らしいです。
私には多いように思いますけどね。残念なことです。終身刑があればまた別なんでしょうけど。
Posted by 龍成 at 2006年06月26日 08:50
無期懲役の再犯の事例です。
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/cplist.html
ここが詳しいですね。
1993年以降、47人に執行されていますが、うち9人は殺人の前科があります。
これだと、約2割の被執行者が該当することになります。
死刑囚の内5人に1人の割合です。
この数字をどう評価するかです。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年06月26日 09:33
無期懲役は終身刑にすることで解決できるが、無実の人間を死刑にすれば取り返しの付かないことになる。

最近でも、1983年から90年にかけて、4人の日本人が冤罪により死刑判決を受け、再審の後、釈放されている。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年06月26日 18:30
>司法が原田氏の意見だけを無視したという憶測ですが、

「司法が」無視したなんて誰も言ってはおりません。瑣末時ではありますが話がずれているようなので念のため。



それにしても、こちらのコメント欄の流れと、管理人様のコメントを拝見していると、英国のエヴァンス事件を思い出します。
今後の犯罪抑止のため、死刑続行を望むのか。将来(または現在)無罪の人が殺される可能性を阻止するため、死刑廃止を考えるか。
むろん、考えることがこれだけとは思いませんが。ただ、この国はどちらに重きを置くか、非常に気になるところです。
Posted by めたる at 2006年06月26日 19:13
まず終身刑ですが、人間の希望を奪うものであり、人間の尊厳を損ない、死刑と同等以上の残虐だとする批判がある。
次に経済ideologyの領域にも関わるが、タックスペイアーとして、終身刑を甘受できるかということである。
高齢化の日本である。最長5〜60年も受刑者を養うことが妥当かどうかいうことになる。
ちなみに死刑囚で再審無罪となった事例は全て戦後の混乱期の事件だということである。また当時は死刑の適用基準は統一されておらず、死刑囚の恩赦も行われている。
また法務省は、冤罪の疑いがあるものや、強固な支援組織がある死刑囚の刑の執行を躊躇っている現実がある。
このように刑事政策として死刑廃止から終身刑移行にも課題は多い。
死刑のネガティヴな面を強調するだけでは従前の死刑廃止論と変わらない。
それよりは、生きて償うことが死刑を上回る利益を提示できるかである。
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月26日 21:49
日本に冤罪はまだ幸いなことに発生していませんけど、その4人の無罪判決は、人が人を裁く限界を証明してますよね。
4名の生命は危ういところで救われましたが、法の下とはいえ、国民が等しく享有できる自由を法の下で奪われたのは間違いありません。たとえ刑事補償というものがあっても、その長期間の拘束における苦痛はお金で変えられないという観念は十分に理解出来ることです。
しかしながら、凶悪犯罪による社会不安を払拭する術を見出せない現在の日本では、凶悪犯罪に対する恐れ・憎悪が、例外なく一つの生命も無視出来ないという観念を凌駕してしまっている現状があります。
犯罪抑止なんてタテマエじゃないでしょうか、社会の結束力をそういうところでしか確認出来ないことが死刑を存置させるしかない一番の要因だと思います。
死刑が社会に資するというのは、無期で再犯し社会秩序の混乱を招くからなどではなく、国民の人心が社会と乖離してしまう、法に不信を招くという意味でのことなんじゃないかと。
Posted by 龍成 at 2006年06月26日 23:51
 こっちが紹介した原田さんの発言
 
 「ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/harada.htm」

本当読んでるのか疑わしい。
 彼はこう言ってたろうが

 「極悪人は死んで当たり前だ、死んで罪を償うのが一番良いんだ、よくそう言われます。
  じゃ、我々、残された被害者家族は加害者が死刑になって気持ちがすっきりするのかというと、そうじゃないんです。当事者としては、死刑になったからといってすっきりするもんじゃない。一生、事件のことがトラウマになって生きていかないといけない。これが現実です。もし死刑になってするんだったら、何でもっと早く執行が行われないのかと思いますね。

 だけど、そういった被害者の声はマスコミに全く登場してこない、あるのは、事件に全く関係ない人たちの『死刑になって当たり前だ』という声だけなんです。
 裁判では、『被害者感情』とか『国民感情』という言葉が使われて、死刑判決が下ります。
そして、執行のあった時にもその言葉が使われます。そして、それで事件が終わったんだということになるんです。だけど、そう思うのは事件に関心のない人だけです」
Posted by 破れかぶれ at 2006年06月27日 00:38
武士道ねぇ、脇が甘い。吹き込んだやつがいるな絶対。
Posted by あのにます at 2006年06月27日 19:57
単にルールの問題じゃね?
犯罪を犯すってのは、加害者が被害者に害を与えたってことだけじゃなくて、被害者も加害者も含めて暮らす社会のルールを破ったんだよ。
そのルールの中の最上位の罰が死刑だってこと。
死刑囚はルールに則って殺せばいいよ。
あと、米兵の犯罪に関しては、まずは日本が自首防衛できる戦力と核兵器を手に入れないとな。
俺も早く自衛隊が日本軍になってほしいし、核弾頭もほしいよ。
Posted by アジア人 at 2006年06月27日 20:38
 アジア人、あんたのような言動が原田さんの言われる「事件にまったく関係ない人たちの『死刑になって当たり前』という声」っていうんだよ。
 
 「『国民感情』『被害者感情』という人に限って、自分はそういう事件には遭遇しないんだと思い込んでいます」
 「そして、第三者的な目で物事を見てるから、本当に被害者の気持ちを受け入れてくれる受け皿がないと思うんです。被害者救済問題についても、その窓口さえわからない状態です」
 
とも原田さんは言っている。あんたみたいに無責任に発言する前に一回僕の紹介したところ読め!!
Posted by 破れかぶれ at 2006年06月28日 00:40
 昔、かの「三浦和義」事件(結局三浦さんは無罪を勝ち取って、各マスコミに訴訟起こして逆襲しましたな)で、当の被害者たる佐々木氏一家がマスメディアでえらそーに振舞ってたことありましたな、今の本村氏のごとく。
 当時の「噂の真相」は「佐々木氏の弟がテレビでエラそーにいえる資格なし、彼が逮捕暦多数の悪だ」という「当時のマスコミがみな知っていながら、三浦氏を『悪役』にするために無視した」事実をあえて報道しました。
 それで考えりゃ、「本村氏の背後関係」云々を死ぬのはさんが言うのに何の問題があるのでしょうかね。
Posted by 破れかぶれ at 2006年06月28日 00:53
本村氏の背後関係を探ろうとする左翼の一部がいるであろうことは、左翼陣営からも警告されている。
また、実際左翼系ブログでは差したる根拠もなく、本村氏の背後関係を匂わせている。
だが、こういった従来の左翼の手法は見抜かれている。
本村氏のガードも堅く、背後関係を証明できていない。
おそらく引きこもり左翼の、自分たちのサークルの中での噂話の域を出ないものと思われる。
本村氏の背後関係を問題にするなら、同様に安田弁護士らも問われることになる。
裁判員制というのは、司法に国民の常識や庶民感情を反映させる意味がある。ある意味、これも民主的な制度ということだ。
死刑廃止論ならば、高見に立って一般国民を説教することではなく、対話や討論などを通しての説得だろう。
左翼の衰退は、この説得の技術の未熟さであろう。
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月28日 23:06
左翼系ブログの本村批判はどこも恐ろしいね。
すぐ「原田さん」を出してくるワンパターンさも共通。
何千人と居る殺人被害者遺族の中で原田さんほか僅かな人数しか出せないのが現状。
そういう例外の被害者遺族を持ってきて本村さんを批判したりする。
まるで犯人を許せない本村さんが未熟な人間であるかのように批評。
左翼は怖い。
Posted by 左翼こわい at 2006年06月29日 12:34
龍成さん
>日本に冤罪はまだ幸いなことに発生していませんけど、その4人の無罪判決は、人が人を裁く限界を証明してますよね。

大甘の甘太郎さん御紹介の
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/cplist.html
を見た感じではかなりの数の再審請求が出されていますよね。冤罪が発生していないとは即断できないと思います。
Posted by 三十九回転 at 2006年06月29日 14:32
大甘の甘太郎さん

>皮肉なことに、被告人が本村氏の運動で死刑の選択が現実になって、真摯な反省に目覚めたとすれば、本村氏こそ真の弁護人であったのである。

マスメディアの論調も、また、被告からの手紙を開封もしていないという本村氏も、被告の反省は情状酌量を得るための見せ掛けのものだという見方をしているのではないでしょうか?

