2011年02月19日

勝間和代は世に害毒しか流さない。即刻執筆活動を止めろ!!

ケーブルテレビで朝日ニュースターの毎週土曜日による佐高信と西部邁の学問のすすめ2を楽しみにしている。この番組での西部は相当に魅力的な人物に映る。
昨年、放送された番組で勝間のことをトコトン批判していて大いに溜飲が下がった回を咀嚼してお送りしよう。

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経済評論家 勝間和代著『断る力』2009年刊
日本人は出る杭を恐れて、どうしても人に遠慮しがち。「断ること」こそ生産性を上げる力だとしている。自分の軸をもち生産的な提言や交渉を行なう好循環を作る、というものだ。

佐高 腐りかけの生ものという感じもしますけど、今日は勝間和代を…。私は『タレント文化人筆頭両断』という連載をやっていまして、その中でやむを得ず読んだんですけど、西部さんがどう読まれたか非常に興味あるところなんですが。

西部 のっけから罵詈讒謗と言われると困るから、静かなところから言うと、この場に来て、ふと思い出したのは、30台のお終い頃、イギリスのバークレイ大学に家族連れて行っていて、子どもたちが小学校1、2年かな、その時、南アフリカから英語のAも喋れない少年がいて、家の息子も喋れないから2人で仲良くなった。その黒人の少年が、朝から晩まで“No No No”と教室でも踊り、道端でも踊っているね、もの凄い「断る力」をもっていた。石原慎太郎さんを巻き添えにすれば、「Noとよべる日本」というのがあったけど。アフリカの少年を見ていて、学者さんの息子さんだったけど、言葉を喋れない人に限って、NO NO と言うのだと。大人になって生きている以上ね、そう簡単にNo Noと言いまくるもんじゃありませんと、老人らしく一言苦言を申したい(笑)。

佐高 読みとおせましたか?

西部 (声を荒げて)ハッキリ言うけど、1ページ読むのが、ものすごい苦労した。僕、何度かね、例えば自分のカミサンが病院に入ったときなんかね、集団の部屋で女性たちの井戸端会議っていうの、妹も4人もいるからそういうの聞いてきたけど、得てしてね、俺には付き合いきれない、1ページはおろか、半ページも主旨が変わったりボケたりね、井戸端会議としてはボケたほうが面白いのでしょうけど、僕は女性の井戸端会議には付き合いきれないと。

佐高 「私を進化させた20人の著者」(08年刊)という、この人の別の本があるんですけど、「進化」って西部さんが別の意味で引っ掛かるのでしょうけど、その中で取り上げているのが、林真理子、ドラッカー、そして大前研一(笑)という人が上がってくるんですね。大前研一という人が気持ち悪いのですが、経営コンサルタントという人種、公認会計士となっている人、そこがまたカツマーが憧れる条件となっているのですけど。一番感ずるのは迷いの無さですよね。まったく自分が今、こう有るということに迷いがない。

西部 己を疑うこと、己の言葉を疑うことを知らぬ、そういう方々が居られる。

佐高 もし話したら西部さんもそうでしょうけど、話が成立しませんよね。

西部 これは言葉遊びですけど、コンサルタント(consultant)、英語で insult 侮辱するという言葉があるけど、insultant という言葉は無いけどさ、この本読んでいて、人間性に対する insultant じゃねぇかなぁと思った(笑)。僕こんなこと滅多に云わないんですよ。出来るだけ人の才能を探し出すのが上手いのだけど。ただの1行も探せなかった。

佐高 西部さんがよく我慢して読みとおせましたと思うのですけど(笑)。

西部 新幹線の中でダウンして、最後札幌行きの飛行機の中でまたダウンして、大変だった。

佐高 極端な事を云えば、3分で終わる内容ですよね。それと西部さん、何でこのような本がベストセラーになるのか、そのへんの分析はいかがですか?

