2.20 普通選挙制による初の衆議院議員選挙
3.15 3.15事件 共産党員の大量検挙が始まる
4.20 第2次山東出兵を決定
5.3 済南事件 日本軍と蒋介石率いる国民党軍の間で戦闘が開始
5.7 第3次山東出兵を決定
6.4 張作霖爆殺事件 奉天に引き揚げ途中の張作霖を乗せた特別列車が関東軍参謀・河本大作大佐らによって爆破
6.29 治安維持法改正公布
11.10 昭和天皇即位大礼式(京都御所紫宸殿)迪宮裕仁(つぐのみやひろひと)親王(27)、第124代天皇に
12.20 日本大衆党結成
さてさて、治安維持法が改悪され、治安を乱すと権力が恐れたエロも取り締まりが強化。
中国での戦火が続く中、大阪では若い女性にイレズミが大流行、全国で売春関連で働く女性が23万人、乱れに乱れ切った大日本帝国の秘め事やいかに、とくとご覧あれ。
1.3 東京・北品川の海岸埋め立て地で、23歳の女性2人が丙午生まれを苦にして投身自殺。
1.19 逓信省が政治・選挙のニュース及び卑猥な里謡について厳重に検閲するよう各逓信局に通達。
1.21 名古屋で養育費として100〜200円をもらった子ども12人を、栄養失調で死なせていた事件が発覚。
1.21 東京・本郷でカフェの女給(25)に貢ぐため26件(2500円・現在の貨幣価値で約750万円)の盗みを働いていた男(25)が検挙される。女給は画家の内妻で夫が春画を密売していた罪で検挙され、その罰金を払うため男に体を売った。事情を知った男が同情して盗んだ金を貢いでいたもの。
1.…東京銀座のカフェ女給の各店舗のお出銭(おであし)は、クロネコ80銭、ゴンドラ60銭、バッカス50銭、オリエント30銭、タイガー25銭。当初月給制だったカフェは大正末ごろから完全チップ制に移行、客のチップあるなしにかかわらず、東京銀座のカフェ女給の経営者が女給から毎日徴収する金が「お出銭」で、エロ・サービス激化の原因となる。1929年、警視庁が禁止したが、「飯代」と名をかえて存続した。
1.…禁酒法が実施されているアメリカから観光旅行に来た若い女性の酔っぱらいが問題化。
2.11 酌婦3人が、娼婦自廃に尽力する選挙事務長岩内善作をたよって東京・日暮里の選挙事務所へ逃げ込む。
2.15 少女の髪や婦人の顔を切る犯罪が多発しているため、警視庁が初めて変態性欲者のブラックリストを作成。
2.…この頃、大連へ身売りしてくる芸者の前借金は1000〜1200円(現在の貨幣価値で約300万〜360万円)。内地では500〜700円(現在の貨幣価値で150万〜210万円)。
2.…東京・四谷付近の女学校の周辺で「カルタ会」と称して女子生徒を誘惑する不良少年団が横行。いくつかの女学校で、父兄が送り迎えのグループ結成。
2.…3年前に結婚した夫(27)から「あるべきところにあるものがない」という理由で離婚された妻(24)が「ちゃんとある」という医者の診断書を添えて、長野地裁へ慰謝料請求の訴えを起こす。ただし裁判所では「判定なし」の裁定。
3.2 東京憲兵隊、柳家金語楼の兵隊落語を軍事上有害として、レコードの発売遠慮を本人に通達。
3.6 H・G・ウェルズの『世界文化史大系』の訳者で、新進学者として注目されている北川三郎(東京高校教授)が富士山麓で、カフェ女給の小林米子(22)と情死。
「ウェルズの予言が実現する日を幻視します。人類万歳!」という遺書が残されていた。
http://www.tamagoya.ne.jp/showa/archives/2007/01/post_48.php
3.13 東海道線三島〜裾野間で駿東郡の男女(ともに23)が鉄道心中。女性が丙午のため男の両親から結婚を拒絶されたことを悲観したもの。
3.22 名古屋東区で、70代の老人のお客を中心に密淫売していた女性3人(42、27、26)が新栄署に逮捕される。1回2円と、相場の半値で商売していた。
3.…「ママさん」ということばが初めて主婦之友のグラフ記事に登場。
3.…熊本県人吉署が芸妓の検梅(梅毒検査)は同町の愛甲病院で実施してきたが、情実による弊害が大きいとして同病院のほか3か所で順番に受けるよう命令。これに対して芸妓側は芸者も人間だから恥ずかしいところを3人、4人もの医者に見せることはできないと拒否。
3.…思想犯の大検挙が実施される。検挙された1人にズロースをはいた女性がいた。彼女は警察から「女のくせにズロースをはきやがって…」といわれ、拷問を受けた。福岡では拷問のため陰毛を一本残らず抜き取られた女性もいた。
3.…神奈川県大磯駅近くで、男1人と女2人が、電気機関車のパンタグラフに針金を結びつけて心中。女が左右から男に抱きつき、絹の帯で3人の胴体を結びつけ、3人おそろいの猿股をはいていた。男は店員(29)、女は内縁の妻(22)と隣家の妻(26)。
