2006年04月26日

【教育基本法改悪】 国に対する忠誠心を愛国心とする自民湯小泉安倍に天誅を!

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【映画 西部戦線異状なし】

まったくもって、非国民な話である。

まともに、靖国を参拝しない小犬首相が「愛国心」を唱えるとは。

自衛隊で訓練を受けたことがない安倍が「愛国心」を唱えるとは。

自公、教育基本法改正案を了承 28日の閣議決定へ
2006年04月25日13時07分
 終盤国会の焦点のひとつになっている教育基本法改正案が25日午前の自民党の総務会で満場一致で了承され、党内手続きを終えた。公明党も同日午前の拡大文部科学部会で同改正案を了承、同日午後の政調全体会議で党内手続きを終えることになった。これを受けて、政府は28日に閣議決定し、国会に提出する方針を決めた。しかし小泉首相は会期内の成立を国会提出の前提とする考えを示す一方、会期の延長に否定的だ。今国会成立までの確かな道筋はなお見通せていない。

 改正案では、与党内で調整が難航した「愛国心」の表現は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とした。自民党が望んでいた「国」「愛する」という文言を書き込む一方で、「戦前の国家主義に戻るおそれがある」と懸念していた公明党に対しては「他国を尊重」などを盛り込み配慮した。

 また、自民党が削除を求めていた「日本国憲法の精神にのっとり」「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は残し、自民党が盛り込むよう求めていた「宗教的情操の涵養(かんよう)」は明記しなかった。これらについては自民党内になお不満がくすぶっている。(浅卑新聞)


愛国心とは、極端に言えば、「仲間を殺すな!」「仲間のために人を殺せ」(『よのなかのルール』宮台真司)という 、帝国主義時代の名残りでしかない。

いま、日本では反中嫌韓が童貞坊やの間で主流となっているが、具体的に日本が中国や韓国と戦争するなど、その逆も含めて妄想であることは、今回の「竹島近海調査問題」での日韓の幕引きをみれば、バカでもわかるはずだ。第2次大戦以前ならいざしらず、大戦後の世界は「やられたら、やりかえす」なんてことは出来なくなってしまった。今回の事で言えば、「日韓戦争」は、米帝や中共、そしてロシアが認めないのだ。

昔だったら、街を歩いていたのは、『同じ日本人』だったかもしれないが、俺の住んでいる関東地域はどこにいっても、工場ではたらく南米の人や中国人に遭遇する。彼らは、宗教も文化もすべてが違う。日本人=同じ価値観などというのは、国民国家の時代の話だ。

もともと、日本にはアイヌ、沖縄、朝鮮がいるが、仲間の範囲=国民全体とは言えなくなったのが現実だ。生活習慣や文化が違う者を仲間と思うのは難しいこと。無理に仲間と思うよりも、違った人間が、違ったままでお互いに助け合うという「共生」の作法(=自立と相互貢献)を教えるほうが大切。共同性よりも共生が重要なのだ。

日本国=『崇高なるもの・大いなるもの』との一体化で得られる自尊心こそが尊厳だとする「依存型尊厳観」を増長しようとする、今回の教育基本法案の改悪で喜ぶのは誰でしょうか? 

自分がどこに所属しているのか、ということにこだわる日本人。動機付ける宗教を持たなかった(ある意味、創価学会の信者はハッキリしているとも言える)ことに起因するこの考えは、最高の所属先=日本国という刷り込みでしかありません。

鈴木邦男先生は、愛国者は心の中に収めておけばよいと言っていますよ。
僕は80年間も愛国運動をしてきました。生まれる前からしてました。じゃないか。40年間、愛国運動をしてました。「君が代」は5千回歌いました。「日の丸」も5千回、掲揚しました。だから「愛国心の絶対量」は軽く、クリアーしました。
 そんな、超愛国者の私が言うのです。思うのです。愛国心は心の中に収めておけばいい、と。「俺は愛国者だ。文句あっか!」と言葉にしたら、嘘になる。偽者になる。だから私だって、偽者です。本当の愛国者ではありません。要はその人間が、何を叫んだかではありません。何をしたかです。
 だから、その人の行動を見て、(そうさな。死んでからでもいいや)。この人の一生は「愛国的だったな」「いや、ちがったな」と後世の人が評価したらよいんです。「俺は愛国者だ!」と言ってるから、その人が愛国者なのではありません。「愛国者だ!」と公言する人に、本当の愛国者はいません。40年間の私の経験からこれは言えます。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0704.html

