2009年09月03日

昭和性風俗史 大正15年・昭和元年(1926)

まっ、いつの時代もオマンコが好きなやつが多いわけで、それは戦前も戦中もいまにいたるまで同じなんですよ。

同性愛は事件沙汰に。駅構内で男女の露骨なイチャイチャも問題化。大人のオモチャも売られているし、SM写真も登場し関連の犯罪も出現。
幼女ポルノも売られていたw

ただ、この頃が今と違うのは、売春が公に認められていたこと。
女性はオトコの性欲のはけ口であり、兵隊となる男子を産む器械であったこと。
強姦は日常茶飯事であったこと。
処女が重んじられていたこと。

けっこうオモシロイ世の中、とくとご覧あれ。


資料は「性風俗史年表 大正・昭和戦前編」(下川耿史)より。



1月…文部省が、性道徳の弛緩により女学校で淪落の女が続出していると警告。

2月…梅原北明が雑誌「変態資料」を創刊。創刊号で「たとへ内務省がどう云おうと警察が圧迫しようと、当方も陣容を整へて合法的に喧嘩を始める決心」と宣言。

2月…東京の巣鴨や築地の銭湯から警察に、男湯に女三助を置きたいという申請が出される。

3.4 中野正剛、大阪・松島遊郭問題に関し衆議院で政友会総裁田中義一の陸相在任中の400万円機密費横領疑惑を追及。憲政会と政友会の暴露合戦へ。

3.24 警視庁が女相撲の興行を禁止。当時、女相撲の興行団は十数グループ、女力士が150人以上。このほか全国の100に近い神社でも奉納女相撲が行われていた。東京ではこれ以降、1951年12月まで女相撲が禁止される。
注)女相撲はもちろん靖国神社でもやっていたかもしれんなぁ。あそこではサーカスもやっていたほどだから。もちろん女力士は裸でまわしを締めていたんだ。観客は裸見たさってのが多かったかもね。昔、「11PM」というテレビでやっていたような記憶がある。

4.1 月刊「アサヒカメラ」(朝日新聞社)創刊。創刊号に「少女と壺」という題の少女ヌードが掲載される。第2号にはブダペストのカメラマン、ヨセフ・ペッシーの「裸体」掲載。
これって、幼児ポルノになるんだろうなぁ。アグネス・チャンコロさんがキーキー云いそうだw

4.4 作家の徳田秋声が、かねてより交際の山田順子を「内弟子にする」との文章を朝日新聞に発表。徳田と順子は1927年11月15日に挙式の段取りとなっていたが、同年4月、順子が慶応義塾の学生の元に走り、徳田との関係は破綻。さらに順子はこの学生との結婚式の2週間前、文学者勝本清一郎の元に走る。ただしこれも長続きせずまた、徳田秋声のところに戻るなど、奔放な恋愛模様が世間をにぎわす。
日本の小説家って、犬や猫のような肉体関係を日記風に書くことにより私小説っての書いていたんだよねぇw

4月…瀬戸内海航路から長崎県小田みさを(21)と酒井定子(20)が投身心中。
「私どもは今、愛のクライマックスにいます」
との書き置きを残していた。

5.25 名古屋の女学校教師と教え子が、同性愛の仲を裂かれそうになり服毒心中。

5月…東京駅の待合室でいちゃつく男女のふるまいがあまりに露骨として問題化。とくに女性の行為が目にあまると。

6.2 国際労働会議で、日本の労働代表が日本における女性の炭鉱労働者は8万3000人、そのうちの4万8000人は地底労働に従事し、そのうちの700人は15歳以下の少女であると指摘。

6.7 工場法令などの改正で、幼年労働者の最低年齢が12歳(一部は10歳)から14歳に引き上げられる。現に就業している12歳以上の者は例外として認める。

7.14 大阪・新町橋の淫具屋「黒行灯四つ目屋」が摘発される。同店は徳川時代初めに開業。この当時は国内のほか朝鮮、台湾にまで販路をのばしていた。セルロイド製の器具に特に人気があった。

8.23 「銀幕の恋人」と呼ばれた美男スター、ルドルフ・バレンティノ(31)が、旅先のニューヨークで急死。バレンティノの死を悼んで、2人の日本人女性が手をとりあって活火山に飛び込み自殺。
注)その美貌を買われて、日本では丹頂(今のマンダム)が当時発売していた「丹頂ポマード」の広告モデルに起用したことがある。

9.2 熊本市で1〜3円の周旋料で望み通りの女を引っ張ってくる会員組織の媒合所が検挙される。

11.30 大阪・浪速区の医院で多数の堕胎手術を実施し、胎児の死体20体を裏庭に埋めていた事件で、大阪地裁検事局が主犯および施術者3人と、堕胎を依頼した女性のうち罪状の重い28人(19〜45歳)を起訴した。依頼の女性は国内から大連にまでおよび、手術後、処女というふれ込みで結婚した女性も数人いた

12.19 東京市外滝野川町で、全員高女卒で、かつて高等官や技師などの妻だった女性(20〜37歳)を使って売春させていた不動産紹介業の女性(47)が富坂署に逮捕される。

12.27 熊本市二本木遊郭の松緑楼に420円で一家の窮乏を救うために小学校女教師(25)が身売りしていたことが報じられ、大きな反響を呼ぶ。楼主たちは救助金420円を拠出して300円を母親に寄付。女教師は松緑楼の帳場及び裁縫を担当することで決着。