3.…「犯罪学雑誌」第3巻3号に、もらった子に芸を仕込むうちにサド趣味の犠牲にした三味線師匠(34)が報告される。師匠は4歳の女子を170円でもらい、芸者に売るつもりで三味線を教えた。子どもが間違えると針や火箸で折檻したが、それが病みつきになったもので、保護された女子には陰部周辺に27か所、背中に30か所の傷が残っていた。
4.4 東京・浅草公園で、女装して男の袖を引いていた男(22)が逮捕される。錺(かざり)職人で、モガの装いに憧れて自分もモガを演じたくなったと自供。
5.7 新潟県木崎村で1926年9月から村内の女性5人に夜這いした男(22)に、罰金20円の判決が出る。
5.8 京都河原町蛸楽師にバー「京都サンボア」オープン。1980年代には京都市内で最古のバーとなる。
5.10 肌のあらわな薄物をまとった女性をチェックするため、警視庁が『薄物取締令』を発布。
5.15 雑誌「奇書」創刊。「女人秘事」と題する女性のオナニーの記録(医者の報告を集めたもの)がひっかかって発禁。
5.16 名古屋・堀川筋で、女装の男娼(33)が逮捕される。男は新派の女形役者から男娼になったもので、美人の上1回50銭と安いことで評判になっていた。
5.20 東京・滝野川署に赤い腰巻ばかり53枚を失敬していた13歳の小僧が補導される。小僧は使いにいってはメリンスやフランネルの腰巻を盗み天井裏に隠していたもの。叱責のみで放免。
5.…この頃、大阪で女学生など若い女性の間にイレズミが流行。トカゲ、ヘビ、ナメクジ、ドクロなど一般の女性がいやがる図柄が圧倒的に多い。中には遺言を背中に彫りつけたお嬢さんもいた。
※若い人の間でタトゥーなるものが流行っておりますが、70年以上も前から流行っていたんですねぇw
5.…東京・王子の「たのしみ社」から「美人裸体写真」が発売される。48枚1組1円。
6.14 漣洋画展出品作品のうち、裸婦をモデルにした4点に対し警視庁保安部が撤去命令。
※担当部署が保安部ということに注意。エロの反乱が治安を乱すと考えていたようですなw
6.29 東京モスリン金町工場の女子労働者1075人が「外出時間の延長」「結婚の自由」などを要求してストライキ。7月1日、要求実現。
6.…東京・丸ビル内の薬局で、コンドームが1ヶ月に500ダース売れる。買い手の半分以上がOL。
※一流企業に勤める女性は進歩的だったんですなぁw
7.2 東京市営バスの女性車掌100余人が、市電気局に男女の差別撤廃(歩合の男女同率・月経時の休養など)を要求してストライキ。
7.19 婦人矯風会などが、内務省に婦人雑誌の露骨な性愛記事・広告の取り締まりを陳情。
7.27 人さらいや甘言などで小笠原諸島に送られた少年70人余が、過酷な労働に従事させられていることが判明。
7. 長野県で30代の出戻り女性と同棲していた50近い男が、いなり寿司に猫いらずを混入したものを食べさせた上、アイクチで刺殺しようとして逮捕される。サドの男にいや気がした女性が家に帰ろうとしたことに怒ったもの。
8.8 女給が酒に酔い裸ダンスをしていたとして有楽町のカフェ「オデッサ」が1ヶ月の営業停止を命じられる。さらに4人の女給が大森の砂風呂などで売春していたことも判明。料金は800円の一括払いか1ヶ月80円、1回ごとなら20〜100円のやや割高になっていた。
8.10 中国・青島から門司に帰国した高垣仙蔵(38)と小林天外(36)が、門司水上署に逮捕される。2人は支那事変の勃発とともに中国兵の死体から股を切り取り、これを内地に持ち帰って、梅毒と肺病の薬として売りさばいていたもの。青島ホテルを本拠として多数の婦女を誘拐していたことも判明。
8.18 医学博士夫人の宮下あきが夫や子供を捨て、門司出港の「鹿島丸」でイタリア滞在中の声楽家藤原義江のもとに走る。
8.24 熊本県衛生課が熊本・二本木遊郭の楼主66人、娼妓650人、仲居60人を集め花柳病の予防具、予防剤の使用方法についての講習会を開催。また花柳病患者の売淫は懲役3ヶ月とすることを警察や医師会に通達。
※エイズ患者なら死刑ってことですかねぇ。

8.…京都の桃源堂主人(本名・山本定一)が日本初の性語辞典『日本性語大辞典』を出版。集録語は1800余。桃源堂は後に女陰百科事典の『桃源華洞』も出版。
8.…伊藤晴雨が日本初のSM写真集『責めの研究』を出版。
9.1 花柳病予防法が実施される。
9.18 国際連盟総会、婦人児童売買に関して遊郭制度を保存する国々の調査実施を決議。日本も調査の対象に。
9.26 元東北帝大教授の石原純博士が人妻で歌人の原阿佐緒女史との同棲を解消。
