
日本では、マンガ「嫌韓流」が、本を読まない無職の若者に売れているが、日帝により植民地と化した屈辱の歴史を引きずる韓国では「反日」本が昔から売れているだろうし、最近は中共でも、無職の若者や学生に「反日」本があれば売れるはずだ。
たぶん、この3国の国民は、お互いに自分の国が1番だと自負しているはずだ。
隣同士で、こんなに文化が違うのはなぜか?
韓国 徳成女子大学教授 イ・ウォンボク氏が著書『遠い国・近い国 日本』(日本でのタイトルは酷いセンスの『コリア驚いた! 韓国から見たニッポン』)で分析している。日本・韓国・中国、お互い隣同士なのに、文化が全然違う。なぜこんなに違うのか?
中国は大陸で、韓国は半島で、日本は島国だという地理的な違いがその根本にあるが、その原因は3国に共通する閉鎖性にあるのではないか。つまり世界への扉を閉ざし自民族だけで調和を保って暮らし、グローバル化に背を向け、壁を築いて交流しなかったためなんだろう。
中国の中華思想って何か? 中国の周辺に住む異民族は野蛮人にすぎず、中国が世界の中心で、中国だけが文化的。異民族は相手にしない……というのが中華思想だ。それで万里の長城を築き、異民族が侵入できないようにしたが、長城を築いた意味はまさにそこにある。
韓国も同じだ。自分を守るため権力者の意向に従う、と言う考え方“事大主義”がなぜ生まれたのか?
2000年近く、朝鮮民族は絶えず北方民族の侵略に苦しんできた。高句麗時代は堂々と戦ったが、結局、高句麗(BC1世紀頃〜668年)も新羅・唐連合に敗れ、高麗(918〜1392年)の抵抗も、モンゴルの馬蹄に踏み潰された。
中国は朝鮮のような少数民族が立ち向かうには、あまりにも巨大な存在だったので、朝鮮時代(1392〜1910年)には戦略を変えた。
中国を褒め称え、礼儀を尽くす代わりに、侵略を防いだ。これがいわゆる“事大主義”で、朝鮮王国の扉を閉ざすための政策だった。戦争もあったが、長い間平和で、閉鎖社会のため独自のスタイルを編み出せた。それが為に、朝鮮王朝は500年も存続できたのだ。(俺注:その“事大主義”が日本の植民地になる原因だったのかも知れないな)
日本もまったく同じだ。江戸幕府が成立してから日米和親条約が調印された1854年まで、日本は徹底的な鎖国政策をとったため、外部とはほとんど接触しないで、独自の文化を発展させた。
まあ、このように日本・韓国・中国の歴史はどれも閉鎖的で、どの国も長い間世界に目を向けようとは考えなかった。
ヨーロッパ大陸ではさまざまな民族が争い、暮らしやすい場所を求めて、民族大移動し、航海術の発達にともなって海外も侵略した。
全世界を侵略した海洋民族であるヨーロッパに比べ、中国は広大で肥沃な土地をもち(他国を侵略しなくてもよかった)、韓国は大陸に出ようとも、超大国中国にいつも邪魔された。日本は島国で、徳川幕府は海外を侵略する気もなかったため、閉鎖的な海内民族となった。
お互い自分たちの世界がすべてだと思っていたため、いまではこの3国、とくに日本と韓国は世界一違う隣国になってしまったのさ。
今回の場合は、やーい、バーカバーカ!
と指さして笑ってからよく見ると相手は鏡だったという話かと思ったけど違うか。
顔を向けている方向が違うだけで
立ってる場所は同じ者同士罵り合うとかよくある話ですけどね。
人事と思うようでは駄目ですな。