2006年04月23日

中世日本 開放されていた女性の性

あの男根作家が仕切る東京都教育委員会。

そこで、『日本の伝統・文化理解教育推進会議』という茶番をやっている。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gijiroku/gi_dentoubunka.htm

それならば、16世紀後半に、日本に滞在したポルトガル人イエズス会司祭ルイス・フロイスが記していた、当時の西日本の女性の行動規範を子供たちに実践指導してやってほしい。
「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」

「ヨーロッパでは、罪悪については別としても、妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままに離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる」

「日本では、しばしば妻が夫を離別する」

「日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所に行く自由をもっている」

「日本では比丘尼(びくに)の僧院はほとんど淫売婦の町になっている」

以上、『フロイスの日本覚書』中公新書より

比丘尼→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%A7

どうだ、女性解放運動のらいてう女史の出現する遥か遠い昔に、中世の西日本は女性の力が強かったのだ!

尼寺が淫売婦の集まりとなっていたのは興味深い。東映映画の尼寺ポルノはウソでなかったことになる。
posted by 死ぬのはやつらだ at 16:40| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ひさしぶりのコメントです。いやああいかわらず元気ですねえ!リコピンブログとかブラックさんのとことか、いろいろ活用させてもらっています(笑)従軍慰安所のお話とかも感激モノですね。嫌韓ネタはいろいろ考えさせられます。ということで触発されて考えたのが「http://real.zoom-in.to/blogn/index.php?eid=33」です。それはさておき今回は日本婚姻論ネタですね。本当にちゃんと夜這いの世界とか追及している人が少ないのは困ったもんですな。赤松啓介がもう少し若ければ、女系論争も少しは違ったものになっていたのではないでしょうか?
Posted by 山澤 at 2006年04月25日 00:57
「三行半の研究」という本を読むと江戸時代でも結構女性は強かったようです。
一部の武家社会だけを取り上げて(表の歴史)それをすべてと思ってはいけないのです。

昭和30年代初頭までは夜這いなんかも地方では普通に行われていて。
今どきの若い者の性の乱れは・・・なんていうジジイ評論家のうそ臭さにはウンザリしますね。
Posted by 尼 at 2006年04月25日 08:58
『国家の品格』などという戯本が100万部も売れているそうですが、著者の顔自体が下品なのがいとおかし。武士道などと言われてもねぇ。

日本人は、ほとんどが百姓ですよ。
Posted by 死ぬのはやつらだ at 2006年04月26日 18:12
当事者の女性によれば夜這いは強姦も多かったそうですし、離婚が多かったのは夫の都合で簡単に妻を離縁出来る場合が多かった(かつ、女性は再婚せねば生活していけなかった)という面もありますので、一概に賛美することは出来ないかな、と思います。

売春も人身売買や経済的な事情が殆どでしょうし、高木侃の「三くだり半」研究は、江戸時代の離婚を女性にとって都合よく解釈しすぎという批判もあります。
後者は、従来10対0で男性が有利だとされていたが、実は8対2で男性が有利だった、という程度に過ぎないのではないでしょうか。

とはいえ、昔の日本人が性的に禁欲的だったとか、離婚が少なかったとかいうのは大嘘であることは確かだと思います。
Posted by 常連 at 2006年04月27日 21:27
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