2009年10月03日

昭和性風俗史 昭和4年(1929)

1.5ソ連、トロツキーが亡命する。

1.5ユーゴでアレクサンドル王の独裁政権が樹立する。

1.6セルビア・クロアチア・スロベニア王国で、国王独裁が開始される。

1.25衆議院予算委員会で、田中義一首相が張作霖爆殺事件に関して追及を受ける。

1.31レマルクの小説「西部戦線異常なし」が刊行される。

2.9東欧諸国間の不可侵条約のリトビノフ議定書が調印される。

2.11ムッソリーニがバチカン市国を承認する(ラテラン条約)。

2.14シカゴでギャング7人が惨殺される事件が起こる(聖バレンタインの虐殺事件)。

2.233年近くに渡って東京市民を震え上がらせた説教強盗がついに捕まる。犯人は左官職人の妻木松吉。

3.1メキシコで、国民革命党が結成される。

3.4アメリカ合衆国第31代大統領にフーヴァーが就任する。

4.8ソ連で、宗教団体についての決定がなされる。

4.14第1回モナコ・グランプリ開催。

4.15日本初のターミナル・デパート、阪急百貨店が開店する。

4.16共産党員が全国で大量に検挙される(4.16事件)。

4.20中国国民政府が、治外法権の撤廃を各国に要求する。

4.28明治大学の法科と商科に女子部が新設され、開校式が行われる。160人が入学する。

5.1映画の主題歌「東京行進曲」が発売される。

5.9米国製のトーキー映画「進軍」「南海の唄」が初公開される。

5.16アメリカ映画最大のフェスティバル、アカデミー賞の第1回の授与式が行われる。ドイツの俳優エミール・ヤニングスが最優秀男優賞、ジャネット・ゲイナーが最優秀女優賞、作品賞に「つばさ」が選ばれる。

