2009年11月24日

殺人マシン・トヨタ7 福澤幸雄に何が起きたのか?

DSCF1819.JPG

今年の3月に名古屋へ遊びに行ったさいに寄ったトヨタ博物館。
そこに誇らしげに展示されている「トヨタ7」。

福澤幸雄と川合稔、2人の若い命を奪ったレーシングカーである。

とくに福澤の事故に関しては、トヨタによる過失致死の疑いは晴れない。
その時、何がおこったのか?

1969年2月12日、ヤマハのテストコースでトヨタとヤマハの共同開発によって生み出された「トヨタ7」でテスト走行していた福沢幸雄は、謎の事故死を遂げた。
彼が運転する「トヨタ7」は直線の「高速テスト区間」を通過したあとに突然安定性を失い、直線でハーフスピンするという信じがたい挙動を起こし、路面に濃いタイヤのスリップ痕を残してコースを外れ、コース脇に設置されていた標識の支柱に激突炎上した。
死因はクラッシュによる脳挫傷と発表されたが、司法解剖で確認されたわけではなく、クルマが20分間燃えた末の焼死ではないかとの疑いも残されている。
なぜなら、トヨタ関係者が消火に駆けつけた地元消防団員が現場に向かうのを阻止し、一切の消火活動を封じてしまったのだ20分もの間、燃え盛る炎をトヨタ関係者は消そうともせずに放置していた。福沢幸雄がその炎に包まれているというのにだ
トヨタは警察の現場検証に対してさえも「企業秘密保持」との表向きの理由から、事故車両を早々と撤収し証拠隠蔽を図った。事故にまつわる証拠品はすべてトヨタが持ち去っており、現場検証するはずの静岡県警袋井警察署は写真撮影さえしなかった。さらにトヨタは証拠資料として事故車両とは全く違うタイプのレーシングカーの写真を提供したり、また事故原因については、「車両側ではなくドライバー福沢幸雄に非がある」と主張するなど、一方的で大変杜撰な対応であった。
そのためクルマに重大な欠陥があったのではないかなど、事故を巡ってトヨタに対する様々な疑惑が浮上している。

実は、福沢幸雄が事故死した「トヨタ7」にはトヨタ博物館の展示車に装着されている大型のリアスポイラーは装備されていなかった。

トヨタの関係者が次のように語っている。
「事故原因ですか? 河野さんがヤマハの飛行機屋の意見ばかり採り入れ、社内の若手技術者が主張する案を聞こうとしなかったからですよ。航空工学の専門家は空気抵抗を減らすことしか考えないものです。だけどクルマは高速になるにしたがって揚力が高まりグリップが効かなくなるから空気抵抗(風圧)で路面に抑えつけなければならないのです。ポルシェにウィングがあったのはそのためです。ところが河野さんはそれがわからなかったのです。その結果、テストに持ち込んだ新型トヨタ7は高速走行で浮き上がるグリップの効かないクルマになっていたんですよ。あのとき横から突風が吹いていたのではないかという説も出ましたが、そんなものは無用でした。微風を受けただけで吹き飛んでしまう構造だったのですから」(黒井尚志著「レーサーの死」双葉社より)


福澤と共にトヨタ7に乗っていた、鮒子田寛も次のように証言している。
「(トヨタ7は)エンジンよりも操縦性に問題を抱えていたと言うべきでしょう。今から言えば剛性が不足していてそこへもってきてかなりパワーがある5リッターエンジンを積んだものだから、操縦性が不安定になるという傾向があったんですね」(日本の名レース100選 `68 鈴鹿1000q より)


福沢幸雄が乗っていたのはクローズドボディだったと、当時トヨタのレーシングドライバーだった大坪善男は証言している。
「福澤が死んだときのマシンは正しくは6ではなく、7にパイプを組んでクローズド・ボディにした試作車だけど、モノコック自体は前年春にオレが富士の30度バンクでクラッシュさせたのを再生したもので、それがいまだにちょっと引っ掛かっている…」(日本の名レース100選 `68 日本Can-Am より)