西部 僕、新宿で飲むことが多いのですけど、帰りのタクシーで“ad hoc”という看板が目につくのね。“ad hoc”ってラテン語からきていて、どちらかというと軽蔑語で「場当たり的な」という意味なのね。この本は各ページ、各行、場当たり的に前ページ“ad hoc”。いやータマランナー。

佐高 私は勝間和代およびカツマーには会いたくないですよね。ぶん殴りたい感じがするという。

西部 僕はドライブをしないけど、昔、ドライブする人に聞いたことがあったんですよ。ドライブをしているときに何を考えるんですかと。先生で正直な人だったけど、「西部君、ドライブしていると、いろんな事を考えるのだけど、パッパッパッと全部消えていく」と瞬間的に。「あ、奇麗な花だな」「あ、雨だな」と、想いが連続しないのですよね。そういう意味で、あなたの質問に答えると、この本の“ad hoc”イズムというのは、カツマーに特異なことではなくて、現代文明そのものが、どんどんすっ飛んで行く車窓の光景のように、ちょちょ切れていくというね、現代文明の一つの表れとして出ているのだと解釈できるんだろうね。

佐高 かなりオトナシめにスタートしていますね(笑)。私は長谷川慶太郎という人を御神籤評論家と称したことがあったのですけど、まさに御神籤は中吉でも大吉でも、どうにでも解釈出来るんですよね。「私を進化させた20人の著者」という著書があるけど、進化の結果がコレかいというふうに思うんですよね。

西部 日本人の場合、「進化」という言葉を誤解していると思うのだけど、ダーウィンの場合の進化論というのはね、ガラパゴス島を見ればわかるようにさ、ある環境があって、その環境に適応することが進化なんですよね。決して「進歩」と違うのですよ。変な環境に居れば、環境に適応して変な人間が出来あがるんですよ。カツマーに限らず、「進化」と「進歩」という言葉の意味の違いも世の中でわからなくなっている。

佐高 仮に進化を認めたとしても、進化とか成長というのは、階段を上るように上がるものではありませんよね。一歩前進二歩後退というようにガタンと落ちたりするわけでしょう。それが、ものすごく単純に上るように、某宗教の階級試験じゃないんだと。それと、公認会計士試験を通っているということで、何か通行手形を持っているんですよね。

西部 そうか、試験ねぇ。「断る力」の反対は「受け入れる力」かなぁ。良い例じゃないけど、昔の格言というのは正反対のものを伴っているものなんですよ。例えば「子孫に美田を残さず」と言いながら「貧すれば鈍する」、相反することを語らなければ、語ったことにならないわけですよ。「断る力」と場当たり的に物事を語っているが、物事を包括的に見る力が何とか試験に受かった人たちには無いわけですよ。というか、試験問題がダメなんだろうね。非常に限定した状況の答えを求めるから。

佐高 だから、非常に部分的にそのバランスを欠いた能力とかを量る。試験というものはそういうものであると、そのような大前提がないですよね。このような難しい試験に通った人だから、万般に広まる。朝日新聞から何からイデオロギーを越えていろんなところに登場するっていうのは。また、ある種、中正とか中立とか、ビジネスの事というのは中立に捉えられるのですよね。政治的には中立であると。朝日新聞が、この人の「格言」というのを載せているんです。私はものすごく犯罪的だと思うのですよね。かつてバブル煽ったのと一緒ですよね。おんな大前研一と、この人の事言っているんだけれど、大前研一って人はマッキンゼーという経営コンサルタント。西部さん、経営コンサルタントという人は、その会社がオカシクなったときに必要な人で、普段はいらないモノですよね。要らないものがあんなにデッカイ顔してね、蔓延る世の中は何なのだという。

西部 しかも、ドラッカーでもよいのだけれど、そうしたコンサルタント系の人って、コンサルティングしてその会社を建て直すなんて言うことは何十軒に一軒も無いんでしょう。内輪を知っている人には怨嗟の行為ですよね。コンサルタントって何なんだ、掠奪者か、と言って怒っている人、僕は何人も知っていますよ。

佐高 例えば大前研一の事を云えばですね。あの人、住友銀行とかヤマハとかのコンサルタントをしたと言われているわけですけれども。住友銀行というのは当時の話でいえば、磯田一郎ワンマン体制だったわけで、磯田ワンマン体制を解決しなければ問題は解決しないわけで。ところが、ワンマン体制の磯田本人が頼んでいるわけで、大前提の磯田がおかしいと言えないわけで、ヤマハはヤマハで川上源一(社長)に頼まれているわけですから、お前が悪いとは言えない。だから非常に犯罪的なんですよね。

