寛仁親王
民族の知恵ということで言えば、今回の議論では、男女平等とか、男女共同参画といった考え方のもあるようですが、それは日本国民が守っていかなくてはならない民主主義の中の一つの規律です。しかし、そもそも皇室というものは、そうした民主主義の規範内にぴたりとおさまる存在ではないということも忘れてはなりません。たとえば我々皇族は選挙権もなければ被選挙権もありません。また、医療保険もなければ営利事業に関与することもできない。つまり基本的人権をまったく無視されていて、日本国民と言えるかどうか難しい存在であるわけです。そこに国民の規範を適用するというのはナンセンスですし、そうするのであれば、まず天皇様から選挙権をお持ちいただいて、政治的発言もしていただかなくてはなりません。しかし、皇室というものはそういった国民の規範からわざと外して、別格としてある。これまた大和民族の知恵だろうと思います。
殿下よ、現代の日本国民には、蝦夷の血筋を持つもの、熊襲の血筋を持つもの、隼人の血筋を持つもの、そして、歴史ある琉球王国の血筋を持つものが含まれております。
いろいろな民族の集合体が日本でございますよ。けっして大和民族の知恵だけが、優遇されてはいけません。
歴史家の故 網野善彦氏はつぎのように語っています。
いまの政府・文部省(99年当時)は 「日本国」が、実在していない天皇、神武が即位した日 、2月11日に建国したと公的に定めています。戦前の紀元節を継承した「建国記念の日」です。日の丸・君が代法制化はそういう虚構の起源を持つ国を讃え、象徴する旗と歌を決めるということですから、どのように誤魔化しても、戦前と基本的に変わるはずは無いと思います。
「日本国」という国の名が決まったのは大方の古代史家によると7世紀の末であり、その時に初めて日本は地球上に出現する のです。「日本人」とは、私は単純に、日本国の国制の下に置かれた人を「日本人」と呼びます。だから 現在はアイヌ人も沖縄人たちも日本人ですが、江戸時代には日本人ではありませんでした 。 日本国ができた7世紀末には、南九州や東北北部の人は日本人ではなかった のです。日本国は東北を侵略し、南九州も侵略したのです。
そういう意味で、 「日本人」が出現するのは7世紀末 です。ところが文部省は指導要領にはそのことを一切書きません。ですから 現行の教科書を見ますと、「縄文時代の日本」とか「弥生時代の日本人」のように全く誤った矛盾した表現 が依然として横行しているのです。
日本人は自分たちの歴史の根本を正確に知らないのです。それと「日本人」という言葉が、非常に怪しげな使い方をされ、いくらでも広がる観念になっているんですね。沖縄の場合もそうだと思いますけれども、アイヌも「簡単に『日本人』と言わないでくれよ」という気持ちがあるはずですね。
国旗国家法は、虚偽の歴史と誤った日本人観に裏づけられた国家に即して制定され、虚偽の上に立った国家を讃える旗と歌です。しかも、2月11日にできた国を愛せというのですから、「冗談じゃない」というのが私の本心です。だから、私はこの法律には従いません。
「神武天皇以来」という語られ方は『日本書紀』がそう書いているわけですから、明治以前からそういう観点はありました。『神皇正統記』だってそうですし『日本書紀』はまさしく中国大陸を強く意識し、日本を強調した書物です。しかし、それが日本人全体にかかわるイデオロギーの問題として強力に主張され始めたのは明治以降ですね。軍人勅諭にもわが国の軍隊は「神武天皇」が統率したことからはじまっているとあるのですから。敗戦後に、それが事実でないということは歴史家が口を酸っぱくして主張してきたわけです。「日本人の祖先」などと言いますが、母系と父系の両方の先祖をたどったら無限に広がってしまうはずだけれども、必ず父系をたどり、しかも連綿として一つのラインが続いてきたかのように言います。天皇家も母系をたどると朝鮮半島に広がりますからね(今上天皇承認済みです)。 弥生時代には「日本」はないのだから日本人はいません。倭人と日本人は、違います 。日本国ができてからの日本人の中には、関東人から東北人まで入りますが、この地域の人たちは倭人ではなく多くは、「毛人」です。のちの「蝦夷」ですね。