福澤が乗っていたのは、トヨタが認めていない屋根つきのモノであり、しかも事故を起こしたものを修理したというのだから、強度は明らかに下がっているはずだ。

http://www.hinosamurai.org/Contents/from_letter/20050423/20050423.html
http://www.hinosamurai.org/Contents/from_letter/20050511/20050511.html
http://www.2000gt.net/JP6/JP6.php

トヨタによる卑劣な事故隠蔽工作により、事故を刑事事件として立件する道を絶たれた父の進太郎は、原因の究明と息子の幸雄の名誉回復のため、テスト車両を開発したトヨタとヤマハを相手取り訴訟を起こした。結果的には、昭和56年(1981年)にトヨタが遺族側に6,100万円を支払う形で和解が成立したが、事故原因の真相については、未だに謎に包まれたままである。

その後も「トヨタ7」は事故を起こし、福沢の事故から1年半が過ぎた1970年8月26日には鈴鹿サーキットで800馬力ターボのテスト中にクラッシュ。ドライバーの川合稔が即死している。自己原因はアクセルが戻らなかったことだったのだが、責任者の河野は記者団に対し「ドライバーのミス」を強調していたという。


福沢幸雄事件ののち、「トヨタ7」の責任者である河野二郎(トヨタ2000GTの責任者でもあった)は部長代理から部長に昇進してなおもレースにかかわり続け、川合稔の死後は皮肉なことに安全対策車の開発に着手することになる。その後、彼は渡米し1975年から定年までの10年間にわたってニューヨーク事務所所長を務めた。
悪い奴ほどよく眠る」とは、まさにこのことだろう。


将来が有望な若者を2人も殺した「殺人カー」と呼んでも良い欠陥車「トヨタ7」。
トヨタ博物館の展示車の前では、事故のことなど何も知らないであろう親子が無邪気に笑っていた。


ラベル:トヨタ
posted by 死ぬのはやつらだ at 21:54| Comment(9) | TrackBack(1) | 派遣と乞食・企業責任 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トヨタが止まらない暴走車両を作るのはさいきんのレクサスに始まった話ではないのですね。
レクサスの件も海外では色々取り上げられているようですが、国内のメディアは全然とりあげんませんねえ...
以前仕事でトヨタに出入りしてましたが...いろんな人がいました。
社内で怒号を飛ばす部長、出入り業者が業務で大失態を犯すと取引停止をちらつかせて改善策を丸投げる管理職(トヨタ側で技術的に対応しなければ改善しないにも関わらず...)、出入り業者にゴルフ接待を要求するマネージャ(愛車は松田)、出入り業者に女を要求する担当者、会社に内緒で取引業者に海外旅行招待を受ける担当者、ちょっと入退館手続きを間違えると激怒する警備員...基本的に出入り業者と下請けを食い物にするのが社風なんですかね...
Posted by 神戸のだぼ神 at 2009年11月24日 22:39
>基本的に出入り業者と下請けを食い物にする

その通りです。トヨタの技術は下請けの弛まぬ努力の賜物にすぎません。
先日、国営放送で放映された番組でも、下請けいじめによるプリウス開発現場の実態が垂れ流しされていました。
Posted by やつらだto 神戸のだぼ神 殿 at 2009年11月25日 06:34
 トヨタは基本的にパクリと二番煎じの会社ですよ。
 プリウスのエンジンの基本は実はマツダの「ミラーサイクル・エンジン」なのにパクリがバレルのがイヤで「アトキンソン・サイクル」と言い換えて専門家に後金損(あと・きん・そん)サイクルと揶揄されてます。
プリウスの売りはモーターが付いているだけ。
 基本的に独創的なものは何もなく、イメージと金儲けの為のケチケチ会社。
 DOHCエンジンやターボや4WDやサスペンシヨンやらの重要メカは全部パクリ。
 ベンツやBMW、VW、ポルシェとかで新車が出ると真っ先に買って分解してパクっていたのはその筋では有名な話。