5.27張学良軍が、ハルピンその他のソ連領事館およびロシア系北満鉄道各機関が共産主義の宣伝を行っているとして包囲・捜索する。

5.30イギリスの労働党が初めて第1党となる。

6.3日本政府が中国国民政府を正式に承認する。

6.5イギリスで第2次マクドナルド労働党内閣が成立する。イギリス初の女性大臣としてマーガレット・ボンドフィールド(56)が労働相となる。

7.2田中内閣が張作霖爆殺事件の処理に失敗して総辞職し、浜口雄幸内閣が成立する。

7.9浜口雄幸内閣が10大政綱を発表する。軍縮促進、金の解禁断行など。

7.10中国で、張学良がソ連から中東鉄道を強行回収する。

8.4パレスチナ、ユダヤ機関が成立する。

8.19ドイツの飛行船ツェッペリン号が霞ケ浦に着陸する。

8.23嘆きの壁事件。エルサレムで、アラブ人とユダヤ人が衝突し、流血事件となる。

8.29ツェッペリン号が22日間世界一周に成功する。

9.15東京−下関間の特急列車の愛称が一般から募集され、「富士」「桜」と命名される。列車の愛称の起源。

9.27ヘミングウェイの「武器よさらば」が出版される。

9.28ネルーが、インド会議派全国委員会で、次期会議派大会の議長に選出される。

9.30昭和天皇の第3皇女、孝宮和子(鷹司和子)誕生。

10.1小西本店が、本格的な国産写真フィルム「さくらフィルム」を発売する。

10.3セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国が、ユーゴスラビア王国と改称する。

10.20日比谷公会堂が開場する。

10.21大蔵省が、金解禁の省令を公布する。

10.21白熱電灯発明50周年祝賀会がフォード博物館の完成祝賀会と一緒に行われるが、エジソンはその席でたおれる。

10.24ニューヨーク市場が大暴落し、世界恐慌が始る(暗黒の木曜日)。

10.31イギリスがインドに対し、円卓会議を提案する。

11.1我が国初のオールトーキー映画「大尉の娘」が封切りとなる。

11.1初めての天覧早慶戦(慶應義塾大学と早稲田大学の野球試合)が行われる。

11.8ニューヨーク近代美術館が開館する。

11.13スイスで、国際決済銀行が設立される。

11.29アメリカ人リチャード・バード海軍少佐(41)らが、南極上空の飛行に成功する。

11.29帰任中の佐分利貞夫駐華大使が、箱根富士屋ホテルで謎のピストル死を遂げる。作家の松本清張は中国での戦争拡大を望む軍部による暗殺とみている。

12.15大恐慌による生糸相場の崩落で、全国の製糸業者が2週間の一斉休業をする。

12.16東京駅八重洲口が開く。

12.20イギリスとソ連が国交を回復する。

12.21ソ連、スターリンの50回目の誕生日が盛大に祝われる。

12.22ハバロフスク休戦協定が成立し、張学良の屈伏で北満鉄道が再びソ連の支配下になる。

12.24インドネシアで、スカルノら労働党幹部が逮捕される。デビ夫人はスカルノの妾(第2婦人)だったことは有名な話。

12.29インド国民会議派大会が、完全独立と不服従を決議する。

警視庁がカフェの客用浴室を禁止、中国奥地で大量の日本人女性が奴隷扱い、欧米では裸体運動が盛ん、国際会議も開催…
激動の時代に、日本もエロが真っ盛りだぁw


1.19 東京・小石川で新渡戸稲造博士宅、浜口雄幸元首相宅、詩人の堀口大学氏宅などに盗みに入った男(30)が逮捕される。男は自分の風貌を醜悪と思い込み、盗んだ金で女性用品を購入、女装したり、その写真を撮影していた

1. 岡山県奥津村で35歳年下の男性と恋に落ちて10年前から同棲したものの、男に捨てられることを恐れ、胃薬に毒薬のストリキニーネを混ぜて飲ませ殺害しようとした女(66)が逮捕される。男は重体。

2.14 フランス映画「モン・パリ」が公開される。パリのレビューの大胆な裸体描写が話題に。

2.17 伊豆三宅島で、農家の妻(27)が2年前に生まれて間もない女児を殺害し共同墓地に埋葬していたことが判明。警察で実地検証のため墓地を発掘したところ、幼児の白骨死体50人分が掘り出される。この村では3人以上の子どもはその母親の手で殺すという習慣があり、数十年間嬰児殺しが行われていたもの
※おそろしい習慣のあった三宅村HP
http://www.miyakemura.com/

2.22 東京・牛込の路上で55歳と50歳の女性が棒切れで乱闘、双方とも2週間のけが。55歳の女性は1913年、当時26歳の中大生と関係、学費を出して卒業させ弁護士試験にまで合格させたが、最近、50女に乗り換えたため怒って乱闘になったもの。ただし、警察の調べで、弁護士になった男性はすでに有力者の令嬢と婚約していたことが判明

2.25 作家の谷崎潤一郎が詩人で親友の佐藤春夫にあてた書簡で、「千代子(夫人)が大坪砂男(推理作家)と親しい関係にあり、3月中に妻と離婚して大坪に譲る」と報告。この話はご破算になり、1930年、千代子夫人は佐藤と結婚。

3.4 大阪・北区の婦人ホームで、病弱のため自由廃業を求めて同ホームに保護されていた元娼妓(22)が4人の男に拉致される。女性は1923年5月、相次ぐ家族の不幸のため1600(現在の価値で約480万)円で身売り。娼妓稼業をしていたが病気で稼業に耐えられないものとして同ホームに救いを求めてきたもの。男たちは女性がホームの女性職員と入浴中を裸のまま自動車で連れ去った
東映やくざ映画の1シーンのような惨いことが行われていたんですよ、戦前の日本は!