東日本人と西日本人はけっこう違います。紀元前3世紀から7世紀までの千年間に列島西部に最大150万の人たちが朝鮮半島や中国大陸から入っています 。京都から東京に天皇をもってきたのは、明治政府が大日本帝国というアイデアをつくりあげるためには効果的だったと思います。あそこで、もう一つ誤魔化されるわけですね。そして明治政府は『日本書紀』『古事記』の神話を事実上、公的な「日本史」にして、国民はそれを100年以上すりこまれたのです。
私の言っているのはきわめて単純なんです。「嘘でかためた国家を愛することなどできるものか」ということです。何といわれようと私は歴史研究者の端くれであり、人間の端くれですから、虚偽の日に建国したなどという国は断じて愛せません。あたかも単一の日本人像があるかのように「それでも日本人か」という排除の論理が働くように、政府は間違いなくそうしようとしていると思います。
真実を教えようとしない文部省の姿勢は、根本から誤っています。真実を教えると困るんでしょう、文部省は。7世紀末に日本国ができたということを教えたとたんに、「建国記念の日」を取り消さなければならなくなりますから、今の文部省には絶対にそれはできないと思いますよ。
日本は7世紀末にできたのですから、聖徳太子といわれた人も日本人ではありません。倭人なんです。雄略天皇という天皇も存在しません。5世紀には大王であって天皇はないのですから。「天皇」の制度ができるまでは「皇太子」や「皇后」という称号はないのです。「太子」や「大后」はありますけれども「皇」は付きません 。天皇は制度なのですから、制度ができる前の時代について、歴史家がどうして天皇についてだけ存在しない言葉を使うのか。おかしな話だと私は思います。
神武天皇の血筋などと、の賜っておられるが、もともと、神武大王と言うのが正式であって、神武天皇と言う方が大誤りでございますぞ。
明治政府が統治のために利用した『皇室』の嘘の歴史に惑わされるとは、殿下の人格を疑いますな。
だいたい、御自身が男の子の跡取りを作っていらっしゃらないのに、他人に対し、とやかく言う資格はないのではないでしょうか?
まずは、御自身が側室をつくって(もしかして、既にいらっしゃる?)、男の子をもうけたらいかがざんしょ。
そもそも、人間の遺伝子変化に関するエヴァ理論によると、アフリカのなんとか砂漠に住んでる母ちゃんが10万年くらい前からのオリジナルの遺伝子を持ってるっていうから、こっちのほうが万世一系だわよねん。
網野先生の『無縁・公界・楽』は脳味噌パッカ〜ンの名著だわん。
卑弥呼の時代に国際関係ということばは無かったといってみたり、
従軍慰安婦という言葉は当時は無かったといってみたり、
まぁ、そんなもんでしょう。
日本人にしてみても、アイヌ人も日本人の祖先だし、琉球人だって日本人の祖先で良いじゃないですか?
そうでなければミャンマー人とビルマ人は別人になるわけですか?
当時の大和朝廷の支配が今の日本に比べて極狭い事実はそうにしても、
今の日本に生きる人としては、日本の歴史は今の日本の有る場所全体の歴史で、アイヌの歴史だって日本の歴史でしょう。
まぁ、大局を見ずして細部にこだわるといわれない程度にしてほしいなと思います。
権力者といわれる連中は特に。
フランスとドイツの国境地帯の歴史やノルマン人やケルト人とアングロサクソンの歴史についても
それ自体「ネタをネタとして楽しむ」事ができんとお隣の国みたいにトンデモ本を教科書に準ずるものとして扱ってしまうわけですよ(まるで60年前のどっかの国みたいにね)
今でも、海外いくと、「雅子さんはいやいや結婚させられたんじゃないか」と、好奇心いっぱいの探りを入れられます。女性が嫌々結婚しなきゃならないほど、日本は変な国じゃないぞと腹が立ちます。でも、実際はどうなんでしょうね。まあ、どっちでもいいことですが。。。
現在、学会では、
聖徳太子はフィクションである、
という説がたいへん力を持っています。
まずここから議論すべきでしょう。
つまり日本の歴史などうそだけからできていると。
では「南京虐殺も嘘である」と肯定していいですか?
>では「南京虐殺も嘘である」と肯定していいですか?
ということは、これまで「南京虐殺は歴史だ」というご意見だったんでしょうなあ。