死刑の威嚇力によって得た形だけの反省なんて実に虚しい。本村氏だってそんなものがほしいわけではないでしょう。

それから、被告の刑罰の軽減のために最大限の努力をするのが弁護士の仕事で、被告の本音はどうあれ形だけでも反省文の一つぐらい書かせるべきなのに、それすらしてこなかった安田氏の前任者の手抜き弁護ぶりに寧ろ驚くべきでしょうね。
Posted by 三十九回転 at 2006年06月29日 15:01
再審請求ですが、これも精密に分析せねばならず、罪状の適用の変更を求めるものとか、死刑囚の防御権の一環としてなされているものとか、様々です。
例のリスト中で冤罪の可能性があるのはごく限られているように思えます。
奥西勝、尾田信夫、袴田巌、荒井正男、諸橋昭江くらいでしょう。
特に毒殺の場合は、立証が難しく林真須美被告など相当困難が予想されます。
実際、上記死刑囚は確定後長い年月を経過していますが、法務当局が執行を躊躇しています。
あと問題は、執行年齢の上限が70歳であるにも関わらず、坂本春野死刑囚のように確定時の年齢が77歳という矛盾した判決となっています。
戦後最高年齢で執行されたのは、連続大量殺人の古谷惣吉死刑囚の71歳です。
高齢で執行できないにもかかわらず、死刑判決を出すことには問題があり、その是正は求められるでしょう。
特別予防論の立場でも、高齢だと活動力が落ちますので、世間とは隔離して生涯を全うさせることが合理的に思えます。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年06月29日 15:04
三十九回転さんへ

被告の本音が如何であれ反省文を書かせることこそ、逆に被害者遺族のの冒涜ではないだろうか?
本村氏は、従来の司法関係者にそのことを問うているように思える。
また、「死刑の威嚇力によって得た形だけの反省なんて実に虚しい」とありますが、ある意味理不尽な形で自らの生命を絶たれる矛盾のなかで、生命の尊さや尊厳を自認したなら、それが虚しいと言えるのだろうか?
むしろ形ばかりの反省文で空虚な言葉の羅列で終わることこそ、むしろ弁護人も被害者も救われないのではないか?
かの安田弁護士でさえ、被告人にこれからも一層の反省や贖罪を働き掛けるとしている。
安田弁護士の法哲学は、復活を期待する刑罰だ。
だとすれば、被告人の復活の為の前提には、当然反省と悔悟が必然となる。
形ばかりの反省文を出すことこそ、実に虚しいのではないだろか?
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年06月29日 15:20
大甘の甘太郎さん

公判の中途に於いて書かれた反省文に、情状酌量を期待する打算から離れた真の反省を期待することは出来るでしょうか?まして死刑の威嚇の下で書かれたものでは尚更でしょう。包丁を突きつけられて書いた遺書と何の違いがありますか?

はじめから真摯で立派な反省文などかける訳などない。最初は心の伴わない形だけのものであっても繰り返し書くうちに自己と相手への省察が始まり次第に反省の心が芽生えるということだってあるかもしれない。それがやがて真の反省と呼ぶにふさわしいものへと時間をかけて成長していくかもしれない。
相手に真の反省を求めるなら、そうした、もしかしたら気の遠くなるような長い時間がかかるかもしれない成長の過程に忍耐強く付き合っていくしかないでしょう。

それを死刑の威嚇力によって後押ししようというのは、馬に薬物を投与して鞭を当てて早く走らせようというのと変わらない。

本村氏が被告に対して死への恐怖から反省の態度を見せたことに満足するのだとしたら、結局、氏の目的は被告に恐怖を与えることであって”反省”などはおまけでしかなかったのだと疑わざるをえないと思います。
Posted by 三十九回転 at 2006年06月29日 18:12
本村さんの希望が、自らの手で被告人を殺す、と言うのなら納得するよ。

キレイゴトをテレビで主張する本村さんの顔を見たいとは思わない。

ただ、被告人の兄弟が、今後、本村さんに復讐する可能性も否定できない。

それを受け止めた上で、死刑制度に賛成するべきだな。暴力の連鎖は切れないのだ。

それと、死刑制度は戦争に対する態度にもリンクしてくる問題だ。戦争は仕方ない、と言う態度の人に、死刑制度支持の割合は高いと思うが。

戦争も死刑制度も、復讐のスパイラルだ。果てしなく続く復讐劇を演じる自信があるのか?
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年06月29日 18:49
三十九回転さんへ
まず、被告人が真摯な反省・贖罪・教戒を受け入れる動機として、死刑の威嚇力を否定すべきではない。
被告が形式的でも反省文を書き続けると復活の期待があるという趣旨であるが、現実を考慮すれば、彼が命の重みを主体的に考える契機となったのは自分の命が絶たれる可能性が出て来たからという事実は、余りに重いのである。
では仮に無期懲役刑が確定した場合、被告人が真摯な贖罪に至ったのであろうか?
また、法廷での形式的な謝罪が、被害者遺族をさらに傷付け、社会の矛盾を一身に背負わせるのは、余りに過酷ではないのか?
では伺いたいのだが、三十九回転氏は、被告人は今後被害者遺族にどういう償いをするべきだとお考えなのだろうか?
矯正行政の中で、被害者感情の寛如を予定する矯正教育はまだ緒についたばかりである。
また少年事件でも、加害者が社会復帰しても謝罪や墓参りさえ行われていない実情である。
また、本村氏が中心となって運動した国による犯罪被害者への補償について、どうお考えなのか?
左翼や死刑廃止論者は、この運動に冷淡ではなかったのではないか?
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月29日 20:49
申し訳ないが私には大甘の甘太郎さんのご意見は、死刑の重みを信じたいがために死刑の威嚇の結果としての被告の反省を重く見るという自家撞着としか写らない。

遺族が加害者に対して死の恐怖で苛みたいという感情を持つのは自然なことでありなんら非難されることではない。本村氏は、被告に死の恐怖を与えたい、と素直に心情を吐露すればよいのである。

死刑は醜い。その醜さを、これこれの意義がある、といったことで糊塗、美化するなというのが本村氏に対して言いたいことだ。

>被告人は今後被害者遺族にどういう償いをするべきだとお考えなのだろうか?