西部 僕、そんな恐ろしいあなたの言葉をずらしたいから言うけどね。さきほど“ad hoc”場当たり的と言ったけれども、同じことだけどスペシャリズムね。この方の本のどこかに書いてあったはずですよ。要するにスペシャリズム、どんどん断って自立することにより、ある種のスペシャルな能力が身につくんだと。でも本当に、カツマーさんたちよ、少し考えてみてくれと。また言葉遊びなんだけど、special の spec て見るということなんだと。つまり、自分が見たものだけに拘るというね、でもコップ一つだって、裏もあれば底もあるでしょう。微細に見れば、この瞬間だってライトに照らされてですよ水蒸気が上っているのかもしれないんですよね、目に見えない形で。そういうものを創造を駆使したりさ、経験を掘り起こして物事の立ても横も斜めもね。そうでなければコンサルタントなんぞ出来るわけがないと思うのですよ、住友であれ何であれね。スペシャリズムを、専門主義ですか、それを男性でも女性でも生き方の最終目標にするような生き方というのはね、これはあなたの言い方を真似をすれば、言語道断、江戸時代なら打首獄門(笑)。

佐高 非常に皮肉っぽい言い方をすれば、コンサルタントが幅を利かせる社会というのは、不健康な社会ですよね。その人たちが要らない社会が一番よい社会であって、勝間和代が持て囃される社会というのは病んでる社会。その中で自分だけが進化してどうするんだい、という話だと思うのですけど。そういう根本的な疑問を抱かない人ですよね。

西部 アメリカで今も使われているのかなぁ。aspiration gap という言葉があったはずですよ。ハーバードとかMITとかで優秀な成績とって有名な会社に入って、aspiration 野望、渇望かな、社会に出て出世していくのだけれど、世間はそうは問屋が卸さないでしょう。順調に偉くならないで、途中でストップしてしまうの。 aspiration の想像と自分の現実にギャップが出来るわけね。このギャップに悩まされてノイローゼ患者がアメリカで大量発生されていると。70年代か80年代か忘れたけど aspiration gap という言葉があった。おそらくコンサルティングというのはさ、とりわけスペシャルな ad hoc な特定の問題に関するコンサルティングというのは、人々の gap に食い込む。悪く言うと exploit 搾取する。一見、開拓すようですけど、自己啓発、自己開拓と言いながら、人の能力を開発すると見せながら、人様から搾取する。そういう商売の人が多いんのではないかねぇ。

佐高 この勝間という人には、見事に社会がないんですよね。ある本の中で雨宮処凛と対談したのがあるのですが、勝間和代というのは慶應女子高から上がってきたらしんですが、自分の周囲には派遣切りにあった人とか、そもそも派遣で働いた人がいないと。だから、貧困とかがわからない、と正直に告白しているんですよね。まさにひとつの能力を磨くというのも実行実現というのも、社会との関わりの中でしか有り得ないですよね。

西部 明らかにそうであって、自己啓発セミナーというけど、自己とはなんであるか、社会との関わり、相対の中での自己であるでしょう。社会を抹殺してしまったら、自己自身も抹殺されているんですよね。抹殺された者の啓発などと言われたって、それは付いていけませんわ。でも、それは彼女一人じゃ人ですよね。この世はそのようなもので満ち満ちているんですよ。

佐高 だから、そういう人たちがね、勢いを得ていくというのは末世、末法。

西部 完全に文明の崩落ですよね。

佐高 そういう中に咲いたアダ花みたいなね。

西部 毒花(笑)。

佐高 これが林真理子と見事に仲良しというのがね、毒花同志というか。

西部 あなた本当に名誉棄損で訴えられるんじゃないかい、大丈夫かい(笑)。

佐高 社会と断絶というよりも、社会が視野に入っていないのだと思いますよ。

西部 そういうことだよね。そういうことで「断る力」と言われても、出版社がつけたタイトルだと思いますけどね。でも「力」とはなんぞやと考えたらね、どこから自分の力が出ると言えば、精神の力でしょう。でも精神だって社会との関わりを無くした精神なんて、本当にアダ花どころか、枯れた花ですからね。力という意味をこの人なり、出版社なり分かっていないんじゃないかな。

佐高 出版社も犯罪的ですよね。

西部 どこだろう。

佐高 文芸春秋だと思いますよ(笑)。なんで急に勝間和代が売れだしたのか、私なんかサッパリわからないんですが。

西部 話の腰を折るようだけれど、自己啓発セミナー、seminar の semi って種という意味なんだけど、ドイツ語でザーメンなんですよ。雄の精子。ふざけているのではなくて、セミナーというからには、キリスト教の神学校をセミナリオというけど、何か大前提があってその種を自分の教える者に植えて、時間が経てば芽が出て枝葉が伸びて実がなるというですよ、そういうのがセミナーですよ。その瞬間、瞬間で何かを蒔いたようだけどアッと言う間に蒸発したり枯れてしまう、そういうのはセミナーと言わない。だってこの本全部蒸発しますもの。

