2009年05月03日

忌野清志郎逝く



突然のことなんで驚いたけど、正直、ガンになった時点で長くて5年だと思ってたよ。
闘病生活を見せる事が許されないロックスターってのは辛いよなぁ。
死に方がカッコヨクなければいけないから辛いよね。

テレビでロックスターとか持ち上げるのだろうけど、報道しているオマエらがキヨシロー聴いてんのかってことだよ。

俺がRCを初めて観たのはテレビの「ピンクレディーの100発100中」って番組で「ステップ」歌ったときのこと。
俺はもうパンクにどっぽりハマっていたけど、日本人でパンクファッションが似合うヤツがテレビで出てきたのには驚いた。
アクションも派手でさぁ、カッコよかったなぁ。

合掌


posted by 死ぬのはやつらだ at 10:39| Comment(6) | TrackBack(6) | 墓碑銘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
RCサクセションを最初に聞いたのは、ラジオで、確か『2時間35分』か、『宝くじは買わない』だった。
初めてライブに行ったのが、1969年か70年の渋谷ジャンジャン、『烏合の衆』が強烈だった。
『僕の好きな先生』がヒットして、ずいぶん、コンサートに行ったけれど、だんだん空席が目立つようになって、コンサート自体ほとんど無くなって。
あの時は心配したよ。
でも、以前『古井戸』で活躍していたチャボとのエレクトリックRCで復活して、確か最初の日比谷野音に見に行ったら、元気そうで。

安心してから、一度もコンサートには行かなかった。なんか、遠くへ行っちゃったような気もして。
http://www.youtube.com/watch?v=7aSEetyWAWo&eurl=http%3A%2F%2Ftomikyu6908%2Eblog22%2Efc2%2Ecom%2F&feature=player_embedded
Posted by natunohi69 at 2009年05月03日 12:22
確か昨年の秋ごろだったか、清志郎氏の癌再発からしばらく経ったころ、「スカパー!ライフ」誌にノーメークの姿で出ていたのですが、抗がん剤の影響か、むくみがひどく、大丈夫かと心配させられました。腰椎転移と聞いた時に、覚悟はしてましたが・・・。
こんな時代だからこそ、彼の存在が必要なのに、残念です。私の青春がまたひとつ・・・。合掌。
Posted by bronks at 2009年05月03日 14:22
ひとつだけ声を大にして言いたい。
おれもそこそこいろんなライブを見たけど、キヨシローほど、キレイな発音と発語で、初めて聞く歌でもはっきり歌詞が聞き取れる歌手はいなかった。
彼ほど「日本語」を大事にしていた人はそうはいない。

合掌。
Posted by なめぴょん at 2009年05月03日 23:29
大昔、ロック評論家の吉見祐子だったと思うけど、「スローバラード」の再販を働きかけたというのをなんかの雑誌で読んだ、聞いてこれが売れないのはおかしいと思ったという。
俺はRCのライブに一度もいったことがない、いつかいこうと思っていていきそびれてきた。
キヨシローがソロになってからもそれは同じだった。
癌が見つかった、そういやあ吉田拓郎も・・なんて思ってるうちに手術から回復、復帰番組をNHKでやっていて派遣先の寮部屋でビールを飲みながら見ていたりした。
それから腰に移転再発で再入院というニュースを目にし、えっ?と思っていたら暫くして接したのがこの訃報だった。
正直、死んだ、いや死ぬというイメージから遠い人だった、俺の中では。
natunohi69さんが貼ってくれたyoutubeでビール片手に夜中かけて偲ぼうと思います。



Posted by 無産者 at 2009年05月04日 01:17
入口はタイマーズから。ちろの政治への入り口にもなった。
自分のスタンスを隠すニホンノゲイノージンらしくなく、唄で意思(意志)表明してるの、カッコ良かった!
チェルノブイリの原発事故に、はらわた煮え繰り返ってたから<あたしも動いて行こう!>って、ティーチインに出掛けたりデモをした。
タイマーズ(ゼリー)居なかったら・・・きっとしてない・・・。

キヨシローに誘われて、政治のドアを開けたけど、サブカルバカ、ちろはいつしか遊びにかまけてて・・・
気付いたら安倍 政権!そこから また、ちろの政治の季節が始まって・・・いま、あのひとが、いない。

Posted by ちろ at 2009年05月04日 06:37
 誰が何と言おうと、

「雨あがりの夜空に」は、日本語でロックができることを証明した名曲中の名曲。

 キース・リチャーズ曰く「ロック、ロックって言うけどロールはどうしたい?」という嘆きを日本語ロックで唯一返答できる曲。

 ブルースを源流とする比喩暗喩こそロックの歌詞なのに、日本ではなぜか「青春の叫び」がロックと勘違いされているおそまつさ。その中で、

 「雨あがりの夜空に」の歌詞は、その辺もきっちり見事に仕上げられている。

 ていうか、日本では「ロックンロール」は清志朗しか書けなかったし、やらなかった事実はもっと評価されていい筈。

 日本で言われる「ロックンロール」は、みんなロカビリーとビートルズをない交ぜにしただけだったから。

 そういう意味で、キャロルも永ちゃんも桑田もミュージシャンとしては、清志朗より段違いに成功したけど、一曲だって「ロックンロール」は書いてない。

 氷室も布袋もその他もみんなしかり。

 大成功には届かなかったかもしれないけど、日本で唯一「世界基準」のロッカーだった清志朗……。逝くのがあまりに早すぎ……。合掌。
Posted by 大木銀太郎 at 2009年05月04日 08:52
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