それは被告人と遺族の対話の中からしか答えは生まれない、とお答えする。

それから、犯罪被害者の行政による社会的経済的救済には賛成だし、そうしたものを求める運動が被害者自身の尽力によってしか動かないという日本の民主主義や人権状況を憂えるというのも同じ気持ちである。

死刑存置論者がみな被害者救済に積極的というわけでもないだろう。法務省は長年にわたって死刑制度の維持に腐心してきた最大勢力だが、被害者救済に何かしてきたわけではない。
また、犯罪者への厳罰化を求めるような連中にはなんとなればタックスペイヤーとして、国家が被害者に代わって犯人を罰してやったのにこれ以上経済的支援まで求めるのか、などと言い出す者だっているだろうというのも想像するに容易だろう。

左翼や死刑廃止論者叩きは結構だが、それが被害者救済体制作りにどう貢献するとお考えかな?
Posted by 三十九回転 at 2006年06月30日 14:49
三十九回転さんへ
簡潔に
まず、貴兄の論であれば特別予防論が成立しそうである。
対話を通じても、悔悟の念や贖罪の意識が芽生える保証はないからだ。
刑執行者のかなりの割合で殺人の前歴があることは、倫理観だけでは残念ながら限界があると見てもよい。
安田弁護士らが、批判されるのは生きて償うという法哲学で対抗するのではなく、単に遅延工作だと世間から見られていることは注視すべきだろう。これはtaxpayerからも、徒に公判を長引かせ社会的利益を失するとの声も出る余地がある。
死刑が、凡そ人類にとって醜悪な事実であることは共通である。
醜悪だからこそ、人々は畏怖し自制すると仮定すれば死刑抑止論は意味がある。
本件は、被告人の軌跡を追えば威嚇力があったことは否定できない。
貴兄は、そのプロセスに道徳を求めているようである。それが正しいことかは疑問である。
左翼・死刑廃止論者批判であるが、これは彼等が常々犯罪は社会の歪みから生じ、そのリスクは社会全体で負うべきとの主張である。
ならば犯罪被害者救済の先頭に立つべきであったが、実は彼らは社会にリスクを負わせることしか眼中になかった。
自家撞着であり、厳しい非難も至当であろう。
Posted by 大甘の甘太郎@携帯 at 2006年06月30日 16:18
死刑は醜悪である。死刑存置論者がそのことを認めたうえで、人間の社会はその醜さと付き合っていかねばならない、と考えているうちなら耳を傾ける余地もあろうが、犯罪者の余生をよりよく生かすための魔法の薬であるかのように美化するなら、そうした欺瞞に対しては厳しく批判せざるを得ない。


>対話を通じても、悔悟の念や贖罪の意識が芽生える保証はないからだ。

そう、ましてや司法制度に出来ることには限界がある。だから犯罪者の悔悟や贖罪を求める遺族感情に重点を置きすぎれば、司法制度は歪んでしまう。制度の限界を見据えてあきらめるべき時にはあきらめなければならない。

今回の本村氏の運動によって、被害者二人、初犯、18歳1ヶ月の場合に死刑が適応される前例が出来そうである。

次は?

被害者一人の事件の遺族が判例を変更し死刑を要求する運動を起こすかもしれない。そうしたらどうするのだ?

あるいは宅間守。
死刑は宅間の悔悟を引き出すのに何の役にも立たなかった。ああした犯罪者に対して遺族が残虐な拷問刑を要求したらどうするのだ?憲法でも改正するのか?

刑罰の重さが犯罪者の悔悟を引き出すことに意義を見出すという立場では、歯止めのない厳罰化へ道を開くだけ。罪刑法定主義などどこかへ吹き飛んでしまうだろう。
Posted by 三十九回転 at 2006年06月30日 19:02
三十九回転さんへ

まず、死刑の醜悪さを美化する余地は無いはずである。
犯罪者の余生をよりよく転化する魔法の薬ではなく、触媒であろう。
むしろ、死刑廃止論者の方が、似非ヒューマニズムでの欺瞞を重ねているから、国民世論を説得できないだろうと思われる。
この点は、左翼=死刑廃止論者への厳しい批判となっていることは、世論調査などで明白である。
裁判員制度は、司法に市井の人の声を活かすのが設立趣旨であり、また法について世論が無関係とはいえないはずである。

左翼の悪い癖であるが、加害者の人権を声高に叫びながら、突如として被害者は問答無用で斬り捨てる。
これは悪しき権威主義であり、愚民政策であろう。
司法を歪めると言うが、本来死刑廃止論者が被害者救済とセットでなければ刑事政策として成立しないにも関わらず、全く省みなかったのである。
これも司法を歪めているといえそうである。
現在の世論は、そのアンバランスを是正しようとするバランサーの動きであろう。
また犯罪者の悔悟と贖罪を実現されなければ、死刑廃止論の前提が崩れてしまう。
なぜニヒリズムに陥るのか、全く理解に苦しむものである。

また本村氏の事案は凶悪度が極めて高いものであることは、疑いないものである。被告人の矯正に可能性があるかどうかである。差し戻し前の判決では、被告人の態度が悪辣であり、非難に値しよう。

以下、三十九回転氏の論理の飛躍と言うか、妄想に近い展開である。

まず、一般国民の常識を全く信じていない態度には驚きである。
社会主義の階級闘争史観では、一般大衆など懐疑の対象でしかないのだろう。

被害者遺族が、実際宅間死刑囚に拷問刑など要求した事実があるだろうか?

余りにも、一般国民を馬鹿にした態度である。
このことは厳しく非難されなければならない。

刑罰の重さが犯罪者の悔悟を引き出すことに意義を見出す、これはズバリその通りである。
でなければ、刑罰にランクを付ける合理的理由が見当たらない。

歯止めの無い厳罰化というのは、完全に妄想である。それを制御・予防するのは、国民の常識である。
余りにも独善的であり、これでは死刑廃止論に説得力を持たないのである。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年06月30日 21:07
 大甘さんこそ何を持って「一般国民の常識」を持ち出しているのかを伺いたい。
 「社会主義の階級論争」など何を持って言うのだろうか。
 そのようなたいそうなもん持たなくとも、例えるなら「ドイツのナチを生み出したのはドイツ国民の衆愚」だってことは言える。
 「一般国民の非常識を批判する」のに「社会主義」を持ち出す必要がどこにあるのかまったく意味不明。
 そういや、「過去にヤクザっぽい連中が出入りしたときは何も言わず、相手がオウム信者だった時は徒党を組んで排除運動した」のは「一般国民」だったよな。
 そして、「麻原の子供の就学」を拒否するという「『教育の権利』を侵害」した行為をしでかしたのは「一般国民」じゃなかったのか。
 こんなんを批判するのにも「社会主義」必然なのかい。単に「一般国民が非常識」だったってだけだろうが。
Posted by 破れかぶれ at 2006年07月01日 18:22
 それから「左翼こわい」。
 お前ちゃんと原田さんの発言読んでるのか

 「だけど、被害者には表に出たくない気持ちがあるんです。プライバシーの問題、それぞれの生活がありますからね。それを表に出て発言したりすると、ものすごいバッシングがあるんですよ。
 「2000年に世界死刑会議というのがフランスであって、僕も参加したんです。それが原因かどうかわからないんですけれど、帰ってきてから無言電話が一日に四十回ぐらいありました。あれにはちょっと閉口しちゃったんですけれどもね。そういうことがあるので恐くて死刑反対の声が出せないという状況なんです」
 「僕の家族なんかもそうです。H君に関係する人たち、H君の家族・弁護士・キリスト教関係者の人たちが、何度か墓参に来てくれました。そしてH君からは命日やお盆にはお金が送られてきました。五千円か一万円ぐらいなんですが、線香代とか言って送ってくるんです。
 そうしたことやら、僕も母に『死刑になってもどういうことないよなあ』と話したりするんで、母も考えるようになって、死刑に対して否定的ではないけれども、肯定でもない。どちらかというと死刑はよくないなという感じに変わってきたんです」
 「しかし、母や兄弟はこうしたことにあまり触れたくないわけです。テレビや新聞に僕が出ると、うちは田舎ですから、みんな見るんです。そうなると噂になるんですよ。あまり感心しないというので、事件のことや死刑問題には触れたくないというのがあるんです。
 「『良い被害者』と『悪い被害者』というのがあるんです。仏壇に手を合わせ、冥福を祈り、黙って悲しみに耐えていくという犯罪被害者が『良い被害者』なんです。
 『悪い被害者』というのは、表に出て、声を出し、国に文句を言い、自分の主張をしていく人です。さしずめ僕なんか悪い被害者なんでしょうね。僕みたいに声を出す被害者は異常なんです。直接面と向かって言われたこともありました」

