2009年12月12日

禁断の恋 美輪明宏と赤木圭一郎

トニーと呼ばれた、赤木圭一郎という日活のアクションスターがいた。そのバタ臭い風貌にファンは熱狂し、人気絶頂の時に事故で死んだ(1961年2月14日)。享年21歳。

日活撮影所食堂係の証言→…はじめは、妙にノロノロ走っていたのに…それが、本当にアッというまに、何十キロだかのスピードになって、赤木圭一郎は、コンクリート壁へモロに衝突したゴーカートから放り出されて…去年1年間に12本のシャシンにでたって、今さっき隅のテーブルで話していたのに…


美輪明宏はトニーの恋人だった。

1975年「話の特集」5月号、黒柳徹子が美輪明宏にインタビューしている。美輪さんがスピリチュアルに傾倒していった理由が、赤木圭一郎との悲しい別れにあるのかもしれない、と云うことがうかがえるはずだ。

黒柳 赤木さんとは、最初どこで会ったの?
美輪 『メケメケ』でデビューして、歌とか演技力じゃなくて、全くの風俗として捉えられて、「神武景気のあだ花」だと言われて、来る仕事もそれにちなんだようなのばかりだから、段々嫌気がさして、だから仕事も来なくなっちゃって…。デビューから3年後ぐらいの昭和35(1960)年ぐらいからおかしくなってた。
黒柳 その頃、どういう暮らしをしてたの?
美輪 父が莫大な借金をかかえて破産して、一家がバラバラになって、父と兄はサナトリウムに同時に入っちゃったし、弟2人を高校と大学に通わせなきゃいけないでしょ。
黒柳 財政的な面倒を全部見てたの?
美輪 そう、30年ぐらいからね。それに3度目の母にも仕送りをしなきゃいけないし、働き手は私1人だけ。悪いことは重なるもので、マネジャーにお金を持っていかれちゃうし、貯めたお金を株の投資に頼んでおいたら使い込みされちゃって、家賃も払えない状態でしたよ。
そんなある日、上野へ借金をしに行ったんだけど断られて、ガックリしている時に、あるバーに入ったら偶然にトニーが飲んでいたわけ。なんでもいいから何か優しいものを周りに求めていたんだろうね。トニーは私が最初に出た映画を憶えていてくれたし、思いやりがあって、とても優しくて…。それがトニーとの出会い。
黒柳 どのくらい続いたの?
美輪 4、5か月。
黒柳 そんなに早く。
美輪 お互いに引っ越しをして、連絡を取り合うと片方がいなかったりで、しばらく音信不通になってた時、ラジオで、トニーが死んじゃったって聞いて…。
黒柳 悲しかった?
美輪 悲しいのは通り越して、虚脱状態だった。しばらくの間は本当におかしくなった。ステージに立っている時に、あれ、自分はどこにいるんだろうなんて思ったりして、歌詞も分からなくなっちゃって…。でも、自分の役目は彼を供養することだと思って、お経を上げて、結局それが救いになったけど。
黒柳 彼を生き返らせられないとすれば、彼との間にできることは、供養しかないわね。
美輪 わずかな形見と。
黒柳 どんな形見?
美輪 ジャック・ナイフと、赤いシャツ。
黒柳 いくつだったの?
美輪 死んだ時、21歳。
黒柳 若かったのね。一緒に住んだの?
美輪 ううん、そんな状態じゃない。日活のそれこそ日の出の勢いのスターだし、どこへ行っても大変。会社側にしてもそういう風潮を嫌ってたからね。私は平気でも、トニーに迷惑をかけることはしたくないから、とにかく目立たないように、一緒に出掛けるにしてもサングラスで変装したり、全く『椿姫』でしたよ。
黒柳 どんな人だったの?
美輪 変わってたね。横浜の山下公園までドライブに行って、埠頭でひとりで車から降りて船の鎖の台に足を掛けたまま、じっと海を見ている。
黒柳 映画みたい。
美輪 まるでね。私は誘われないから、車から降りていいもんだか……。
黒柳 女ね。
美輪 いや、女だったら、当然降りるよ。降りて行って「ねぇ、何考えてるの?」とか聞くよ。
黒柳 そうね、「私より海の方がいいの?」って(笑)
美輪 きっと1人になりたいんだろうし、相手の心に踏み込んじゃいけないと思うから、私は煙草をふかして、ただ眺めてた。海はチカチカ光ってて、汽笛がポンポン、ポンポンって聞える。30分ぐらいして帰ってきて、「どうもありがとう。1人にしてくれてて、どうもありがとう」って。
黒柳 素敵ね。よく分かってた人なのね。
美輪 とてもやさしくてね、いつか茅ケ崎の海に行ったんだけど、途中でいろいろなことがあって、お互いに気を遣い合っちゃって、何だかとってもわだかまりが出来ちゃった時に、私が洋服を着たまま海に飛び込んじゃった。今考えると、馬鹿なことをしたと思うけど、トニーがあわてて追いかけてきて、まだ春で、とっても寒かった。
黒柳 それで助けてくれたの?
美輪 いろいろなことを言ってなぐさめてくれる。「君はね、あそこに生えている雑草と同じなんだから、雑草の強さを持たなきゃ駄目だよ。雑草は、踏まれても、踏まれても、次から次と生えてくるだろう」
黒柳 随分と大人っぽかったのね。
美輪 かと思うと、「ぼくは宇宙人だ」って言ってみたり、子供以外の何物でもないような無邪気さも持っていたね。最初に会った時にも「ぼくにはスペイン人の血が流れているんだ」なんてでたらめを言って(笑)
黒柳 短かったのがつらいわね。
美輪 付き合っていて、そのうちに惰性になって密度が薄れた時に死んだんじゃなくて、密度がいちばん凝縮している瞬間に死んじゃったから、トニーは永久に私の中に生きているんですよ。
トニーは30歳になったら、ブラジルに行くって言ってた。映画祭で行って、素敵なとこを見たんだって。一緒に行こうと言うから「むこうで何をすればいいの?」って聞いたら、「君が働くのは、ぼくは好きじゃない。家にいて本でも読んでて、ぼくが帰ってきたら、いろんな話をしてくれるさ」って。
黒柳 可愛いのね。私、泣いちゃうわ。
美輪 「話をしてくれるさ」って言うところが子供なんだね。生きていたら、きっと一緒にブラジルに行ってたよ。
ラベル:美輪明宏
posted by 死ぬのはやつらだ at 22:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 芸能河原乞食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
つらいはなしなんだけど、なんだか、ほんわかしちゃった・・・。
トニーと美輪さん、きっとあの頃、すてきなふたりだっただろうなあ・・・(涙)。
           
Posted by ちろ at 2009年12月13日 20:35
美輪さんの芝居は毎年見にいています。休刊直前の「月刊現代」で美輪さんのルポルタージュが連載されていて、「オーラの素顔」というタイトルで単行本化されていて、なかなか面白いですよ。
Posted by アナログ at 2009年12月15日 00:31
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