静岡にボンドカーを飛ばして、タミヤ本社のショールームと歴史館を見学してきた。
ショールーム正面には幻の「いすず」製F1エンジンが!
1991年は、前年の改良型マシン102BにジャッドEV76°V8エンジンを搭載したマシンで臨んだ。メインスポンサーは無く、ドライバーが持ち込んだスポンサーと田宮模型やコマツなどの前年に獲得した各日本企業といった小口のスポンサーフィーでの参戦であり、マシン開発を進めるには資金的に不十分だった(ニューマシンの103もプランのみで終わる)。サンマリノGPでミカ・ハッキネンが5位、ジュリアン・ベイリーが6位とダブル入賞を果たしたが、それ以外はミハエル・バーテルスが、参戦したすべてのレース(4戦)で予選落ちするなど下位に低迷した。シーズン途中にいすゞ自動車製V12エンジンのテストをシルバーストーンサーキットで行ったものの、チームといすゞ自動車からはテスト走行について公式発表する事は無く、V12エンジン自体もお蔵入りとなった。(Wikipedia)
どうやら、いすゞによるエンジンテストが散々なモノだったらしい。
本来なら、いすゞの社史に残さなきゃいけないF1エンジン。汚点に過ぎなかったからタミヤにて展示されている…というのが真実か。
それでも、このエクゾースト・マニフォールドは美しいと思う。
1991年(平成3) 当時、乗用車の特殊仕様車などで協力関係にあった英国のロータス社の関連会社であるF1参戦チームチーム・ロータスと共同で、V12エンジンのテストをシルバーストンサーキットで行い、高い評価を得た。しかし、両社からはテスト走行およびその後の関係について公式な発表は無く、V12エンジン自体もお蔵入りとなった。エンジンは計三機作られ、一機はいすゞ・ロータス両社と関連が深いプラモデル等製造のタミヤ社の本社に展示中、残り二機はいすゞが所持しており、うち一機は動態保存されている。(Wikipedia)
その後すぐにいすゞの経営は傾き、乗用車から撤退してしまう…。
ロータス102B このマシンにいすゞのV12エンジンが搭載される予定だった…。
ロータス72Eのノーズカウル 1975年 ドライバーはロニー・ピーターソン(スウェーデン)
ティレル・フォードのノーズカウル 当時はタイレルと称していたのが懐かしい。
ロータス91フォード 1982年に参戦。JPSカラー。フル・カーボン・モノコックのボディーを備えた最初のマシン。この頃のロータスは景気が良かった。
ティレルP34 昔のF1はメチャクチャだった。6輪で前輪が4輪ともステアする奇抜なアイデアで1976年のF1に参戦。翌年はファーストナショナルシティー銀行をスポンサーとしてカラーリングを変更。銀行がF1のスポンサーになったのは、あとにも先にもこれだけだと俺は記憶している。
ホンダ・ステップバン 70年代初頭、洒落た商用軽自動車として若者にも受けたクルマ。
スバルR2
ポルシェ914 フォルクスワーゲンのフラット4エンジンを積んでいる。
以上の実車は、すべてプラモデルとしてタミヤから発売された。






76年、富士でやったF1が懐かしい。
この頃は、ニキ・ラウダが活躍してましたね。
>プラモ中年のワタシは、いつもタミヤにはお世話になってます。
うらやましい。俺は箱を眺めるだけの妄想モデラーですw
http://wild7.jp/1010
そうなんです。WW2の兵器が、俺たちにとってはガンダムだった。
HPご紹介いただきありがとうございます。さっそくお気に入りにいれました。