これが実態だ。お前のようなやつがいるから「声を上げる人」がでないんじゃないのか?お前は「悪い被害者」と原田さんを誹謗中傷するやつだろう。
 そしてこの原田さんの発言から、大甘さんのいう「常識ある国民」とやらは「他者の発言を認めないどころかバッシングする」連中なのだと実証できる。そうでないというなら、なんで原田さんは「悪い被害者」よばわりされるんですかね。嘘デタラメいってんじゃねーよ。
 
Posted by 破れかぶれ at 2006年07月01日 19:01
破れかぶれ氏へ

そういえばナチスも社会主義労働者党であった。
階級闘争史観では、インテリが労働者をオルグして無知な労働者を革命に駆り立てる手法である。
つまりインテリは労働者=一般国民をまるで信頼していないのである。
さて、これこそが衆愚であり、反対意見を抹殺する姿勢そのものである。
では、一般国民の常識、つまりバランサーを担保するものが何であろうか?
これは、インテリ主導によるオルグなどではなく、言論・表現の自由なのである。
破れかぶれ氏の論は、ファシズムへの道であり、誘惑なのだ。
ヤクザやオウムについて、自身の権利が侵害されることへの不安であり、同時にそれは当該団体もしくは個人への社会的批判である。
彼らの行動が世間の一般常識から逸脱しているから、改めなさいと言う行為である。
彼らにも、社会から忌避される要素がなかったのであろうか?
社会主義では、主導するインテリの独善に陥り易く、牽制機能が無いに等しく、それこそが衆愚であろう。
民主主義というものは、広く国民の意見を集約して物事を決めていくという原理である。
そこには当然、一般国民への信頼が前提である。
ところが、社会主義には基本的に一般国民への信頼が無い。
破れかぶれ氏の論では、まさに一般国民を侮蔑しており、突き詰めれば独裁しか有り得ないことになる。
これこそ右傾化などより、遥かに脅威であると断ぜざるを得ないのである。
原田氏は、自ら行動したことへのリアクションである。これはどの立場でも負わなければならないリスクであろう。
勿論嫌がらせとか、犯罪に類する後備については非難に値する。
しかし、それを一般国民にまで極大化することには、強く違和感を覚えるものである。
>「常識ある国民」とやらは「他者の発言を認めないどころかバッシングする」連中なのだと実証できる。
この件などは、さしずめ歪曲だと断言する。
なぜなら、そういう一部の人間の行為を普遍化できるはずもなく、明らかに印象操作であり、悪質な詭弁であると断じておく。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月01日 20:40
 何度も言うが、原田さんも言ってるだろうが

 「テレビや新聞に僕が出ると、うちは田舎ですから、みんな見るんです。そうなると噂になるんですよ。あまり感心しないというので、事件の事や死刑問題について触れたくないというのがあるんです」
 
てな。
 大甘さんの言う「常識的な日本人」の大半が実際にはどういうものかを考えたら、なぜ「このような発言」が出てくるのか、理解もできよう。これが「一部の人間の行為」レベルのものであれば出てくるはずがなかろうて。
 大甘さん、人の文章ちゃんと読んでね。
 僕はこう書いた

 「過去にヤクザっぽい連中が出入りした時は何も言わず、相手がオウム信者だった時は徒党を組んで排除運動した」

とね。
 つまり「相手見て」行動してるって事。
これってズルなんだよ、ワカル?
 後「ナチスを選んだのは当時のドイツ国民」だって事。これも事実。これを言ったからと言って、「独裁」だの言われる筋合いがないね。だったら同様の事言ってる人は全部そうなのか(それこそごまんといるぜ)?
 それと「一般国民を侮蔑している」などと言ってる大甘さん、あなた自身文章で「無知な国民」などと侮蔑的な言葉を使うんでしょうか?ダブルスタンダートってこの事いうんじゃないの?
Posted by 破れかぶれ  at 2006年07月01日 21:34
破れかぶれ氏へ
何度でもいう。貴方は極大化した歪曲をする、詭弁である。
原田氏が、意思表示をしているのだから、当然原田氏への反対意見があるのが常識である。
それすら想像できないとは、最早哀れを催してくる。
そういうリアクションがあることが、ある意味健全であろう。
原田氏はそこから説得と言う作業が必要なのだ。
人の文章を読めというのは、破れかぶれ氏の方である。
揚げ足とりにすぎないのである。
破れかぶれ氏が、一般国民を侮蔑し、かつ反対意見を抹殺しようとする姿勢が、遥かに問題だとしているのだ。
この点については、全く左翼さんお得意の無視である。
左翼と言うのが全般的に、説得と言う作業を行わないことが、よく分かるレスである。
では破れかぶれ氏は、これが「一部の人間の行為」レベルのものであれば出てくるはずがなかろうて。をどうのように立証するのであろうか?
あるのは、破れかぶれ氏のような左翼小児病のレッテル貼りだけしかないだろう。
破れかぶれ氏は、民主主義を否定するのか?
まず、私の文章もよく読んで、レスして頂きたい。それだけである。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月01日 21:59
大甘さんのいう「一般国民の常識」「国民世論」というものが、私にはあまりにも抽象的に感じられます。

私の普段の生活で接する方々がそれぞれ持っておられる常識、そして私が直接接触できる人たちから他につながるさらに多くの人たちの常識、このように意識される「常識」を一般国民の常識まで敷衍するのに躊躇を感じます。
Posted by 地方人 at 2006年07月01日 22:57
私も大甘の甘太郎さんが、突然左翼云々を持ち出したのかよく分かりません。
いや、別に破れかぶれさんを支持しているわけではないのですよ。
と言うか全く関係ない話をいきなり持ち出すのは、いかがなものかと思って書いただけです。
死刑制度の問題で言うと、死刑判決を下したいと思う人間が私にはたくさんいるので賛成かなぁ。(笑)

Posted by S at 2006年07月02日 19:49
あくまでも推測、想像でしかないのですが、この本村という人は、恐らく今回の事件の起こる前から、「犯罪少年は重罰に処すべきだ」「殺人犯は死刑にすべきだ」という考えを抱いていたのかも分かりませんね。それが今回、こういった形でご家族を殺されてしまったということで、前々から思っていたことが一気に噴き出してきた・・・と考えることはできないでしょうか?
Posted by ニュースコープ at 2006年07月03日 02:17
大甘さんは、ご自身でどのように「一般国民の常識」を把握されているのか、明らかにしてもらいたいです。

ニュースコープさん
この事件の高裁判決の判決理由を読んでみてください。裁判所のサイトで読めます。
私が本村さんの立場なら、彼の言い分は当然のものだし、むしろ非常に我慢強いと思います。また、私は第三者としても加害者に厳罰を望みますよ。そして、私の知る限り知人の大多数も同じだと思う。ただこれが一般国民の常識とまでは言えない。
Posted by 地方人 at 2006年07月03日 04:26
簡潔に
>地方人さんへ

一般国民の常識=コモン・センスだと考える。論議あるいは討論する過程で、いずれかに収斂することは我々の経験則で知るところではないだろうか。
ただし、この常識には幅があり、しばしば移ろい易い。
だから、常識の健全性を担保するため、言論の自由や思想信条の自由は前提条件となる。
煽動政治と言うのは、必ず言論弾圧とセットになっているはずである。

>Sさんへ
左翼と死刑廃止運動家が、ほぼイコールの関係であるからだ。
このことは、雑誌「世界」で安田弁護士と佐藤優氏との対談で、佐藤氏が指摘している。
飛躍ではないと思う。このブログの管理人が問題提起しているが、北朝鮮拉致事件のスタンスと、今回の問題は同根ではないかという問いかけには同感である。

>ニュースコープさんへ
本村氏も、この事件の犯情が悪質な為、社会正義の実現と彼が考えて声を上げたのではないか?
被害者側に何らかの瑕疵・過失があれば、世間がこれほど支持を集めないはずである。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月03日 08:55
大甘の甘太郎さんへ

やはり一般国民の常識はその定義すら困難なもので、しかも言葉の幅が広すぎます。このような曖昧な言葉を議論の土台にすることは出来ないのではないでしょうか?