3.5 旧労働農民党の代議士山本宣治が東京・神田表神保町の旅館光栄館で七生義団団員黒田保久二に暗殺される。4月30日犯人が保釈出所し、問題化。

3.11 東京・入新井町の路上で少年(15)が1人で遊んでいた女の子(6)を連れ去り足を荒縄で縛って神社に放置、以来4月22日に逮捕されるまで、5、6回の犯行を繰り返していた。この頃、小さい子を追いかけて縛り上げる「猫と鼠」という鬼ごっこが流行っていたが、やっているうちに幼女を縛り上げることに快感を覚えるようになったもの。

3.14 岐阜県今渡町(現在の可児市)の田口つる子(19)、長谷川ふみ恵(19)、長谷川きみ恵(21)の3人が「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」という歌を血で書き分けて心中。遺書によると、小学校を卒業後、きみ恵を中心に同性愛の関係になり、「結婚しない」と血判して誓い合ったが、つる子が2月に婿養子を迎え、ふみ恵、きみ恵にも縁談が起こったため、同性愛の破綻を悲しんだもの。
3つどもえのレズビアン。さぞ嫉妬で大変だったろうなぁw

3.20 アサヒグラフが「現代の女性美」と称する美人コンテストを開催。これをきっかけに美人コンクールが流行。

3.30 東郷青児画伯(33)が愛人である海軍少将西崎勝之氏の長女盈子(えいこ)と、大井町の自宅寝室でガスを室内に充満させた後、手首を切り心中を図る。外出先から帰宅した女中に発見され両人とも一命を取り止める。

4.24 熊本県で興行取締規則が制定され、客席が男子席、婦人席、家族席に区分される。

4. 名古屋で全国初のエロ・カフェ取り締まりが行われる。

4. 横浜・桜木町にセックス・ストア「あか船薬舗」(加茂寛龍経営)が開店。日本でセックス・ストアを名乗った最初。

4. この頃。東京の珍書屋(エロ本出版社)は約30社で戦前のピーク。

5.10 救世軍が娼妓の証言から、警察は楼主に加担し娼妓の自廃を妨害しているとして、警視庁に善処を要請。

5.12 警視庁・保安部、喫茶店等での色電灯を禁止し白色とさせ、カギのかかる特別室も禁止
個室があれば情交するのは当たり前ですなw

5. 東京で、弟が女装して客を引き、姉が売春していた姉弟が密淫売で捕まる
よっぽど姉がブスで弟が美男子だったのでしょうねぇ。

5. 東京・銀座の夜店に「春のポーズ」と題する裸女を描いたマンガや女湯の風景を染め抜いた手拭が登場。人気を集める。美校(現・東京芸大)系のマンガ家によって結成された日本漫画普及会が売り出したもの。

6.15 流行歌「東京行進曲」が6月、ビクターから発売され25万枚の大ヒットとなったが、「浅草で逢い引きして、小田急で駆け落ちするような文句は困る」と放送禁止を命じられる。「小田急(おだきゅ)る」という言葉が当時流行ったようだ。
この歌詞には小田急の重役が怒り、レコード会社に怒鳴りこんだという。当時小田急はまだ通称で、「小田原急行鉄道」が正式名称だったため、社名を略称されたばかりか「駆け落ち電車」とは何事だ、ということである。戦後の1948年に社名が正式に小田急電鉄に改称されると、「会社の宣伝になった」ということで、作詞した西條八十は小田急電鉄から「永久全線無料パス」を支給された。

6.25 福島県の片倉製糸工場、幼年女子労働者200人の酷使で平署が取り調べ。12時間労働で逃亡者が続出。この企業、片倉工業としていまも健在であるが、社史にはこの事件は掲載されていないw

6.27 中国行商人の甘言に惑わされて誘拐され、監禁された上、牛馬のように酷使されていた邦人婦女子が中国・福建省で大勢発見され、その中の9人が大阪商船長沙丸で帰国。
こういう中国人こそチャンコロと蔑視すべきですなぁw

7.9 大分市で、結婚した翌々日に新妻を料理店に600円(現在の価値で180万円)で売った男(27)がいた。

7.10 東京・浅草でエノケンを中心とするレビュー「カジノ・フォーリー」が旗揚げ。年末頃、「金曜日になると踊り子がズロースを落とす」という噂が広まり、人気が急上昇。

7.16岡谷・山ニ笠原組製糸工場の女工2人が心中。「自殺の声明書」と題し工場生活の悲惨さなどを綴った遺書を残していた。
この悪徳企業は笠原グループとしていまも存続している。