9.…雑誌「婦人世界」が「思春期の性的悪癖の予防法と矯正法」というオナニーの特集で発禁となる。フロイトを日本に初めて紹介した東北帝大の丸井清泰の「果たして従来の説程有害か?」など、婦人雑誌としてオナニーを肯定したもの。20万部という大量の部数が押収され、直ちに製紙会社に送られて反物の芯に再生される。
10.…内務省警保局から前月の発禁本とその内容をダイジェストした『出版警察報』第1号が刊行される。わいせつとされたのは伊藤晴雨の『責の研究』やエミール・ゾラの『ナナ』など14冊。ほかに新聞雑誌9種類。
10.…花房四郎『男色考』(文芸資料研究会)が発禁。
11.19 エロ出版の大家宮武外骨が知人に「密通の妻が服毒死、小生は近日新家庭を作ります」と挨拶状を送る。
11.…東京・二番町に「珍本講読会」という名のエロ本の会が設立される。主催・聖林会。
12.1 東京・亀戸町の路上で17〜18歳の学帽、マント姿の少年が、同級生らと遊んでいた小1の女児(7)を連れ出し、路上でレイプして絞殺。その後全裸にして性器に泥を詰め、首にはきれいな帯を二重に結びつけて100メートル離れた池に捨てる。翌日死体発見。
12.10 東京市衛生研究所が11月に実施した市民血液検査デーの結果、1526人中247人が梅毒の陽性と判明。男15%、女22%。
12.31 全国で売春に関わる職業の女性は23万4497人、娼妓4万9058人、酌婦10万4631人。
この年
※東京の連れ込み旅館は237軒。ただし当時はおでん屋やそば屋の2階に2畳、3畳の小部屋があって、そこが逢い引きの場に使われていた。それは数に入っていない。1泊1円が普通だったから、俗に円宿ホテルと呼ばれていた。大森の砂風呂はその代表格。
うなぎ屋の2階も、情交に使われていた。客はわざと時間がかかるものを注文して、その間に事をいたしていたようだ。
代々続く、そば屋にうなぎ屋なんぞ怪しいものだってこったw
※東京・向島に特殊ミラーを備えた待合が登場。鏡の向こう側で演じられる痴態を、こちらで見物する仕掛け。押入れのフスマに穴を開けて中から覗かせた待合いもあった。
思い出しましたが、昔、ラブホの経営者で客の痴態をビデオカメラで隠し撮りしていたのもいましたなぁ。某マネシタ電器のお客さんです。
※マッチが1本燃え尽きるまで陰部を見せるマッチ・サービスが登場。1回50銭。
※東京・品川遊郭の客数は年間35万5055人。営業収入は125万7991円。いまのお金にして約37億円なり。こりゃお上もバンバンザイ。
品川なんて江戸の頃から遊郭の街だったってことをお忘れなく。ホテルの名前につける地名じゃございませんよw
※大阪で男娼が急増。
※新潟市でひとり寝の女性の部屋に侵入。陰部にコールタールを塗りつけていた男(29)が逮捕される。男は23歳で結婚したが、妻に尻に敷かれ、いい負かされるうっぷん晴らしに犯行を行っていたもの。
※東京・新橋の芸者金波がお座敷ストリップで人気。ただしダンス芸者と称する。お座敷ストリップの元祖。
お座敷ストリップと云えば、某マネシタ電器の宴会では良くやったものですw
※弁士の徳川夢声が「彼氏」という言葉を造語。「彼女」に対して「彼」も二文字にしようとしたもの。以後、恋人、愛人の代名詞として現在でも使用されている。
※東京・小菅刑務所の監房の周囲に植えられていた沈丁花がすべて取り払われる。匂いが女性の性器を思い起こされるとの苦情が囚人から相次いだため。
栗の花の匂いが男性の精液と同じ匂いだとは知っていたが、これは知らなかったねぇ。
※東京・芝の日本赤十字社参考館で「民族衛生博覧会」が開催され、性病予防のほか、優生結婚によって劣悪無能の分子を遮断するように訴える。
※1927年9月29日に結婚した妻が12月15日に実家に戻って以来帰宅しないのは結婚の破棄であるとして夫が損害金を要求、これに対して妻が逆提訴していた裁判で、岐阜県大垣区裁が、婚姻の継続が不可能になったのは舅が嫁に性的関係を強要することによるもので、したがってどちらかの責任を問うことはできないとの判断を示す。
この頃
※岐阜・金津遊郭の浅野屋が、和室浴室の壁にエロチックな幻燈を映写して評判となる。浅野屋には総鏡張りの洋風浴室もあった(のち警察によって禁止)。
※フランス製の秘密映画「野の叫び」(別名「宝島」または「エカキ」)「働くヘラクレス」、アメリカ製の「自動車修理」が出回る。
入れ墨が流行ってたとか、タトゥーを取り上げて風紀の乱れをしかめ顔で高説する奴らの顔色がないね、こりゃw
それにしても沈丁花ってオ☆★コのにおいなんだ。
精液のにおいは銀杏だったけ。
勉強になりました。
自分はタトゥーってのが嫌いですよ。
年とって老人になったときに、こんなみっともないものもないと思うので。