また、左翼・進歩派が危惧するように、一般国民の常識とされるものが収斂し幅を狭めることが多様な議論を圧殺することになるのでは内科と思います。
Posted by 地方人 at 2006年07月03日 10:10
地方人さんへ

簡潔に
左翼・進歩派の危惧というのは、同時に彼らの弱点であると指摘している。
結局彼らは民主政治を標榜しながら、実は大衆を侮蔑していることになる。彼らの主張が理解されないと、その責任を主張を受け入れない大衆に責任を転嫁してしまうからである。

一般常識の反映の形が選挙、即ち投票行動だろう。
またある運動への共感のの声の多寡が、国民世論=常識を示す物ではないのか?

曖昧だ、幅が広すぎるなどと言っていれば、突き詰めるところ、哲人政治か独裁政治を許容するところとなる。

議論の手練と言うのは、必ずしも意見を一致させることは意味しない。
論議を重ねれば、賛成意見も反対意見も論点が自ずと収斂されると言うことである。

むしろ左翼・進歩派の方が、議論を圧殺する方向に動いてる節もあるのだ。
典型例を上げれば、進歩派の加藤周一が歴史教科書の国定化を唱え、刈谷剛彦東大教授から批判されたように、左翼・進歩派の退潮が、広く国民一般を侮蔑的に見ていたことに気付いたのではなかろうか?
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月03日 10:57
大甘氏の応答を読ませていただいたが失望を禁じえない。左翼扱いですか。

間が空いたので私の本村氏に対する考えをもう一度簡単にまとめておくと、
死刑の威嚇力によって被告の反省が進んだと評価するのは、時間効率性を求める経済合理主義の立場でしかない、
というものである。

この観点で言うと、本村氏の代弁者を演じる大甘氏の

>刑罰の重さが犯罪者の悔悟を引き出すことに意義を見出す、これはズバリその通りである。
>でなければ、刑罰にランクを付ける合理的理由が見当たらない。

との主張は非常に示唆的だ。
何故なら、そもそも、通常の懲役刑と死刑の間には、人一人の命を奪い取るという点で、数量には還元できない刑罰の質的な断絶があるのだし、であるがゆえに死刑の存廃が問題となるのではないか。大甘氏の「刑罰の重さが犯罪者の悔悟を引き出すことに意義を見出す」との主張には、この質的な断絶に対する目配りがなく、刑罰の軽重という数量的な問題としか捕らえられていないことが良く現れている。
本村氏の考えを支持するにはこうした割りきりが必要なのだろう。


>被害者遺族が、実際宅間死刑囚に拷問刑など要求した事実があるだろうか?

仮定の話として書いていることに、”妄想”なんてツッコミもないと思うのだが。
私の身近な知人(子供の命は大切だ。イラク戦争などまったく許せない。小泉大嫌い、といったタイプの人物)が、あんなやつは拷問にかけて苦しませなければ許せない、と言っていたのを念頭において書いたのだが、あの発言は私の妄想だっただろうか?悲しいかな、拷問にでもかけろ、という感覚は公共の場で語られることはあまりないだろうが潜在的にそれ程珍しいものとは思わない。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200607010209.html
より引用
> 検察は「子どもの安全を脅かす重大犯罪には厳罰化が必要」として死刑を求刑したが、被害者が一人の場合には死刑の適用事例が極めて少ないのが実情。

だそうである。

>歯止めの無い厳罰化というのは、完全に妄想である。それを制御・予防するのは、国民の常識である。

そうこういっているうちに、厳罰化は着々と進んでいるようだが。大甘氏にはぜひとも制御、予防のために戦っていただきたい。
Posted by 三十九回転 at 2006年07月03日 15:34
三十九回転氏へ

まず、死刑廃止論者の主張が左翼・進歩派にシンパシーを感じていると思われると考えている。
特に本村氏を非難する方々のブログを拝見すれば、その感は一層強くなる。

まず、質的断絶と言う批判である。
まず質的と言う問題になれば、もはや形而上学の神学論争ではないか?ということである。
矯正を含む刑事政策の源泉は税である。となれば、三十九回転氏も認めておられるように量的制約があるのは、司法=刑事政策の限界を示すものであろう。
質的な矯正教育は端緒についたばかりであり、とはいえ財政的な限界があるのは自明である。
この点、質を強調される三十九回転氏の主張は理想論もしくは、机上の空論との批判はなされるのではないか?

次に常識であるが、”拷問にでもかけろ、という感覚は公共の場で語られることはあまりないだろう”がまさに国民の常識である。できるものなら拷問でもしたいという感情は、ある種自然な感情であり、それをいかに抑制もしくは昇華させるかである。ある種許しがたい感情を持つことと、実行行為に及ぶこととは、遥かに距離があるのであって、直ちに宅間死刑囚への感情が悪徳であるとは決め付けられないはずであろう。

広島地検が死刑を求刑しているのであるが、これは国民感情の融和を狙ったポーズあろう。
では、厳罰化が何故いけないのか、それを示して欲しい。
厳罰化を望む世論の背景には、明らかに犯罪抑止力の期待があるはずである。つまり犯罪を実行し、刑罰を科されることがコストに合わないと覚らせることも、抑止力になりうるだろう。
特に外国人犯罪においては、日本の刑罰が緩いため、日本で刑罰を科されても、彼らにすれば十分コストに合うらしい。

しかし、果てしない厳罰化というのは有り得ない。言論や思想信条の自由が担保されていれば、必ず異議申し立て者が出現する。
そのバランス・着地点が、ある程度社会状況を反映して揺れていることは否定できないだろう。
それほど、一般国民・大衆に信頼がないのであろうか?

衆愚扱いが過ぎれば、民主主義の否定することになりはしないのであろうか?
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月03日 20:49
こちら
http://blog.livedoor.jp/aphros67/archives/50415249.html
は、死刑存置論の立場を公言する方のBlogの最近の記事だがその中で筆者は
「近代法治国家の裁判では被害者遺族の処罰感情を判決に反映させるべきではない」
と明確に述べている。存置論=本村氏支持とは限らない。

>まず質的と言う問題になれば、もはや形而上学の神学論争ではないか?ということである。

なんでやねん、とツッコミを入れるところだろう。まあ、大甘氏が今まで書いてきたことを読んで、死刑の問題をあくまで功利的な観点でしか見ていない事が十分理解できたからもういいだろう。

>厳罰化が何故いけないのか、それを示して欲しい。

現在、厳罰化を行わなければならない合理的な理由がないから。
最近の世論の厳罰化要求の背景には、過去数年間続いた、治安悪化への懸念がある。ところが、この治安の悪化と言うのは、1999年に警察で行われた犯罪認知方針の変更にともなって起きた、犯罪認知件数の見かけ上の増加をあたかも犯罪発生件数の実態的な増加であるかのように喧伝されたことにともなう、実体のない治安悪化神話に過ぎない事が既にわかっている。
民主主義は市民に適切な情報提供が行われて始めて成り立つ。治安悪化神話を作り出すのに大いに貢献したのが日本のマスメディアだが、おそらくその嘘に既に気づいていて尚その嘘を訂正することのないまま凶悪犯罪報道で民心を煽っている。こういう連中のことを衆愚論者というのではないか?
Posted by 三十九回転 at 2006年07月04日 17:19
三十九回転氏へ

こちらも突込み所満載なのであるが、では刑罰の功利主義的な観点の他にどういうアプローチがあるのか?
三十九回転氏は、所詮神学しか提示できないだろう。
挙げられたブログでも、直接判決に反映されるのは危険だが、判決を導くプロセスで被害者感情は加味されるべきだとある。
つまり全くは否定していない。
当然であろう。社会的正義感が達成されなければ、遵法精神など生まれないからである。
その意味で、引用は非常に浅薄であると考える。

実態の犯罪増加というが、韓国人武装スリ団や中国人らによる凶悪事件は無視できず、それまでの犯罪認知方針が妥当であったか?また変更前の犯罪認知が生活実感とマッチしていたのか?等、数々の疑問が残る。
それを検討せずして、いきなり世論誘導の如く扱うのは、悪質なレトリックであろう。

民主主義は、適切な情報提供ではない。
そもそも適切という用語自体に価値判断が含まれているからである。
となれば、価値観に合わない情報提供は煽動になってしまうのだ。
ここにも悪質なレトリックが含まれている。
民主主義は、多様な価値観を含む情報を提供されることで、成り立つのであって、適切などという価値判断は煽動や価値観の一元化への誘導ではないのか?