8.8 東京・在住朝鮮人の妻が、「朝鮮人と夫婦になるのは国を滅ぼす」として暴行を加えた2警官を告訴。
元祖在特会、ここにありですな。しかも警察だw

8.30 性学の大家で、性的神経衰弱の治療薬「キング・オブ・キングス」の創始者として知られる羽太鋭治医学博士(53)が、神経衰弱のため、東京市外立会川の自宅で睡眠薬を飲んで自殺。

8. 東京のカフェの女給1万3849人の年齢は14歳未満93人、16歳未満732人、18歳未満2634人、20歳未満3215人など。うち無給(収入は客のチップのみ)が9261人。
昔はロリオタにとって天国だったんだなぁw 無給じゃぁチップ欲しさに濃厚なサービスやるしかなかったべ。

9.2 東京府美術館でニ科会美術展覧会が開催され、東郷青児が出品した2作のうち「散歩」は警視庁の検閲により撤去させられる。
半年前に愛人と心中しようとした男ですよ。

9.7 警視庁がカフェやバーなどの取り締まり要綱を制定。カフェに客用の浴室を設けることを禁止。客と女給の同伴外出を禁止するなど。 以降、銀座のカフェに「学生服・学生帽の方はお断り」の看板が出る。

9.25 小林多喜二の蟹工船が発禁。

9.29 元総理の田中義一が東京・麹町の別邸(愛妾の家)で死亡、66歳。政界では腹上死(当時は馬上死といわれた)という噂がもっぱら。

10.1 外務省通商局の調べで、海外在留の芸妓、娼妓、酌婦(からゆきさん)の数は、満州1954人、中国本土1789人、南アジア581人、その他(北米、ブラジルなど)424人、計4748人。

10.5 大阪の夫婦の数は6974組、そのうち内縁関係が1391組。

10.22 東京府が多産に苦しむ細民のために多産制限を指導。11月5日、警視庁が「細民」救済の産児制限計画は堕胎教唆の疑いありと東京市に警告。6日、内務省も反対表明。
貧乏人は金もなくヒマなので、やることはオマンコばかり=子だくさん=貧乏の悪循環を断つには避妊が一番なですが、政府は兵隊不足を恐れたのと貧乏人による革命も恐れたのでしょうなぁ。

10.30 朝鮮・光州で列車通学の日本人男子生徒が朝鮮人の女子生徒を差別、これがきっかけで、約6万人の学生・生徒が参加した抗日学生運動が起こる。

10. 大阪・道頓堀の連れ込み旅館「大正館」が牛乳風呂を始め大人気。牛乳と水を半分ずつ割ったものだが、牛乳代だけで月3000円(現在の価値で900万円)以上。この頃、香水風呂、レモン風呂など、変わり種の風呂が大流行。
この流れは、いまではスーパー銭湯で続いておりますなぁ。

10. 内務省警保局が、劇場などでの赤裸々な脚線美に警告。

11.10 東京・板橋の夫婦が、この日生まれた女児に「女○」と名づけて本拠地の小石川区役所に届け出たところ、司法省や文部省まで巻き込んで検討した結果、「○」は国字ではないとして受付を拒絶される。
昔も今もドキュソな名前を付ける親は後を絶ちませんなw

11.12 東京・浅草の料亭「分喜久よし」からロシア人芸妓・竹子(25)がお披露目。元モスクワ劇場のダンサーだったが、ロシア革命で日本に渡ってきたもの。豊満な肉体をさらしたアラビアン・ダンスで人気。
友人で東欧風俗嬢にハマり続けている者がおりますが、元祖なんでしょうかねぇ。

11. 東京市社会局が、流行歌は不健全で教育上好ましくないとして、小学生が歌うことを禁止。
それでもガキどもは歌ったんでしょうがねw

12.13 婦人にも就職難時代で、「やむなく私娼に身を落とす傾向が著しくなる」と新聞が報じる。
まだ、女はイイサねぇ。カラダを売る市場は五萬とある。男の場合は尻を貸すしかねぇからなぁw