12.27 東京・日比谷で大正天皇の遺体を乗せた霊柩車を見守る雑踏の中、手当たり次第に女性の丸まげを切って歩いていた少年(15)が逮捕される。一種のフェチですなw

12.31 大分県別府市で43歳の百万長者の未亡人が13歳下の脱走兵と心中。男は除隊まであと10日だった。

12.31 昭和天皇は赤坂離宮での生活を続け、宮中生活改革の一つとして大奥のお局の女官制度を廃止することを決定。以降、宮中でのハーレム性活は無くなる。

12月 「変態資料」第4号に、伊藤晴雨の責め写真が掲載され、反響を呼ぶ。

12月 女性が貞操を守るため、毒ガスピストルの使用を求める声が高まる。それだけ強姦が日常茶飯事だったってことだw

12月 宮内省が華族950人とその家族5900人について調べた結果、妾や女中などに産ませた私生児が500人以上に達し、公卿華族と大名華族に集中していることが判明。
注)戸籍上の私生児への差別撤廃を忌み嫌う保守派のオバサンが多いが、理由はこんなところにあったんだなぁw
私生児に財産取られるのが怖かったんだwww




この年
※内務省警保局の調べで、全国の待合(いまでいうラブホ)は3309軒。待合の多い府県のトップ5は東京府2251軒、神奈川県330軒、愛知県129軒、岐阜県121軒、広島県91軒。大阪府は10位の33軒。
注)神奈川と広島が多いのはオマンコに飢えていた海軍相手が多かったからだ。岐阜県はいまでもトルコ風呂天国で有名だわなw

※東京・根津に草津温泉、鶯谷に伊香保温泉、秋葉原に有馬温泉など有名温泉の名を付けた温泉が登場。芸者が客と利用する場として人気。

※横須賀・柏木田遊郭の紀の国楼、大阪・松島遊郭の全成楼、門司・馬場遊郭の玉川楼、熊本・二本木遊郭の三橋楼などで娼妓が待遇改善を要求してストライキ

※熊本・高瀬区裁で、夫の性的虐待に耐えかねて実家に逃げ帰った妻に対し、夫が妻のために使った費用など1000円の支払いを求める裁判を起こす。判決では夫の変態性欲が原因として、妻に200円支払うよう命じる

※作家の吉屋信子(30)が、新築の下落合の家でかねてより相思相愛だった門馬千代との生活を始める。1957年4月、千代は信子の養女として入籍。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-06-21

※浜口雄幸内相が貸座敷代表に「公娼制度は妥当」と発言。




この頃
※地方であいまい屋(私娼宿)や田舎の料理屋の密淫売を黙認する代わりに、ただ酒や女を強要する警察官が増加
注)昔も今もなーんにもかわっていませんぜ↓
http://s02.megalodon.jp/2009-0903-1548-40/www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090810AT1G1003G10082009.html

※サラリーマンの初任給(三井の場合)。
官立大、東京高商、早、慶80円。
その他の私大、高商、高工70円。
中卒35円。


ラベル:オ○ンコ
posted by 死ぬのはやつらだ at 16:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 大日本帝国と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
女教師の身売りなんかは別に驚きもしませんね。
何せ当時の教師は授業料タダの師範学校を出てるくらいですから家に金がない貧乏人の子女がなるモノと相場が決まってた。
かくいう小生の母もそうでした。(いや、身売りはしてませんでしたけど、多分・・・)
それにしても優しいな〜妓楼の主たち。ハハ
Posted by いまじん at 2009年09月03日 19:17
そうですねぇ。
高度成長時代に公務員になるなんてバカらしいことだったし。

娼妓の人たちは極端な貧困で身売りされた人が大多数ってのが元で、後に226事件の要因の一つともなりますね。
Posted by やつらだ to いまじん さん at 2009年09月03日 22:48
吉屋信子へのオマージュ作品である女子高生同志のレズビアン的愛情を描いた志村貴子のマンガ『青い花』(ただいまアニメ化放映中)は、タイトルも吉屋の代表作『花物語』にちなんでいると思われます。
http://www.aoihana.tv/
Posted by natunohi69 at 2009年09月04日 02:12
>>身売り
226などの青年将校が「疲弊した農村を救おうと義憤にかられた」などと良く
言われますが、1934〜36年頃にはアメリカが大恐慌からやや持ち直し、'36年
頃には日本の農村にもその余波が及んで来ていた…という説もあるそうです。
'35年頃には、隅田川でそれまで採っていた海苔が、急に取れなくなり出した
などという話も。'36〜'37年頃竣工なんていう立派な橋などが、今でも日本の
田舎には多いんだそうで。
つまり、戦前日本でも'35年頃から、軽工業→重工業への高度成長が始まって
いたと言う事なんだそうです。そしてそのピークは'39年頃だと。
対中戦から対米英戦なんぞにかまけていたから、それも潰れてしまった…。

もしこれが本当なら、農村の窮状だか中朝韓だか、実際以上に誇張した脳内敵
の脅威を激しくわめき立てて輿論を煽動し、自分らがオイシイ思いをする口実
にする、という武人の手口は全く変わっていない事になりますが…。
Posted by Meifumadoh at 2009年09月04日 19:48
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