三十九回転氏のスタンスこそ、煽動政治そのものであり、衆愚政治へ道を拓く者である。
その意味で、自らは絶対安全地帯に身を置いて、高みから一般国民を衆愚扱いする差別主義者であろう。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月04日 21:32
<<言論や思想信条の自由が担保されていれば
それはどういう方法を考えておられるのか?今の状況を考えるとはなはだ疑問な点なのだが。

<<民主主義は、多様な価値観を含む情報を提供されることで、成り立つのであって、適切などという価値判断は煽動や価値観の一元化への誘導ではないのか?
その通りだと思います。だったらあなたの言われていること矛盾していない?
あなたの言われていることに何かの方向性を感じるのですが。
Posted by T at 2006年07月04日 23:07
>刑罰の功利主義的な観点の他にどういうアプローチがあるのか?

私がはじめから、本村氏が”死刑を”功利主義的な観点から評価することへの違和感を問題にしているのであり、刑罰一般の話をしているのではないのは明らか。大甘氏の単なる誤読である。

>挙げられたブログでも、直接判決に反映されるのは危険だが、判決を導くプロセスで被害者感情は加味されるべきだとある。

どの部分を指していっているのかわからないが、リンク先からもう少し引用する。

引用開始***
動機、犯行態様、前科に関してはこの被害者遺族の被害感情よりも重視されるべきとは思います。これらを加味して処罰することで、一般予防的観点においても社会にメリットがあると思うからです。但し刑罰は一部特殊な犯罪を除いて基本的には被害結果に比例して適用されるべきだと思います。

死刑に関しては死刑存置主義者であればあるほど、適用には十分な考慮を払うべきです。安易な科罰感情に基づいた要請は、死刑制度の維持の観点からも好ましいものであるとは思えません
引用終了*****

と言うわけで死刑存置論にもいろいろな論点があるということである。

適切、と言うのはもちろん、多様性の擁護という観点を加味した上で選んだ単語だったが、まさか、ある特定の人たちにとってのみ”適切”、などという意味に解読されるとは意外だった。民主主義のあり方について書いているのに何故そのような受け取り方になるのかまったくの謎である。

99年以降の犯罪統計上の認知数の急増が犯罪の急増を意味しないというのは事実であるし、犯罪の急増、治安の悪化というのは間違いである。適切、と言う言葉の意味合いをどう取るにせよ、間違った情報が流通し、訂正もされないと言う状況が、適切だ、と言う人は少ないと思うが。

多様な価値観の共存はもちろん民主主義にとって極めて重要である。現状の日本社会は”犯罪の急増”という誤った情報によって、厳罰化という単一の方向に向かう力が異様に高まっている。だから、多様な価値観の一つとしてここであれこれ書いている、のかもしれない。
Posted by 三十九回転 at 2006年07月07日 13:38
Tさんへ
現状への不安と言うのは、恐らく進歩派・リベラル派の言論やマスコミの萎縮を指しているのだろう。
しかし彼らの凋落が決定的になったのは、拉致疑惑が拉致事件になったことであるが、彼ら進歩派・リベラル派が一般国民から無責任だと思われた為であり、自滅に近い。
そのことは姜尚中や山口二郎らには自覚があるものの、オールドリベラリストら(加藤周一、小森洋一、大江健三郎等)には、それが乏しい。

しかし、インターネットでのサイト・掲示板・ブログ等で、これら進歩派やリベラル派の発言は確保されていることは事実である。

問題は彼らの主張が、どうして共感に乏しいのかを考えるべきであろう。

要は、俗に言う右傾化とは進歩派・リべラル派の説得力の不足であり、力量が足りないということである。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月08日 11:14
三十九回転氏へ

ここでは適切という評価についてえある。
私は、いささか三十九回転氏の脇が甘いように感じてしまう。
例えばマスコミ不信が広がっているが、彼らマスコミは編集の課程で適切という価値判断を行っている。
記事の扱いや分量、あるいは主張などである。
新聞などは、党派性が比較的反映されるメディアであり、これも立場を変えれば特定の価値観による適切になるだろう。

適切と言う言葉は、実に恣意的で曖昧なものであり、容易にレトリックに使われるタームであるから、かなりあやしい単語と言えよう。

三十九回転氏は、犯罪統計のレトリックを盛んに強調されているのだが、治安の悪化と言うのは生活実感でこれまで日本人の想像できなかったスキミングやサムターン回し、韓国人武装スリ団など、事案の被害が大きく摘発が困難であったことも考慮されるべきである。

となれば特に外国人による凶悪犯罪も無視できず、とりわけ中国人などは日本の刑罰が甘く十分リスクに似合うリターンが期待できるとしている。
入国管理政策とも連動されるべきであるが、一つは単に数字のみならず、犯罪の質と被害、また生活実感を考慮すべきであろう。
つまり治安の悪化という評価も、観点を変えれば正当だと言う意見もある。
今は学校の行き帰りに町内会のパトロールなどが実施されている。これなど過去には考えられなかったことである。
このような現実で治安が悪化してないというのには、無理があるのではないか?

民主主義というのは、意見の違う三十九回転氏らと討議を尽くすことが担保されていることが重要なのであろう。

その意味で、私の拙い論にも対応していただくことは感謝であるし、敢えて言えば左翼系に見られる意見の排除を行う掲示板より、こうして拙いながら討議できる場があることこそ、民主主義を保障するものであると考える。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月08日 11:34
>>要は、俗に言う右傾化とは進歩派・リべラル派の説得力の不足であり、力量が足りないということである。

いいや、そういうことではないのです。そんな短絡的な見方を何故右翼はするのか?それが疑問なのです。
今、時代は右旋回。幼児性を帯びている。安直な解決を求める。
これが最大の問題なのですよ。
排除と差別の論理に人々は、たやすく流れる。
その流れにこうしてこそ、生を受けた人間の存在価値があるというもの。


Posted by T at 2006年07月08日 22:08
そんなに赤の他人の心情に加担したいのなら自らが彼の代わりに実行をすればいい。w それが不可能ならば一生彼の傍に居てあげて心のケアをしてあげれば。それが本当の優しさじゃござんせんかね。w
Posted by ミシガンr at 2006年07月08日 23:27
>原田氏が、意思表示をしているのだか
>ら、当然原田氏への反対意見があるのが
>常識である。

本村氏への批判があることも常識になるよな。
Posted by 金星 at 2006年07月09日 00:48
大甘の甘太郎へ

まず、ナチスは階級闘争否定ですよ。

社会主義階級闘争の国家は、ソ連、中国とも死刑大好きでした(す)。死刑廃止に動いたのは、自由民主主義の西欧ですよね。大甘の甘太郎さんの意見は歴史的事実と矛盾します。

日本でも死刑廃止派は国権強化を嫌う自由主義者が主流です。左翼はまあいろいろですね。敵対党派を襲撃して殺害までする人たちだっているんですから。左翼が死刑廃止派と重なるというのはどうですかね。「左翼」をどういう定義で使ってるのか知りませんけど。

>インターネットでのサイト・掲示板・
>ブログ等で、これら進歩派やリベラル
>派の発言は確保されていることは事実
>である。

世の中の大部分の人たちは「テレビ」が主要な情報源ですよ。

>一つは単に数字のみならず、犯罪の質
>と被害、また生活実感を考慮すべき

一理あると思うが、一般的には「数の」上でも激増していると思われている以上、内容の問題に入るのはその後の段階だと思う。
また、生活実感がどう作られるかという点も考えないいけないですね。ニュース・報道系(情報系?)番組の激増・長時間化による犯罪報道に接する機会と時間増加は無視できないと思うので。