佐高 西部さん、私、学生時代に法学部に紛れ込んで、六法全書が開けなかった。この世の現体制を肯定しないと六法全書て開けないわけですよね。何らかの疑問をもっていて。その疑問というのが何にも無い人ですよね。この世に生きていることの疑問とか、勉強することの疑問とか、何にもない。

西部 本当そうですよ。ソクラテスの真似をしていえば、「汝、自らを知れ」と言いたくなるよね。断るのよいし、受け入れるのもよいけどさ、自分が何であるかとなったら、仰る通り社会が出てきて、自分も出てくる、歴史も出てくる、親も兄弟も恋人も全部出てくる。そういう自分が何であるかということを疑うなり考えるなりしなければ、そんなことを受け入れない人が断ったり受け入れたりしてもしょうがなんかんべと。

佐高 それとやっぱり、自分を断る力はないのかという感じがしますよね。

西部 だから昔の諺にあるでしょう、「馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」。僕が、「断る」と「受け入れる」どちらか採らなければ、お前を死刑にすると問われればね、歴史の重みを考えて、自分は不完全だ、不完全な人間は誰かと接触することによって人の意見には一先ず乗ってみて、判断するんであって、僕は断る力以上に受け入れる力をとる。僕の人生なんか受け入れさせられた人生ですよ。昭和10年生まれだけど、あの時代を受け入れさせられ、北海道を受け入れさせられ。

佐高 西部さん、この放送を文春の編集者が見ていたら「受け入れる力」って出してくれといいますよ(笑)。受け入れる力というのは appreciate (価値を正しく評価する)する力ですよね。断るというのは appreciate が何もないんですよね。とにかく断ればよいという考えなんで。借金断るんじゃねぇんだから。だからまさに、小泉流の自己責任に乗っかって出てきたベストセラーなんですよね。共感、共苦の精神から出てきた本では無くて、これが売れるというのは、ものすごく世知辛い世の中になっているということなんでしょうね。

西部 この方に、幾分迎合して言うとね、自分のこと思い出したんだけど、22か3の時だな、所謂、左翼過激派運動やめて1人になって、本当なんだけど1年ぐらい喰うや喰わずだった。誰とも付き合ってなかった。そうするとね、さすがに寂しくなって、あれだけみんな西部、西部と言ってくれた奴と、こっちから居なくなったのだけど、何の音沙汰もないなんて、これだけ寂しいのなら、いまA党派から電話来たらいますぐA党派に入りたいと。BでもZでもよいと、俺は何にでもなれるというね、つまり、自分とは何かと考えたら、ある状況下では受け入れる力どころか、人様からアプローチが何かあれば、孤独地獄から逃れられるというね、そういうことだってあるんですよね。僕は一瞬でしたけれど。あの時、電話来なくてよかったと思うよつくづく。

佐高 でも、西部さんなら電話来ても最中に喧嘩してるでしょう(笑)。西部さんね、そういう、ある種の冷たさの厳しい孤独の中に身を置いたことのない人のお目出度さ。

西部 あるいは身を置いていたのかもしれないけど、そういう環境と感じなかったのかもせれないね。

佐高 西部さん甘やかしたらいけませんよ(笑)。ゲーテの言葉にありますが「涙とともにパンを食べたことのない者とは人生を共に語るに値しない」、カツマーとは1分も話せない気がしますよね。

西部 この論点どうですか、一般論よ。女性たちで fame 名声ね。そうなっている女性たちってたくさんいるわけですよね。TV関係でも出版関係でも、男にも居るのでしょうけど、そういう女性たちがね、何となく言葉つき、身振りで示す、ある種の特権意識ね。私達は〜の〜です。という調子の。あれはねぇ、何か男よりも遥かに名声に弱いねぇ。

佐高 私は女性の味方だから乗りませんけど(笑)、逆にいうと勝間は公認会計士というパスポートを得ているわけですよ。その渡っていける勝間に対する憧れというのが、自分はこんなところで満足してるわけじゃない、という女性の渇きを動員しているというね。