12.20 1920年7月に結婚した夫が1923年9月の関東大震災の直後から妾を囲い、自分に暴行を加えるとして離婚を求めた裁判で、東京地裁が離婚を認め、慰謝料として1万円(現在の価値で3000万円)支払うよう夫に命じる。夫は妾を囲ったのは妻に子どもができないせいで、「嫁して3年子なきは去る」というのは日本における「
婦女七去」の教えの一つと主張したが、裁判所はその習慣は旧時代の話として伝えられているに過ぎないと一蹴。

12. この頃、若い男性の間にラジオの拡声器から愛人の名前が流れているような図柄の刺青を入れることが流行



この年
※東京帝大学生健康診断で扱った学生の花柳病患者は1300人余。京都帝大1974人。九州帝大1020人。
性病争いでは京大が日本一。昔も今も京大はバンカラな校風だったんだねぇ。

※東京へ売られてきた娘は全部で6130人。内訳は芸者3930人、酌婦1243人、娼婦957人。

※東京・本郷のタバコ屋の店主で、自分の関係した芸妓の陰毛を集めて座布団を作ろうと思い立ち、白山待合を泊まり歩いていた浦島金加乱が肺結核のため死亡。37歳。「自分がどれくらいバカか試す」というのが収集の動機で、悲願半ばだった。 

※大阪のカフェで胸の開いた洋服を着て、薄暗いボックス席でエロ・サービスをすることが定着。
元祖おっぱいパブですなぁ。

女学生の間に映画を見て、男性自身をズボンのどちらに入れているかをあてる競争が流行。コールマンは左、ナバロは右、ウィリアム・ヘインズは左、やつらだも左。

※東京の上流夫人や令嬢をおどしブルーフィルムに出演させた京都の映写技師がつかまる。

※ヌードモデルの料金が、それまでの1時間1円50銭が3円(いまの価値で9000円)に倍増。下半身になにかをまとう場合2円。新職業としてマネキン嬢が登場したのが値上がりの原因。



この頃
※性的関係のために利用される旅館が同伴ホテルと呼ばれる。素人の男女も利用。

※長崎県佐世保で、28歳の女性が巻紙一帖の遺言を体にグルグル巻きにして服毒自殺。遺言には「年増女の恋は蛇のようだ」とあった。
28歳で年増というのなら、30過ぎたらババァということか。時代の変遷とはあなおそろしや。

※秋田県長野町の富商の息子で仙台高等学校の学生(20)と、見習い小僧(17)が同性愛から田沢湖に投身。小僧は水死、学生はうわごとに小僧の名を呼びつつ病院で死亡。

※軍人の間で強壮剤として生きた九龍虫を飲むことが流行。張作霖爆破事件(1928年6月4日)後、関東軍が彼の妾の家(張作霖は妾が5人と云われていた)を調べたところ九龍虫が大量に飼育されていたという話が広まり、これがブームのきっかけになったと云われる。
張作霖爆破事件の裏話がエロとはまったくもって…。
posted by 死ぬのはやつらだ at 19:04| Comment(5) | TrackBack(0) | 大日本帝国と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この目からウロコシリーズ待っておりました。
今回も全開に劣らず濃ゆい下半身事情全開の日本帝國臣民の不道徳極まりないエログロ、猟奇殺人の記述に胸踊らせてますw
すげえなあw今とおんなじだあ!!
Posted by 無産者 at 2009年10月03日 20:55
今も昔もエロ真っ盛りww
死んだ爺さんが明治43年生まれだから、20歳そこそこか・・・
チンコビンビンだったのかと思うと、
感慨もひとしおですなあw
Posted by キリヤマ隊長 at 2009年10月04日 01:25
>コールマンは左、ナバロは右、ウィリアム・ヘインズは左、やつらだも左。
やきとりも左。
Posted by やきとり at 2009年10月04日 13:10
テロリストはエロリストに通じる。
 命がけのテロルは生存本能、生殖本能を呼び起こす。
 エロチズムの官能的陶酔と絶頂感は、テロルの恐怖感、緊張感と同じだ・・・・
 よって、エロテロリストはエロリストとなるのだ。
 ・・・・・・意味不明の自己中
Posted by トロツキー at 2009年10月05日 10:18
こんなサイトを待ってました
すごい情報量
Posted by スーパー銭湯マニア at 2009年10月12日 14:38
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