治安問題については是非下記の文献を参照くだされ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4535514615/
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4000220233/
Posted by アルファ級 at 2006年07月09日 02:02
>大甘の甘太郎へ
大甘の甘太郎さんへ

さんつけ忘れた。
呼び捨てにしてごめん。
Posted by アルファ級 at 2006年07月09日 02:04
Tさんへ
だから、進歩派・リベラル派が無力なのは何故かと問い掛けているのですよ。
決して安易に排除と差別の論理に流れているのではない。
彼らが、説得できないならファッショしか手段がなくなるだろう。
>”その流れにこうしてこそ、生を受けた人間の存在価値があるというもの。”
この一文など、安易なヒロイズムであり、批判されてしかるべきだと思う。

金星さんへ
勿論、本村氏批判もあることが、国民の常識だろう。
単一的な価値観でないことは、歓迎すべきことだろう。

アルファ級さんへ
死刑廃止論者が、ほぼ左翼・進歩派とイコールだというのは、佐藤優氏も認めているのです。
これは日本の場合に限っています。日本の左翼が死刑廃止支持は、連合赤軍事件など、公安事件関係で死刑囚を抱えているのも一因でしょう。
報道系や生活情報系で犯罪報道が増えているのは、ピッキングやスキミング、振り込め詐欺等への防犯対策の啓蒙ということがあることも、無視できないのではないか?
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月09日 10:12
何故無力なのか?
全く説明されていない。

<<彼らが、説得できないならファッショしか手段がなくなるだろう。
これが安易な道なのではないか。あなた方右翼が、何故そこまで安易な道に進むのか、それを説明して欲しい。
多元的な価値観をもてない人間をたやすく排出してしまうこの点に多くの問題点を感じる。
Posted by T at 2006年07月09日 21:44
Tさんへ
今月号の雑誌『世界』に答えがある。
何故無力なのか?
それは、Tさんら左翼が一般国民に信頼を置いていないからである。
それを見透かされている。
彼らが説得できないならファッショしかないというのは、これら左翼・進歩派の行き着く先を指摘しているのだ。
つまりインテリは得てして、批判を塞いでしまい独善に陥る。

例えば、今回の北朝鮮のミサイル発射について、左翼系ブログをいくつか拝見したが、共通しているのは、北朝鮮の所業を矮小化しているか、もしくは北朝鮮の正当化である。虚しい”北朝鮮にも問題はある、憂慮する”という枕詞があるにしても。

要するに政治的スタンスが明確で、北朝鮮を不当ともいえる擁護をすることにより、国民感情と遊離してしまったのである。
これは和田春樹が典型であろう。

左翼・進歩派の縮図が拉致事件以後の和田や『世界』への批判に縮図として顕れている。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月11日 22:34
 馬鹿の一つ覚えの「左翼」カテゴリーはもういいよ。
 言っとくが、「日本の強硬主張」の結果、「拉致の当事者」が危険にさらされた場合、それを支持した人たちはどう責任を取るんだ。
 大甘は「マスヒステリー」って言葉も知らないみたいだな。今のそれこそが「拉致の当事者」を危険にさらすのだ。正に「殺人教唆」。
Posted by 破れかぶれ at 2006年07月14日 00:39
大甘の甘太郎さんへ
 あのー。割り込みですまないんですが、
あなた様にとっては死刑廃止論者=左翼てことらしいんですが、、つい最近のアムネスティのHPに右翼団体顧問の鈴木氏が「死刑廃止は日本文化であり日本精神」だとおっしゃっておりました。鈴木氏にも何かコメントしてくださいませ。
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_suzukikunio.html
Posted by nemnemneumi at 2006年07月14日 03:04
破れかぶれ氏へ
ご自身がヒステリーであろう。
死刑廃止派=左翼・リベラル派という構図は動かない。
北朝鮮が、素直に交渉に応じる輩でないことは明白である。
破れかぶれ氏は、今はやりの言葉で言えば、まさに火病なのである。
言葉を返しておこう。まさに「脅迫」であり「強要」である。
ご自身の言葉を熟読すれば、その悪意や違法性は認識できるはずである。
先の韓国の地方選挙で進歩派・左翼が惨敗したのであるが、韓国左翼の総括として「一般国民を馬鹿にしていたことが敗因」としている。
まさに破れかぶれ氏の態度が、それであろう。
このような態度では、民主主義で多数派獲得できるはずもないと、強く非難しておく。

nemnemneumi氏へ
鈴木邦男氏は、所謂新右翼であり、従来の民族右翼より先鋭であり、反米路線では朝鮮総連と共闘していることは見逃してはならない。
事実鈴木氏は、総連主宰の学習会に参加しているのである。
恐らく野村秋介らと、テロリズムを容認していた彼が、死刑廃止とはかなり矛盾は感じざるを得ない。
鈴木氏に観点で抜けているのは、死刑を廃止してどういう刑事政策を取るのか提示していない。
これでは床屋の漫談にもならず、論評に価しない。
Posted by 大甘の甘太郎 at 2006年07月17日 09:20
ったく。
妻子を遊び半分に嬲り殺しにされた男性が、犯人を許せないと言うのがおかしい、だと!?

分かりましたよ。

それではこれから貴方方や、ご家族がどんな犯罪にあおうが、絶対に犯人を悪く言わないで下さい。
一言でも言ったら、・・・・どうするか分かっているんでしょうね?

おっと。僕の発言にケチを付けてもいけませんよ。
つけたら、『犯人を悪く言う人権無視のヒドイ人』ですからね。
Posted by さざなみ at 2006年07月18日 05:08
<<おっと。僕の発言にケチを付けてもいけませんよ。
つけたら、『犯人を悪く言う人権無視のヒドイ人』ですからね。
あなたはどういう犯罪を犯された方なのですか?
Posted by T at 2006年07月18日 13:27
死刑反対、賛成はおいといて、すぐに米軍や、自衛隊が海外派兵して人を殺すとかに結びつけるアホはそれこそ死んだほうがマシだぞ。
Posted by ぽへぽへ at 2006年07月21日 10:04
 「論評に値しない」などと言ってる大甘こそ「馬鹿の一つ覚えの左翼批判」ばかりでそれこそ「論評に値しない」と言っておこう。
 大体ここに書き込んでるクソウヨをのぞく連中は皆「一個人の責任で書いてる」ってことを自覚せよ。
 大甘みたいに「大勢の傘に寄り添ってでしか物事を判断できん」連中とは違うのだ。
 ほへほへ、あんた実際に米軍がイラクやベトナム、カンボジア、南米で何やってるのか知ってて言ってるのか?
Posted by 破れかぶれ at 2006年07月23日 00:40
「過去は水に流せ」だの言って、戦犯擁護してる奴等は、ブサヨですねっ!
悪党の立場に立ってるから。
Posted by プッ at 2006年07月23日 09:02
A級戦犯に死刑反対を唱えやがって
人権屋め!
死者を冒涜するなだと?
人権屋め!
Posted by プッ at 2006年07月23日 09:14
 プッよ。
 「ブサヨ」「人権屋」は「クソウヨ」の間違いだろう。それとも嘘書いて情報操作か?
Posted by 破れかぶれ at 2006年07月28日 01:53
軍人に甘い糞ウヨに対する皮肉だす
Posted by プッ at 2006年07月28日 11:46
すんません。軍人以外も処刑されてますね。
Posted by プッ at 2006年07月28日 12:00
英語怖いしわかんないです。何これ?

