2006年06月17日

米帝から「売娼輸出」を非難されていた明治のニッポン

1890(明治23)年のことだ。アメリカの新聞が日本は売娼輸出をしていると攻撃していたんだ。

日本から船が着くたんびに10人前後のあやしげな女性が降りてくる、というのだ。

移民も多かったらしいが、仕事があるとだまされた女性も多かったらしい。昭和の慰安婦問題と同じだな。なかには密航者として樽の中で仮死状態で上陸させられた者もいたそうだ。驚くべきことだが、1868(明治元)年に、海外渡航が自由になったとたんに、もう東南アジアやロシアに日本の売春婦がいたという記録がある。
太平洋周辺の主だった国はもちろん、インド、アフリカ!にさえも女性たちは見知らぬ国へ出稼ぎに行っていた。外国人の私娼も多かったが、組織化された公娼はまさに日本の娼家の海外支店そのものであった。
仕方ないわな。日本の貴族のご婦人の殆どが枕芸者だったのだから。俺にすれば、カラダをはった外貨稼ぎはアッパレだがね。

「公娼制を不徳なんぞと言うわ、英国あたりの気狂いの言うことじゃ」
元祖日本のスケベ伊藤博文

「婦人の出稼ぎは公然許可することこそ得策」
福沢諭吉

明治の文豪、二葉亭四迷も日本の海外進出のためにウラジオストックあたりで女郎部屋を、と計画していたというのだから……。いまや、そのウラジオストックあたりから、北海道は小樽の港に売春ネーチャンが円を稼ぎに来てるがね。二葉亭四迷もビックリだわな。

しゃあない。事実なんだから。日本の資本主義の海外進出は、商社と娼婦の進出から始まるのが常だったんだからな。ここんとこ、正しい「誇りある日本の伝統」ってことで、少年少女にも教えていかねばならんべ。

海外娼婦は昔からからゆきさん≠ニ言われていた。ことばの響きはやさしいが、明治期に大量に女性が輸出された裏には「稼げるぞ」とだまされたのがほとんどであったよ。
香港に仕事口がある。アメリカで女中しながら洋裁が習える……とだまされて船に乗ると、対岸の国では「朝日の当たる家」がお出迎え、というシステムだったんだな。
「小型で性能抜群」の女性たちは、国際的評価も高かったらしい……。

白ンボのフニャチンに蹂躙されたからゆきさん£Bも、わずかながら故郷に送金でき、しかも帰れる見込みがないとなると、その地にドッカと根を下ろし生きる道を選ばねばならなかった。居直ったかの如く、たくましく生きる女たちに、諸外国から公娼輸出を非難された日本からは「国辱だ」「恥さらしだ」の声があがり出した。

公娼制度を擁護し、明治31年の民法改正まで一夫多妻制を楽しんでいたエリート達の口から、恥さらしだ、国辱だとはよく言えたものよ。

「一賎婦生きて魂を異域にさらし、死して瞑(めい)するにあたわず」
彼女達を罵倒した、当時の新聞だ。

その「一賎婦」たちは、日露戦争時に多額の寄付金を日本政府に送金したと言われている……。

ネタは「近代女性史」現代書館より


posted by 死ぬのはやつらだ at 23:12| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | エロばなとジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まぁ、当時は公娼の時代だったからねぇ、それを今言っても唇寒しだね。

それよか、それって今の韓国でしょ?

それだけじゃなくて、障害児まで海外に輸出してるじゃない、「人道的に養子縁組」でさぁ、さすがぁ、人権の無い国だよね。

管理人さんも、韓国をもっとつっこむと楽しいよぉ!
Posted by 現代 売女在韓国 at 2006年07月09日 17:21
なんでも、韓国に話しを持っていかないと癒されない。さびしい人ですね。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年07月11日 22:15
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