1888年、稲葉郡上加納村字金津に開かれた、金津遊郭が始まりである。後に柳ヶ瀬の西柳ヶ瀬に移転する(当時58軒あったという)。太平洋戦争時、この地に軍需工場を建設するため現在の岐阜市長森付近に強制移転される。
1948年、当時の国鉄岐阜駅南口の紡績工場跡地に移転。この時業者は60軒あり、場所取りはくじ引きの上決められたという。この時1軒あたりの広さは63坪にきっちりとわけられた(現在も各店の敷地面積がほぼ同じなのはこの名残)。その後赤線地帯を経て、ソープ街になったものである(東京の吉原などと同様)。一方で周囲は、普通の住宅地になっている。(Wiki)
2009年02月06日
1971年2月6日 - 岐阜市金津園に日本初のトルコ風呂が開店
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さて本題のほうですが、学生時代一人暮らしをしていたとこから10分歩くとこんなお店がいっぱい!周辺には学生や子どもも多くて「いい環境」でしたね。
(私は行ってないけど)
今では見かけなくなった夜になると光る怪しい販売機もあったりしました。
派遣いってたときは、休憩時間の話といえばパチンコか風俗ばっかで金津園の話はたびたび出てました。
同僚で二言目には、土日はヌイて月曜日からリフレッシュとか言って金曜日は仕事明けから名古屋へすっ飛んでいったやつがいたなあww
あの人、今はどうしてるかなあ・・・
「トルコ風呂」から「ソープランド」へ
呼称を変更することになった。
そりゃ怒るわな。
楽器がダメなのも親近感がもてますw
「金津園にいつか逝きたいなぁ」
と云う話が出てきますw
岐阜市って天国のような街ですねw