原田さんのもここに貼り付けられてるのしか読みませんでした。あまり感情移入できませんでしたが、無言電話は言論弾圧(大袈裟かなあ)許せません。

元々不勉強な上に、この書き込みも多すぎたので一応ざーっとしか全部読んでません。

私は自称フェミで左翼(へたれでばかな)ですが、死刑賛成です。
個人感傷として家族が殺されたら、犯人には社会的にそれが当然だと肯定されながら殺されて欲しいし

(それでは悲しみが終わらなくても別にいいです…ぶっちゃけ知人が犯罪被害に遭った時、その犯人が軽い刑とはいえ警察に呼び出されたり連れて行かれたり、民事で慰謝料?払ったりするのを見て心底嬉しかったから。ただ、知人は訴えすら苦しがっていて、罰された後も病んでいた。傍らにいるしかできなくて辛かった。でももし彼女が死んでいたら、そいつを私が殺したくなっていただろうことは予想の範囲内なので…)

終身刑にしてずっと十年何十年税金で養うのも嫌だから(だからって、これを理由に死刑が増えるのは絶対反対ですが)。厳罰化も賛成です。性犯罪とか、軽すぎるから。

でも意見としては大甘さんの意見には違和感がありました。

また、死ぬのはやつらださんが「冤罪」を持ち出しておられたので、ちょっと考えました。
100人の死刑囚を税金で養って生かして置いて、99人が有罪でも、1人冤罪がいたら税金使う価値があります。

あと、心痛を訴える被害者遺族が殺された被害者にいなければ、その犯罪者の罪は軽くなるのか?は重かったです。それは間違いだ。
Posted by 青菜 at 2006年10月05日 21:34
正直、ここに書き込んでいる人、書き込みを見て吐き気がしました。
本村さんについていろいろ言っている人もいれば、死刑について意見を言っている人もいる
正直本村さんの気持ちは本村さんにしかわからないし、いろいろ言うべきではないと思う
被害者の気持ちは、被害者にしかわかんないし
家族を殺されれば、すぐにでも殺したやつに仕返しをしたい気持ちもわかる
テレビで本村さんが、いろいろ言ってても
その気持ちをわかって上げられるのは本村さんしかいないし、マスコミや書き込む人もそっとしといてあげてほしい
Posted by スヌーピー at 2007年06月28日 18:30
>マスコミや書き込む人もそっとしといてあげてほしい

それなら、週刊新潮に手記を書くのはなぜか?

わざわざ記者会見をしてマスゴミの取材を受けさせるのはなぜか?

本村は出たがりな復讐鬼なんじゃないの?

「あいつを殺せ」と主張するなら同意するよ。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2007年06月29日 16:21
刑罰思想には、客観主義=応報刑主義と主観主義=教育刑主義がありが、いまだに決着がついたとは言いがたい問題ではあるが。
ただ現行の刑事処罰では、無期懲役と死刑の間には差がありすぎるようにも思うが。
Posted by 一読感想 at 2007年07月22日 17:12
死刑制度は断固賛成。

死刑制度が廃止されたら自分の手で殺す。

それまでだ。
Posted by   at 2011年12月16日 15:47
>死刑制度が廃止されたら自分の手で殺す。

 最初から死刑制度に反対して、復讐権を主張するほうがすっきりしているけどね。
Posted by . at 2011年12月16日 22:42
木村氏は死刑は私刑の言いだしっぺのくせに自分の影響力に恐れをなして責任回避に走った。

全国に多くの同調者がうねりとなって少年の弁護団や死刑反対論者に感情的に食って掛かるだけでなく、度を越して脅迫まがいの電話やメールが押し寄せられ命の危険にまで事が及ぶとわかると、急にトーンが弱くなった。

それまで全国のうねりを確かに背に受けていけいけどんどんでマスコミのマイクではっきり少年が出てきたら(無期懲役)殺すと言っていた。

ところが騒ぎが木村氏の及ばない範囲を超えるとさすがに自分の発した言葉の持つ責任に怖くなったのだろう、こうした動きは望んだものではないと否定した。

しかし、木村氏の言葉はきわめて人間の感情や琴線に響く愛しき者を理不尽にも失った残された者たちの怒りと慟哭である以上、こうした事態は予想されたはずだ。

俺は木村氏はそこまで読んであえて問題を提起した確信犯だと思い込んでいた。
だがそうではなく、感情に任せ後にどういうことが起きるのか判断のつかぬまま言葉の怖さに慄く単なるアジテーターの域を出なかった過ぎないとわかり、木村氏の本性をミタ気がした。


Posted by 無産者 at 2011年12月23日 02:37
この外道は世界一の卑劣なチョンDNAを持つ外道と聞き死刑あるのみ。
Posted by あ at 2012年12月20日 19:04
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遺族の被害感情
Excerpt: 光市母子殺害:最高裁「結果の重大性」を重視(毎日新聞) 死刑の是非は、83年の永山則夫元死刑囚に対する最高裁判決で示した「死刑選択基準」で判断されてきた。(1)事件の罪質(2)動機(3)事件の態..
Weblog: かめ?
Tracked: 2006-06-22 08:36

還暦のロックミュージシャン「反戦」を歌う!
Excerpt: ニール!あなたはまだヤングの心を忘れていない! きくちゆみさんのブログの右サイドにニール・ヤングのアルバムのバナーが貼ってあったので気になっていました。今日、このブログに詳しいコメントを書いていただ..
Weblog: BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」
Tracked: 2006-06-22 12:29

本村氏 「死刑は武士道に通じる」?
Excerpt: 反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ): 【遺族 木村洋さん】死刑制度は武士道に通じた崇高な考え方で日本の文化に合致残虐な犯罪を人の命で償う。その考え方は、生命を尊いと考えていなければ出てきません。武士..
Weblog: 蛟
Tracked: 2006-06-23 06:13

大切なことを書き忘れていた。
Excerpt: 本村さんに違和感や傲慢さを感じていたのは、マスコミの取り上げ方によるところも大きいのだなと考えるようになっていることは、明記していた方がいいだろうな。今は、彼はマスコミ(と、そのバックにある政治権力)..
Weblog: Tomorrow is Another Happy
Tracked: 2006-06-24 15:05

サディズムの発露としての死刑存続論
Excerpt: ■死刑制度についての基本見解については、以前何度かかいたし、その後も見解にかわりはないので、ここではくりかえさない。■今回は、ひさしぶりに、『死刑廃止と死刑存置の考察・BLOG版』での文章に反応してと..
Weblog: タカマサのきまぐれ時評
Tracked: 2006-06-25 01:04

ほ、ほぉ。
Excerpt: 反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ) 【遺族 木村洋さん】死刑制度は武士道に通じた崇高な考え方で日本の文化に合致 ・・・の記事に、素晴らしい視点のコメントがあったので、ご紹介します。 -..
Weblog: Tomorrow is Another Happy
Tracked: 2006-06-25 15:33

俺なら生き恥をさらすくらいならいっそ殺せと言う。
Excerpt: テレビ報道でスピンとして都合よく使われてる山口親子殺人事件。 何度も確かに痛ましいことだと思うが、これほどの報道量だと、何かをほかの事を隠すためにやっているとしか思えない。 被害者の遺族もメディア..
Weblog: 絵ロ具。
Tracked: 2006-06-26 19:47

【宇治学習塾女児殺害】 また「殺せ!殺せ!」の大合唱か!?
Excerpt: 以下、asahi.comより引用。父「うそつき。娘を返せ」 京都塾女児殺害判決 2007年03月06日12時59分 「量刑を聞いた瞬間、あまりにも刑が軽いと……。その一点です。検察当局には控訴..
Weblog: いいげるブログ
Tracked: 2007-03-08 00:35

朝日新聞記者の稚拙な「質問」の件
Excerpt:  癒しを求める七尾さんが満を持して本村さんに質問 (youtube):う〜む、まったく正しい  朝日新聞の馬鹿女記者が本村さんを侮辱 (veoh)  The Asahi's rudeness q..
Weblog: WhiteTiger-BLLOGG
Tracked: 2008-04-24 02:48
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