西部 大量に売れているというのは、現代の、特に東京方面の女性たちがね、異様にトタン屋根の上で炙られているメス猫みたいに何か不満がたまっているということでしょうね。僕はセミナーにおける大問題の教育、ソクラテスの昔から「教育とは何ぞや」という。普通の教育論の大矛盾は、立派な教師でなければ立派な子どもは育てられない。じゃあ、立派な教師を誰が育てるんだというね。延々の謎があるわけね。したがって昔から教育論というのは知識人にとっての障害となっていて、教育論にだけは手を出すなと。自分自身が神に近い存在と自覚しなければ、他人にああすれ、こうすれと指摘できないというね。逆に言うとソクラテスがいっている産婆役ね。その人の持っている可能性をほっとくと胎児のまま息絶えるから、産婆役として外に出す、しかしそのポテンシャルはあらかじめ決まっているという。どちらが良いのか断定はできないけれど、あえてウエイトをつければ、セミナー開いてさ、こうすれば良くなるとか幸せになるとか、そんなことは言えたことじゃなくて、人それぞれ、持って生まれた制限とか宿命とか運命とかあって、その中で何か可能性を引きずり出すのにね、誘発することに若干の貢献を出来るかもしれないというのが教育者のギリギリの可能性であって、それ以上のことを人様に向かって啓発したり教育したりするのは、右であれ左であれ傲慢だと。

佐高 西部さんは東京大学の先生して、私は田舎の高校の先生して、恥ずかしい商売をしていた。究極の教育というのは教師がいらないということですよね。セミナーというのはセミナーを開かないというのが究極の教育。そいうことを全然考えないですよね。だからこの勝間という人ですぐに松下政経塾を想像するわけです。あそこは政治をセミナーで教えているようなものですよね、松下未熟塾って。あそこから出てきた奴らにロクなのがいないと。その最たるものが前原誠司で、あの偽メール事件を、あれぐらい見抜けないで、どうして勉強したんだと、恥ずかしいこと言えるのかと。田中康夫がオコチャマ大臣と批判していますが、酷いですよ。それをまた自覚していないという。女の勝間、男の前原みたいなね。

西部 僕は昔、教育論を書いたことがあって、教育って知育と徳育があるのだけど、知育が根元的に虚しいのは、知識そのものが間違っている場合があるし、その子どもにやる気がなければ、いくら教科書を与えようが、黒板に字を書こうが、身に付かないでしょ。やる気を道徳の価値観で力と言えばね、これは知識からは生まれないんだよね。やる気を育てるのが徳育なんだけど、やる気を教えるためには、教える先生の人格が素晴らしくなければならないわけさ。振り返ってみるに、俺の人格が素晴らしいと思ったことは1秒もありませんと(笑)。

佐高 西部さん、それは正当的な教師論。私は、基本的に教師とは反面教師だと思えば、まさに正当な教育でないことから学ぶ場合も有り得る。

西部 そうまさにそれが言いたかったの反面教師ね。そんなね、人格的に完全に近づいた教師なんていないだろう。そうすると自分はみんなにやる気を起こさせたいのだが、自分の人格というのが、かくも欠陥だらけという、自分自身の至らなさを、その人間の振る舞いの中でね、例えば「この先生は本当は教科書を教えたいのではなくてね、何かやる気を力を教えたいのに、どうもこの先生は表現できないというある種の悲しみとか苦しみとかもどかしさを感じている人だな」と子どもは感じるわけですよ。それは一番忘れがたいこと僕の場合。そういうこともわからずに、セミナーを開いてもらいたくない。

佐高 だから、勝間がこの対談をきちんと見ていたなら、即刻、執筆活動を止めなさい。世に害毒を流すのをやめなさいとなるんじゃないですかね。

西部 まぁ、間違ってない(笑)。
posted by 死ぬのはやつらだ at 00:15| Comment(2) | TrackBack(1) | この国のスバラシイ国民と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
死ぬのはやつらだは世に害毒しか流さない。即刻ブログ執筆活動を止めろ!!
Posted by 水戸っ子 at 2011年02月26日 23:15
>死ぬのはやつらだは世に害毒しか流さない。即刻ブログ執筆活動を止めろ!!

そういう意見は自由だし、悪口をいうのも勝手だろうけどねえ。

 こんな殆ど引用のエントリーでこれをいうと、害毒しか流さないという害毒のうちに、西部、佐高両氏の言論が入ると特にわざわざ特定しているのかなあ、と推測したりもします。
 勝間ファンなのかな。
Posted by kuroneko at 2011年02月27日 17:22
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