俺に言わせれば、愛国心とは、国のために死ねるか?ということであります。

日本では具体的に、天皇陛下のために死ねるか?ということであります。

名画『西部戦線異状なし』の冒頭、若者を戦場に送り込もうとする教師は、こう愛国心を鼓舞します。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/all-quiet.html
我々は、全力を尽くして戦わなければならない。年末までに勝利を手中に入れるために、同じ事を繰り返し言うようだが、君たちはこの祖国の命だ。ドイツの鉄の男たちだ。動員され、敵を撃滅する偉大なるヒーローになる。
君たちが立ち上がり、祖国のために戦うことを願うのだ。
だが、君たちもそのように考えているのかね?
ある学校の生徒たちが立ち上がり軍隊に志願したらしい。
君たちもそうであれば、私も誇りに思うだろう。
ある人々は行くべきでない、と言うかもしれない。
若すぎるし、父と母の期待も背負っている。
だが、君たちの父は祖国を忘れ、滅びるに任せるというのか?
君たちが、国を代表として行くことに耐えられないほど弱いのか?
戦争の経験は意味のないことなのか?
軍服を着る名誉から逃げ出すのか?
若い女性が、軍服を着ることを誇りに思えないのか?
安っぽい憧れなど、ないことは知っている。教えた覚えもない。
自分たちを価値あるものにする探求だ。目先にこだわるな。
戦争で一番大事なのは美徳である。
軽蔑されるものではない。
短い戦争が予想される。多少犠牲者も出るだろう。だが、犠牲者がいるのなら、ラテンの格言を思い出そう。トロイヤ戦争で異国の地で戦ったローマ人も口にしただろう。

祖国に捧げる死は甘美である

野心を持つ者もいるだろう。私の知っている、将来の約束された作家は、悲劇の一つの詩句を書き上げた。そして、その夢を追うだろう。ゲーテとシラーの軌跡をたどり。

しかし、今は祖国が呼んでいる!
祖国がリーダーを必要としているのだ。
大義名分の下で、個人的な野心は捨てられるべきだ。
君たちの栄光は、今、始まるのだ。
名誉の地が呼んでいる。なぜここにいるのだ?

教師が絶叫すると、生徒たちは歓声をあげて、軍隊に志願を誓うのです。

憲法9条改悪を唱える反中嫌韓バカたちに言いたい。お前らは、戦場に決して行かない年寄りの命令で命を国に捧げることができるのか?と。

先日行われた、「憲法行脚の会」http://homepage2.nifty.com/kenpou/主催の講演。防衛庁防衛研究所長、教育訓練局長などを歴任された新潟の加茂市長である小池清彦氏が講演した。日刊ゲンダイのコラムで斎藤貴男氏が紹介している。
「自民党は昨年10月に発表した新憲法草案で9条の2項を削除して、全面的に書き換えようとしていますね。いいですか、もしも国の交戦権を放棄した2項がなかったとしたら、自衛隊は米国に、ベトナム戦争にも、湾岸戦争にもぜーんぶ派兵させられていたんです」
「サマワの自衛隊宿営地によく砲弾が撃ち込まれますが、いつも信管が抜かれていたりして爆発しないことになっているのは変じゃないですか。元防衛庁の私も怪しいと思う。すごく頑丈な建物らしいので、閉じこもれるときはいいけど、外に出なくちゃいけない時は大変です。でもね、2項があるから、その程度なんです。なくしたら最後、正面切った戦闘をしなくちゃならない」
「そんな自衛隊になんか誰も入ってくれなくなりますから、当然、徴兵が始まります。法案を作って強行採決すれば簡単です。自分自身や子供や孫が戦場に連れて行かれて、命を落としてもいいなら結構ですよ。憲法改正に賛成しても。でも、そんなのはイヤな人には、とんでもないことになります」

斎藤氏はコラムをこう締めくくっている。
戦争はマンガや映画じゃない。権力を世襲している小泉や安倍が国民に愛国心を強いる時、それは「オレたちの地位や儲けを守るために、おまえら殺してこい、死んでこい」ということだ。一般人は承知しておいた方がいい。


少なくとも、小泉や安倍のために死のうとは、死んでも思いませんが……
posted by 死ぬのはやつらだ at 20:30| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | この国のスバラシイ国民と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宮台にいわれるまでもなく帝国主義の遺物にすがったところで時代を生き残れるはずがない。冷静に考えれば「死ぬのは〜」さんのいうとおりなのだが、しかしこの若者の意識潮流をどうやって軌道修正していくか。ここが考えどころである。アメリカの操る欺瞞観念(民主主義と自由)と闘うには愛国ではもはや時代遅れであり、欺瞞観念を超えたコトバが次代を切り開く武器となることを知ることが必要だろう。そしてその為には、夜這いからなにから正しい歴史認識が必要不可欠であることはいうまでもない。
Posted by 山澤 at 2006年04月26日 23:44
愛国をスローガンに掲げる若者には(もし戦争になれば)是非とも最前線に行って国防の盾となってもらおうではないか。そうすれば政府の唱える愛国心というものが理解できるだろうから。
しかしニュルンベルグ裁判であのゲーリングが何と証言したか知らないのですかね、自称愛国者の皆様方は。
私の考えでは、自由と民主主義を尊び、戦争を絶対に認めない国にすることこそ真の愛国心というものではないだろうか。
Posted by 亜凡怠夢 at 2006年04月27日 19:32
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