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そこへ天皇が上がってきた。あの人、ちょっとガニ股ですよね。すこし前こごみになって舷梯を上がって甲板におりましたが、ぼくはふっとその白服を見た瞬間、あれが、天皇かなと思って自分の眼をうたぐいましたね。まだあとからホンモノの天皇がくるのかと思った。当時は山本長官が亡くなったあとで、司令長官は古賀司令長官で、古賀長官が天皇を長官公室へ先導していったんですが、そのときヒョイッと見ると、天皇は大砲やマストなんかまわりをキョロキョロ見回して落ち着きがないんですね。威厳の点では、古賀長官のほうがずっと堂々として、威厳にみちていましたね。あれっとおどろいて、そういえばだいぶ猫背で眼鏡をかけたあの顔は、ぼくの村の収入役の斉藤さんという人にそっくりだ、と思った。そう思いながら一方ではすぐ”おれはなんてバチ当たりなことを考えるんだろう”と思ったのね。なんという不忠者だ、畏れ多くも一天万乗の大君に対して、村の収入役と同列に考えるとはなにごとかと、自分で自分を叱責したわけですよ。自分で自分の眼にうつった実体を裏切るわけね。
渡辺清著『私の天皇感』より