お題は「梁石日『めぐりくる春』刊行記念
“フィクションで表現する「慰安婦」の真実”」
梁石日さんの『めぐりくる春』という小説は週刊金曜日に連載されていたので自分も読んでいたのだが、これでもか、これでもかと続く主人公への屈辱のリアルさは、団鬼六氏のSM小説よりも凄まじいもので、かなりシンドイ内容だ。
さて、ゲストには安倍晋三や故中川昭一にハメられた、VAWW-NETジャパンの西野瑠美子代表も来ていた。
慰安婦問題でネトウヨからイチャモンつけられていた団体だったので同情していたのだが、このイベントでコイツラの発言を聞く限り、安倍や中川と同等のバカどもだとの結論にいたることとなった。
司会の佐高信から「たぶん一番ハラハラドキドキされたと思うのですが、そのへんのことを」とふられた西野は小説『めぐりくる春』に対し次のようにコメントした。
今日は週刊金曜日の読者もたくさん来ているだろうし、今日のイベントをきっかけに読もうと思っている人もいると思うのですけれど、わりと女性の視点からすると読み進めるのに苦痛だというのがたぶん第一印象だったと思うのですね。私の友達と今日ここへ来るかどうかという話をしていたときに、男が女を書いた小説ということでもの凄く読めないというような抵抗感を持ったという話を聞いてました。私が小説を通して感じたのは、ヤンさんの小説というのはもの凄くドロドロしている、あるいは暴力がテーマであったりと差別とか蔑視とか、もの凄くそのようなことをテーマにしている小説が多いし、だからこそ目を背けたくなるようなというものが、これでもか、これでもかと出てくるわけです。(以下略)
この小説は男が読んでもつらい描写が多い。別にオンナでなくてもドギツイ描写が多いのだ。
男が女のことを描写していることにも抵抗があると西野代表は話しているが、女の小説家も世の中には大勢いるわけで、いちいち男は女性による男性描写は抵抗があると思うのだろうか???
慰安婦問題で共闘できる男を敵として見なすというのは、新たな敵を作って組織防衛をしようとする典型的な左翼セクト主義なのではないか?
西野代表の話を聞いていると、自分らに都合の悪い事は誤魔化したいと思っているようにも思えた。
例えば、慰安婦と兵士との間の恋愛もあったにもかかわらず、彼女は疑似恋愛として否定しまうのだ。
それと、実際に取材しているのは北朝鮮の慰安婦なので、ある程度その証言は北朝鮮政府のフィルターを通していることも考慮に入れることが必要だろう。
典型的なジェンダー至上主義のオバサン団体は要注意が必要な気がした。
彼女たちは、慰安婦に対しては同情的なんだろうが、たぶん彼女たちは風俗嬢に対しては理解はないどころか嫌悪感を抱いているのではないだろうか?
変な話、VAWW-NETジャパンの存在によって慰安婦問題は偏見をもって考えられてしまうのではないだろうか?
終いには、会場からの質問で、若い女性から、
「あなたたち、キモチワルイです」と糾弾されていたことも付け加えておこう。
そして唖然としたのは、一水会の鈴木さんが、
「どうして日本軍だけが、公に慰安婦をお膳立てしたのですか」と質問したところ、西野代表は「それは答える立場にありません」と突っぱねたのだ。
慰安婦問題の市民運動(糞運動)をやっているのなら、その団体として「なぜ日本だけが」という原因を考えなければ、慰安婦問題は未来永劫に続く問題となってしまうだろう。
その原因をまったく考えていないVAWW-NETジャパンって何だぁ?
氏ねばいいのにw
当時他に軍紀を保つ良い方法があったんですかね。
そして、それが強制だったかどうかだけれど、公娼制度の存在などを考えると全体として強制的だったとは思えませんけど。
右派の言う「自虐だ」とか「国益に反する」とかではなくて、そもそも最初から問題にはならないことだと思う。
そんなことする暇があるのなら貧困問題とかもっと切実な問題があるのではないかと思います。
まったく同意する。
派遣の人間にとって、韓国や中国などの問題は後回しで良い問題。
いま日本で明日の金に困っている人間がいることをジェンダーを声高に主張するババアは無視している。
市民運動をしている自分が素敵と思っている自己陶酔のアホ大杉だなw
女性を貶めているからという意識だけでこの問題を性の一方側からの支配と捉えると、問題を帰って隠蔽を強化するだけじゃないのか。
婦人運動が大政翼賛会に呑みこまれ、婦人も国家の大事に率先して協力いたしましょうと千人針や息子を戦地へと産めよ増やせよと呼びかけた国防婦人会の存在はどうなるのかな。
一億総ざんげでこうした過去をなかったものとしてしまう東京裁判に見られる旧体制時代の無理くりのソーカツを、慙愧に耐えないと怒りをぶちまけた野坂昭如は、あの時代僕らは騙され追い立てられ空襲に脅えひもじさに耐え勤労奉仕にかり出された哀れな国民だったのか?そうではない、僕らは少なくとも日本の勝利を信じて自らの意志でそれらに従事したのではなかったか?確かこんなようなことを言っていた。(間違えてたらすんません)
あったことをあったと認識すること、時代という流れに流されただけでなく主体的に関わったことをちゃんと総括せずに被害者だと一方的に言い募ることが果たして問題の本質を突いているといえるのか、はなはだ疑問ですね。
お話できて嬉しいです。
実際に運動してない者に批判する資格無し、と言われればそれまでですけど、ジェンダ-至上の運動に大した意義ありとは思えないんです。
無産者さんが指摘されたAV否定論などは、戦時中に某国の権力者が言った「英語は敵性語だから禁止だ!」というのと同じくらいの屁理屈にしか思えない。
そんな考え方が本当に女性という「性」の意義を尊重するものかどうかわかりませんね。
そういえば、以前週刊金曜日で「最高裁の痴漢無罪判決は本当に正しかったのか」というトンデモ記事が掲載されていましたね。有罪断定、厳罰推進、環境浄化等々、ジェンダーの問題になると、何でもありになってしまうのが運動圏の現状。
真っ当な批判が運動圏からなされないと、在特会のようなバカを勢いづかせる事になります。
性欲は対等な恋愛という過程を経て発散されるべき
という価値観で、それはある意味正しくても
あまりにも教条主義的ともいえます。
また、最近の若い男性には、風俗などを前時代的な
「ブラック」と見做してひどく毛嫌いする風潮もあります。
「左」的ジェンダー論とは正反対の「右」層でさえそう思ってるようです。
これから見えてくる構図もあるのですが、今は、そうらしい、という指摘に留めておきます。