 トヨタの独創的とか世界初はすべてどうでもいいものばかり。基本的に本質はガメツイ名古屋的、ケチケチ企業で、低コストや品質も下請けや派遣イジメ、現場労働者の酷使からの成果だと言う事は周知の事実。

 だいたい名古屋人は蓄財が大好き。名古屋駅前の一等地にビルをおったて重役室に豪華なカーペットを敷き詰めたときから、終わってますよ。
Posted by 第三身分 at 2009年11月25日 14:03
トヨタは大嫌い。所詮ぷ利うすも、電池寿命で高額な交換費用を要求されるような大損する似非エコグルマ。なにがいいんだか。

それに比べてマツダのデミオはガソリンで20kmも走って安いんですからまともなクルマですわ。
Posted by 葦原屋 at 2009年11月25日 23:52
エアロダイナミクスすら理解できない輩がレーシングカー開発のチーフエンジニアをやれたトヨタって・・・。
福沢幸雄氏の事故についても、車両の欠陥を頑として認めなかったというハナシで、数年前、ハイラックスサーフのステアリングロッドが金属疲労で走行中に折れた事故でも、トヨタは製造者責任をなかなか認めなかったという一件を想い出しました。
たまに実家のポルテとかいうクルマを運転すると、クルマとしてのデキの悪さに、危険すら覚えます。ママサンドライバーあたりが主な購買層だろうに、安全性軽視は今も変わらずといったところでしょうか。
Posted by bronks at 2009年11月26日 21:34
皆さんのコメント、私も全く同感です。

トヨタが販売の神様こと神谷正太郎が作り上げた地方紙・地方局を使った「洗脳」(全国紙・在京キー局を含む)によって「トヨタなら安心」、「ガソリンエンジンに電池・電動機を組み合わせたハイブリッドこそ次世代の本命」、「ハイブリッドが知的」という世論が出来上がりました。ついでに言えば、クリーンディーゼルを完全否定された(アメリカ合衆国ですら浸透し始めている)のもトヨタの「洗脳」が大きいでしょう。
財務省国税庁名古屋(その他)国税局から「揮発油税の税収を減らす真似をした」と嫌がらせを受けるのが怖い、というのもあるのかもしれません。

国費パトカーがトヨタ・クラウン(一般消費者向け)が独占していますが、これに切り込む人が皆無ですね。
豊田一族と同じ中京地区のエスタブリッシュメント、葛西敬之・JR東海会長が国家公安委員で、トヨタの張富士夫会長がJR東海の(社外)取締役。JR東海の大株主にはトヨタ。
状況証拠がそろいすぎ(w
ついでに、漆間巌(日本のヒムラー、ホーネッカーと私が名付けた)は愛知県警本部長の経歴があります。


余談ですが、北米でレクサスを成功させた大高英昭(奥田の後輩で当然、神谷正太郎の弟子)は06年にセクハラでトヨタを自主退職させられ、その後は南部靖之のパソナにお世話になっています。
Posted by ゴルゴ十三 at 2009年11月27日 05:53
トヨタ7の奥の方に展示されているゼッケン11の葡萄色の車は何かわかりますか?
Posted by pulin at 2009年11月28日 18:26
プリンスR380ですね。ゼッケン11のこの車は砂子義一の1966年日本GPの優勝車です。
この車のエンジンがスカイライン2000GT−Rのエンジンの母体になりましたね。

つか、これ本物ですか?
ポルシェ906と並んでたらもっとよかったのにw
Posted by 葦原屋 at 2009年11月29日 02:32
>プリンスR380

その通りです。
これは日産から貸し出してもらった実車です。
トヨタ博物館の凄いところは、他メーカーの貴重なクルマがゴロゴロ展示されていること。しかも動態保存なのです。
クルマ好きなら一度は見物することをお勧めします。
Posted by やつらだ at 2009年11月29日 09:26
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